男子の時間—湯けむりの語らい
学園の大浴場は、夏の夜気を飲み込んで白く息を吐いていた。磨かれた石床がしっとり濡れ、天井高くの明り取りから落ちる光が湯面に細かな鱗を散らす。
脱衣所。留め具を外す音、布の擦れる音が重なる。
ジークは最初に上衣を放り、分厚い肩と背を露わにした。肩甲骨の外側に古い斜傷、広背筋が呼吸に合わせてゆるく起伏する。石のような腹筋の谷に汗が細い筋を引き、湯気に紛れて消えた。
カイルは眼鏡を外すと、印象が一段と幼くなる。細身だが、肩から腕にかけて余白が少ない。肋骨の線がきれいで、肩甲骨が薄い翼のように影を落とす。
アルトはまだ少年の輪郭を残す体つき。だが鎖骨の下から胸へ、そして腹へと続く筋の線は確かで、日々の鍛錬が薄い陰影になって浮いている。濡れた髪が首筋に貼りつき、一滴が背へ落ちた。
「うおらっ、景気づけだ!」
ジークが桶を頭から浴び、石肌を走る水筋が光る。
「行儀よく。ここは戦場じゃない」
カイルは端整に湯を汲み、まず手首と足首を温める。
ジークは笑って、もう一杯をアルトの背へ。
「――っ、冷たい。ありがとう」
肩がすっと落ち、張り詰めた筋がほどける。
洗い場の椅子に並ぶと、ジークが当然の顔で言った。
「背中、やるぞ」
「頼む」
亜麻のタオルに泡が立ち、ジークの親指が肩甲骨の内縁を捉える。ぐっ、と一点に沈む。
「っ……そこ、効く」
「ここだな。剣の癖が出てる」
力任せではない。要所だけを押し、撫でるように流す。掌の大きさがそのまま熱になって伝わる。
「上部は僕が」
カイルが反対側に回り、首の付け根から円を描く。肩の内旋筋を指腹でほぐし、呼吸に合わせて圧を変える。
「吸って……吐いて。――そう、今のまま。力が奥に落ちます」
「カイル、上手いな」
「書物だけで覚えたと思いました?」
湯気の向こう、アルトの背に二人の手の温度が交差する。押して、流して、置いて。短い吐息が一度だけ洩れ、湯の音に紛れた。
洗い終え、三人で肩まで沈む。湯は胸の上でゆるく揺れ、鎖骨の窪みに小さな湖面を作った。
ジークの胸板は板のように厚く、湯の縁に掛けた腕の筋束が影を刻む。
カイルの胸は薄いが、みぞおちから下腹にかけてのラインが締まっていて、水面下で脚の付け根が静かに動く。
アルトの胸にはまだ少年らしさが残るが、息をつく度に肋骨の間が柔らかく開閉するのが分かる。濡れた前髪がまつ毛に触れ、滴が一粒、頬を伝って湯に落ちた。
「……生き返るな」
ジークが天井を仰ぎ、深く息を吐く。
「うん」
アルトの声は低く、湯に吸われた。少しの沈黙。湯気が彼らの肩に白い布のようにかかる。
「今日の“影狼”、最後はお前の一撃だった。それは事実だ」
湯面を指で弾きながら、ジーク。
「でも、俺は“お前一人の勝ち”だとは思ってねぇ」
アルトの指先が湯の下で一度、握って開く。
「……分かってる。みんなの力が通った。ミナの仕掛けで間が生まれて、カイルの合図で迷いがほどけて、ジークが道を斬って――守りの光が、呼吸を整えてくれた」
「そういうこと」
カイルが頷く。眼鏡のない目は、少し柔らかい。
「評価は“最後に見えたもの”に集まりがちです。けれど、過程は確かに積み上がっている」
湯気の幕の向こうで、別の班が笑う声。丸くなって戻ってくる。
アルトはその音を背で受けながら、小さな言葉を探した。
「……でも、胸の奥に石がある。称賛が自分だけに寄るたび、その石が重くなる」
カイルは湯に指先を沈め、下層の熱を掬うように言う。
「その石は、捨てなくていい。違和感は“印”です。間違えないために、そこに置いておく」
ジークが口角を上げた。
「要するに“無理に笑うな”だ。次も一緒に戦えばいい」
短く、重い。湯より温い言葉。
ジークは肘でアルトの肩を小突き、肩越しに覗き込む。距離が近い。湯が二人の鎖骨で同じ高さに揺れた。
「それとな。お前の剣、今日から“通す剣”になってた」
「通す……?」
「押し返すんじゃなく、みんなの力を刃に乗せて通す剣。……言葉にすると照れるけどよ」
カイルが静かに補う。
「観測として同意します。あなたの反応は“個の最適”でなく“全体の最適”へ滑っていた。指示が届く前に、すでに身体がそちらへ寄っていた」
「言い方」
「職業病です」
三人の笑いが湯気にほどける。
アルトは掌を見た。湯の下、指が微かに震え――すぐ、止まる。
(通す剣……なら、怖がらなくていい。手放さなければ)
やがて湯から上がった。滴る水が脚を伝い、石床に細い線を描く。
ジークは粗い亜麻でざっと拭き、アルトの後ろに回ると、まだ濡れた髪を乱暴に、けれど慎重に拭いた。
「首、冷えるぞ」
「ありがと」
カイルは眼鏡をかけ直し、指でレンズの水滴を払う。肩甲骨の小さな窪みから、最後の一滴が落ちた。
脱衣所の隅、木箱に並ぶ牛乳瓶。ジークが二本取り、一本を無言で差し出す。
「飲め」
「貸し、だろ?」
「当然」
瓶口の冷たさが唇に触れ、白が喉を滑る。甘さが疲れた舌に落ち、胃に小さな灯がともる。
「……うまい」
「だろ」
「学術的にも、糖と水分の迅速な補給は理に適ってます」
「カイル、それを今言うのが好きだよ」
「職業病、なので」
着替えて外に出ると、夜明け前の風がまだ少し残っていた。尖塔の影が淡く空に溶け、鳥の声が一つだけ鳴る。
ジークが肩を回す。
「よし、寝て、食って、また鍛える」
カイルが小さく笑う。
「順番は賛成です。まずは寝ましょう」
アルトは二人の歩幅に合わせた。
「……ああ。今日は、ゆっくりしよう」
石畳に並ぶ三人分の影が、同じリズムで伸びていく。
違和感という小さな石は、まだ胸にある。けれど――それはもう、独りの重さではなかった。
男子サイドの語らい回。軽い肉体描写あり(R15想定)。不定期・毎日目標で更新します。




