依代の兆し
東の空が白みはじめたころ、野営地に不穏な声が響いた。
「……やめろ……やめてくれ……」
毛布にくるまっていた亜人の青年が、夢にうなされるように身をよじり、汗だくの顔で飛び起きた。荒い息を繰り返し、瞳はまだどこか闇をさまよっている。
アルトが剣を手にして駆け寄るが、すぐに敵意のないことを悟り、膝を折って目線を合わせた。
「落ち着け。ここには敵はいない」
青年は肩で息をしながら、しばらく黙り込み――やがて、ぽつりと口を開いた。
「……最初は、小さな嘘だったんだ。友達に……持ってない金を持ってるって見栄を張って……」
その声に、仲間たちも目を覚まし、焚き火のまわりに集まる。カイルが真剣な眼差しで青年を見据えた。
「それから?」
「次は……盗んだ。ほんの少しだけ……誰にも分からないと思った。けど、止まらなかった。次第に……ああ、もっと、もっと欲しいって……」
青年の言葉は震え、爪が自らの腕を掻きむしる。リュシアがそっと手を添え、静かに祈りの光を流し込んだ。
「心を楽にして。ここでは誰も、あなたを責めたりしないわ」
光に包まれ、青年の荒ぶっていた呼吸が少し落ち着く。しかし、その額には黒ずんだ斑が浮かび上がっていた。
ジークが低くつぶやく。
「……これが、依代化の兆しか」
一同の胸に重い現実が落ちる。
カイルは拳を握り、強く言葉を放った。
「わかった……。人は弱さを抱えても生きられる。だが、それを欲望のままに膨らませれば、悪魔は必ず入り込む」
彼は杖を構え、祈りとともに護符を発動させる。淡い光が青年を包み、黒ずんだ斑が少しずつ薄れていく。
「……戻っていく?」リュシアが驚きに息を呑む。
「ええ。まだ完全に取り憑かれたわけじゃない。後悔し、戻りたいと願う心がある限り、救える」
青年は涙を流しながら、何度も頷いた。
「……ありがとう……俺、まだ……やり直せるんだな」
焚き火がはぜ、東の空に光が差し込む。夜の闇を裂くように、一筋の朝日が照らした。
アマネは刀の柄を握りしめ、仲間を見渡した。
「……けど、この先、すべての人が救えるとは限らない。俺たちは、その選択を迫られる」
重苦しい言葉に、誰も否定しなかった。ただ一つ確かなのは――希望はまだ途切れてはいない、ということだった。
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