旅立ちの支度
決めた。私の言葉で。私の足で。
そう言ったはずなのに、翌朝、桶を抱えて川に向かう足は妙に重かった。
水面に映った自分の顔は、昨日より大人びて見える……なんてことはなくて、やっぱりいつもの私だった。
「……本当に行くんだ」
呟いてみる。声にしてみると、胃の奥が少し縮む。怖い。でも、言葉にしなきゃ余計に飲み込まれる。
庵に戻ると、アサヒさんが布をたたみながら振り向いた。
「アマネ、おかえり。……顔が固いわよ?」
「えっ、そ、そんなこと……」
「そんな顔で王都に行ったら、みんなに『怒ってるの?』って聞かれるわ」
「うぅ……」
笑われて、少し力が抜けた。
アサヒさんは黙って私の桶を受け取り、そっと私の髪を撫でる。
「怖いのは当たり前よ。私だって、初めてこの庵に来た時は震えてたもの」
「アサヒさんが……?」
「ええ。けれど、あの人がいてくれたから」
視線の先、ルシアンさんはいつものように湯を注いでいた。
「……アマネ」
低い声に呼ばれる。私は思わず背筋を伸ばす。
「道具を選べ。無駄に多くはいらない。だが、手に馴染むものは置いていくな」
「はい!」
結局、庵にあった布袋に、着替え二組と小刀、革紐、ノートとペンを詰めた。
カグヤが袋に顔を突っ込んで鼻をひくつかせる。
「だめ。これは遊び道具じゃないんだから」
そう言いながら毛並みを撫でると、尻尾を揺らして膝にまとわりついてきた。
その温もりが、まだ心の隅で震える私を少し落ち着かせてくれる。
アサヒさんが薬草の束を忍ばせてくれたし、ルシアンさんは無言で丈夫な靴を出してくれた。
「重さは?」
「だ、大丈夫です」
「なら、よし」
準備はすぐに整った。……でも、心の方は簡単には。
昼下がり、庵に来る村の子どもたちに「アマネ姉ちゃん、どこ行くの?」と囲まれた。
「ちょっと……勉強に」
「えー! 勉強!?」
「王都って遠いんでしょ?」
羨望と寂しさの入り混じった瞳が、胸に刺さる。
「戻ってきたら、また薪割り教えるから」
笑って答えると、子どもたちは「約束だよ!」と声を揃えた。
……そうだ。戻ってくる。ここが私の居場所だ。そう思うと、少しだけ心が軽くなった。
夕刻。庵の戸口で、セレスさんが待っていた。
「もう準備はできたかしら?」
「はい」
「顔つきが変わったわね。昨日よりもずっと」
言われて、胸の奥が熱くなる。私は深呼吸して頷いた。
「怖いけど、でも……行きます」
「ええ。それでいいの」
馬車の車輪が土を踏む音が近づく。
庵を振り返ると、ルシアンさんとアサヒさんが並んで立っていた。
その足元で、カグヤがこちらを見上げて尻尾を振っている。
二人と一匹の姿が、夕暮れの光ににじんで見えた。
「……行ってきます」
ルシアンさんは何も言わず、ただ右手を軽く上げた。
それが精一杯の送り出しなんだと分かる。
馬車の扉に手をかける。
ここからが、私の道。
庵の香りを胸いっぱいに吸い込んで、私は初めての旅路へ踏み出した。
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