お忍びの王妃—エリシアの微笑み
湯気の白が立ちこめる大浴場。三人で笑い合った余韻がまだ残っているとき――
木の扉が、きいと小さな音を立てて開いた。
「……セレ……じゃなくて――」
アマネが思わず声を詰まらせる。
「ふふっ。ここでは“エリシア”でいいわ」
銀髪を緩やかにまとめ、肩にタオルを掛けた姿。現れたのは王妃エリシアだった。けれどその雰囲気は宮廷の威厳ではなく、庵で過ごした“セレス”の柔らかさを纏っている。
「今日は王妃じゃない。ただの一人の女として来たの。だから、気安くしてちょうだい」
湯気に溶けるような声。
「え、ええっ!? 王妃様!?」
ミナが飛び上がり、湯を派手に跳ね散らした。
「落ち着いて、ミナ」アマネが慌てて腕を取る。
「大丈夫。人払いは済ませてあるわ。ここは私たちだけの場所」
そう言ってエリシアは湯に身を沈め、ほう、と安堵の息を洩らした。
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「……王妃様が、こんなところに」
リュシアの声は固い。
「だから言ったでしょう?」エリシアは微笑んだ。「今は“王妃”じゃなく、エリシア。役割ではなく、自分の名前でここにいるの」
その言葉に、リュシアの肩がぴくりと震える。
「……役割ではなく、自分の名前で」
「そう。あなたは“聖女”として育てられた。でもね、大事なのは――“あなた自身がどう生きたいか”。」
庵でルシアンに聞いた響きが重なる。
アマネは胸に懐かしい温かさを覚え、リュシアの瞳にも小さな光が宿り始めていた。
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「うわぁ~、いい話してるとこ悪いけど!」
ミナが突然ばしゃっと湯を跳ね、にやりと笑った。
「さっきの続きやろうよ、胸比べ!」
「えぇっ!? 今!?」アマネが慌てる。
「現実に戻るにはこれが一番! ほら、リュシアも!」
「そ、そんな……!」リュシアの頬が赤く染まる。
エリシアが思わず吹き出した。
「ふふっ……面白い子ね。いいわ、混ぜてもらおうかしら?」
「ほ、本当に!?」ミナの目が輝く。
「言ったはずよ。私は今、ただのエリシアだから」
ミナは胸を押さえ、芝居がかった声で言う。
「やっぱり私が一番“効率悪い”んだなぁ!」
「ミナ!」アマネが真っ赤になって止める。
けれど湯気の向こうで、リュシアが小さく――笑った。
「……こんなふうにからかわれるのも、悪くないですね」
その微笑みに場の空気がさらに和み、アマネの胸がじんわりと熱くなる。
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湯から上がり、四人並んで髪を拭く。
リュシアがぽつりと呟いた。
「今まで……笑うことも、誰かと比べ合うことも、無意味だと思っていました」
「でも意味はあるのよ」エリシアが応じる。「笑い合うことも、からかい合うことも、人が“自分”を確かめるために必要なの」
アマネは力強く頷き、ミナは背伸びして笑う。
「だよね! 効率悪くても楽しいのが一番!」
笑い声が、湯上がりの廊下に柔らかく響いた。
リュシアの胸に芽生えたのは――
“聖女”ではなく“一人の少女”として笑った温かさだった。
役割ではなく“名前”で向き合う小話でした。不定期・毎日目標で続けます。ブクマ&感想うれしいです。




