表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

284/471

二人だけの灯

共生街の夜は、まだ落ち着かない。

仮設の住居や焚き火の周りでは、人々が行き交い、眠れぬ子どもの泣き声や、疲れを隠せない大人たちのため息が絶え間なく漏れていた。

昼間に広場で「譲り合い」を訴えたカイルは、ようやくその騒ぎが収まったのを見届けて、ふらりと人目の少ない路地へと歩き出していた。

夜風はまだ冷たく、祭服の裾を揺らす。篝火の光が遠のき、暗がりに沈むほど、胸の奥でざわめく不安の声は強くなった。

(……本当に、これでよかったんだろうか)

人々は拍手してくれた。若い神官の言葉に感心してくれた。

それでも――胸の奥には、足りないという感覚が残っていた。

(僕はただ、正しそうなことを口にしただけだ。もし、次に争いが起きたら? もし、譲り合いが形にならなければ?)

肩が重くなる。人々の希望を預かったはずなのに、その重さに押し潰されそうだった。

足を止めた先は、小さな広場の片隅。火がひとつだけ灯っている。

その明かりの前に、すでに誰かが座っていた。

「……リュシア」

振り返った彼女は、聖女として人々に向けるものとは違う笑みを浮かべた。

柔らかく、どこか安堵を滲ませた微笑み。

「来ると思ってた。あなた、今日はずっと気を張ってたでしょう?」

カイルは隣に腰を下ろす。

焚き火の火が二人の影を揺らす。人々の喧噪は遠ざかり、ここだけが別世界のように静かだった。

「皆の前じゃ、強い顔をしてたけど……」

リュシアが小声で囁く。

「今は、弱くてもいいんだよ」

その言葉に、胸の奥の壁が一気に崩れそうになった。

「……怖かったんだ」

カイルは炎を見つめながら、吐き出すように言った。

「人々の前に立って、声を張った瞬間、膝が震えてた。皆が僕を見てくれてるのが、嬉しいよりも怖かった。……失望させたくないって、そればかり考えてた」

「……」

「僕なんかに、導く力があるのかって。……本当は自信なんて、ほとんどなかったんだ」

自分の声が、夜に吸い込まれる。

それでもリュシアの隣だから言えた。誰よりも強く見える彼女の前で、自分の弱さをさらけ出すことができた。

「カイル」

リュシアが小さく名を呼ぶ。

炎に照らされるその横顔は、聖女としての厳粛さではなく、ひとりの女性の優しさで彩られていた。

「私も、怖かったんだよ」

「……え?」

「聖女って呼ばれて、祈りを捧げて、みんなの前では笑顔でいる。

でも、本当は聖女のリュシアじゃなくて、ただの私を見てほしいって、ずっと思ってた」

火の粉が小さく弾ける。

リュシアは視線を落とし、膝の上で手を組んだ。

「役割に縛られてるのは、私も同じ。……だからこそ、あなたが『譲り合おう』って言った時、心が震えた。

ああ、この人は、立場や役割を越えて、一人ひとりを見てくれてるんだって」

「リュシア……」

「私も、あなたを支えたい。聖女だからじゃなくて、ただのリュシアとして。

あなたが一人で震えてるなら、私も隣で震える。あなたが声を張るなら、私も一緒に声を張る。……そうやって歩いていきたい」

胸の奥に溜まっていたものが、すっと軽くなる。

カイルは彼女を見た。

聖女としてではなく、同じ未来を見つめる恋人としてのリュシアを。

「ありがとう。……やっとわかったよ」

「なにが?」

「僕は、一人で導かなきゃって思い込んでた。でも違う。

僕たちは、一緒に支え合うために出会ったんだ」

焚き火の明かりが揺れる。

カイルはそっとリュシアの手に触れる。彼女もためらわず握り返した。

指先から伝わる温もりは、言葉以上の誓いだった。

夜は更けていく。

人々の不安はまだ消えない。明日も、きっと新しい問題が起きるだろう。

けれどこの片隅では、二人の灯が確かにともっていた。

聖女と神官ではなく、リュシアとカイルという二人の若者として。

その光は小さくても、闇を裂くように温かかった。


お読みいただきありがとうございます。いけるところまで連続投稿!(不定期ですが毎日目標)。

面白かったらブクマ&感想で応援いただけると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ