庵からの便り—余白のぬくもり
夏の朝の光が、学園の石畳を白く照らしていた。
模擬演習から数日。鐘の音に合わせて授業に通い、宿題を片付け、談笑が飛び交う――そんな日常が戻りつつある。
けれど、アマネの心はまだざわついていた。影狼の牙、仲間の奮闘、そしてアルトだけに集まった称賛。その余韻が、心の奥に沈殿していた。
授業を終えた帰り道、門番に呼び止められる。
「アマネ嬢。あなた宛に届け物がある」
手渡されたのは、小さな布包み。素朴な麻布の結び目――その形に、胸が跳ねた。
(……庵から?)
急ぎ足で寮の部屋に戻り、扉を閉じる。机の上に置いた包みを慎重に解くと、干し果実と二通の便箋が現れた。
一枚目は、端正で揺るぎない筆跡。
ルシアンの字だった。
「こちらは、いつでも静かに待っています。
無理をせずとも、あなたが歩む道を信じている。
――ルシアン」
短く、余白が多い。だが、その余白こそが温かかった。指図も期待もなく、ただ「信じている」という静かな力がそこにあった。
二枚目は、丸みのある親しげな字。アサヒのもの。
「こっちは変わらず元気に過ごしてるよ。
帰ってくるなら、それは“帰りたい”と思ったときでいい。
……アマネがそう思えるなら、ね。
――アサヒ」
思わず唇がほころんだ。薪の爆ぜる音、薬草の香り、庵の夜の静けさ。すべてが甦る。
(……帰れと言われたんじゃない。私が選んで帰れる場所なんだ)
胸の奥に、柔らかな温もりが広がった。
⸻
夕暮れ。寮の中庭のベンチに腰掛け、手紙を膝に置いた。
金色の光が長い影を落とし、セミの声が遠くで鳴き続ける。
「……ただ、見守られてる」
小さく呟くと、胸に絡まっていた重さがほどけていく。
「アマネ?」
声に振り返ると、リュシアが立っていた。淡い金髪が夕陽に透け、碧眼に揺れる光はどこか儚い。
「少し、疲れているように見えます」
「……うん。でも、大丈夫」
答えながら、アマネは彼女の横顔を見た。以前よりも柔らかい笑み。聖女としての仮面が、ほんの少し外れている。
きっと彼女もまた、変わろうとしている。そう感じた。
⸻
夜。机に便箋を並べて見つめる。
ルシアンの静謐な信頼。アサヒの母のような温もり。
どちらも「庵はここにある」とだけ告げていた。
「選ぶのは……私」
灯火に照らされて浮かぶ文字。その下でアマネは微笑んだ。
庵は押し付けない。ただ余白を差し出す。だからこそ、自分の足で歩き、自分の意思で帰れる。
その気づきが、学園生活を続ける勇気を与えてくれた。
⸻
同じ夜。別棟では宰相派の教師たちが報告書を並べていた。
「影狼を討ったのはアルト殿下――そこを強調しろ」
「他の者は補足でいい。王国が求めるのは“英雄の顔”だ」
蝋燭の炎に揺れる影。小さな違和感の種は、静かに育てられていく。
その渦に、庵からの“余白”がどれほどの意味を持つか――まだ誰も知らなかった。
庵からの手紙回。次回から少し空気が変わります。不定期ですが毎日目標で続けます。




