王妃、幽閉
王城の謁見の間。
豪奢な赤い絨毯の上を、フローラは毅然とした足取りで進んだ。背筋は伸び、表情には迷いがない。だが、その瞳の奥にある焦燥は隠し切れぬほど濃く滲んでいた。
「陛下」
玉座に座すセドリックに向かい、王妃はまっすぐに言葉を投げる。
「王都近郊にて、“人が魔へと堕ちた”との報告が相次いでおります。各地で同じ現象が確認され、放置すれば取り返しがつきません。このままでは――」
「黙れ!」
セドリックの怒声が謁見の間に響き渡った。重苦しい沈黙が広がり、兵士や廷臣たちが顔を見合わせる。
そこへ一人の獣人が、獰猛な笑みを浮かべて進み出た。
王の側近、バルド・ザイラス。鋼のような体躯に乱暴な言動で知られ、力で王を取り巻く者たちを黙らせてきた男だ。
「王妃様の言葉は、ただの流言に過ぎませぬ!」
彼はわざと声を張り上げ、兵士たちの耳に届くように叫ぶ。
「民を惑わせる虚言を吐かれれば、この国は混乱いたします。王妃様こそ災いの種――地下牢にて頭を冷やすべきかと!」
「何を……!」
フローラの眉が怒りに震えた。だが彼女はすぐに深呼吸し、持参してきた地図を広げる。
「ご覧ください、陛下」
その指が示すのは、王都を取り囲むように記された赤い印。
「点ではなく、環を描くように広がっております。まるで――王都そのものを狙うかのように!」
「またその話か……」
セドリックは苦々しく目を逸らす。王の瞳には、恐怖と責任から逃げようとする影がちらついていた。
すかさずバルドが一歩踏み出し、低い唸り声を上げる。
「王妃様はご乱心なのです! このままでは王威が損なわれる。陛下、どうか御決断を!」
兵士たちがざわめき、空気がきしむように張り詰めた。
やがてセドリックは、背を玉座に預け、吐き捨てるように言う。
「……よかろう。王妃を連れて行け」
その瞬間、フローラの背筋に冷たいものが走る。
だが彼女は顔を伏せることなく、毅然と立ち尽くした。
兵士が近づく気配の中、もう一人の側近が進み出る。翼を持つ青年――レオネル・ヴァルカだ。
「陛下」
彼は落ち着いた声で言葉を挟む。
「せめて王妃様のお召し物だけは整えてからに致しましょう。無理に連れ出せば、かえって民に不信を与えましょう」
その一言に、フローラの目がわずかに揺れた。
セドリックは逡巡ののち、渋々と頷く。
「……よい。だが急げ」
兵士たちが王妃を取り囲む。
そのとき、レオネルはごくわずかに首を傾け、フローラの背後に控えていたエリスティアへと視線を送った。
それは一瞬の目配せだった。だが、確かな意志が込められていた。
――王妃を救うための時間は、わずかだが稼いだ。今、動けるのはおまえだけだ。
エリスティアは唇を噛み、強く頷く。胸の奥で脈打つのは、逃げ場を失った焦燥と、それでも仲間を守ろうとする誓い。
(……私が、この場を離れなければ)
彼女は懐に忍ばせた小さな通信機をそっと握り締めた。冷たい感触が、心を決意へと導く。
やがてフローラはリディアとフィオナを伴って地下牢へと連れ去られていった。
重厚な扉が閉ざされる音が、謁見の間に無慈悲に響く。
残されたエリスティアは、振り返らずに歩みを進める。
その足取りは震えていたが、瞳には確かな光が宿っていた。
(必ず、仲間のもとへ伝える。たとえこの身が裂かれようとも……!)
こうして、王妃幽閉の混乱のただ中で、エリスティアは決死の決断を胸に刻んだ。
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