王妃の吐露—湯けむりの誓い
湯けむりが静かに立ちこめる浴場。王城の奥に設えられたこの場所は、長きにわたり王族とその縁者しか使えぬ特別な湯であった。
今夜、その湯に身を沈めているのは、ルナリア王妃フローラと、王妃の従姉妹であるリディア、フィオナ。そしてエリスティアである。
亜麻色の髪を濡らしながら、フローラはふぅ、と長い息を吐いた。肩まで湯に沈めた姿は、民の前で毅然と立つ王妃とは思えぬほど、どこか無防備で、疲れを滲ませていた。
「……はぁ。ここに来ると、つい緊張の糸が緩んでしまうわね」
「当然です、フローラ様」
リディアがすぐに応じる。芯のある声音は、どこか姉のような響きを帯びていた。
「王妃である前に、あなたは一人の人。弱音を吐いてもいいのです」
「そうそう」
フィオナが頬を染めながら微笑む。湯面からのぞく鎖骨は白磁のように滑らかで、湯気の中で艶めいて見える。
「それに、ここにいるのは気心の知れた身内ばかりですし」
その言葉に、フローラは小さく笑い、視線をエリスティアに移した。
「身内と言えば……あなたも、そうね。私にとっては大事な“娘”のようなものだから」
「……恐れ多いお言葉です、フローラ様」
エリスティアは少しだけ頬を赤らめ、長い銀髪を指先で整えながら答える。
「ですが……私も正直に申し上げれば、ここ最近の異変には、胸が押し潰されそうで……」
その声に、浴場の空気が少し重くなる。フローラは小さく頷き、湯をすくい上げて掌から零した。
「……国土のあちこちで報告が届いている。人が“変わる”など、信じがたいことだったのに……。この調子で広がれば、いずれ王都まで……」
彼女の瞳が揺らめく。
「そして――もし“世界樹”にまで及ぶのなら」
リディアが低く息を呑んだ。
「それは……国の根幹が揺らぐことを意味しますね」
「ええ。世界樹は、民にとってただの象徴ではないわ。そこに根ざす精霊の加護あってこそ、ルナリアは大地に守られてきた。その樹が侵されれば……民の心も折れる」
フローラの声は震えていた。
その横で、エリスティアは瞳を閉じる。
「私の一族は代々、世界樹を護る役目を担ってきました。その重みは……痛いほど分かります。だからこそ、恐ろしいのです」
沈黙が落ちる。
その空気を破ったのは、リディアだった。彼女は湯から半身を乗り出し、王妃をまっすぐ見つめる。
「フローラ様。ならばこそ、まだ折れてはいけません。弱音を吐くのは結構。けれど、王妃として、最後に立ち上がるのはあなたでなければならない」
その力強い言葉に、フローラは目を見張り――やがて小さく笑った。
「……本当に。あなたの真っ直ぐさには、いつも救われるわ」
フィオナが、湯面を撫でるように指を動かしながら、柔らかく続ける。
「でもね、フローラ様。こうして弱音を吐けること自体、強さの証ですよ。無理を続ければ、いずれ心が折れてしまう。私たちは、あなたが壊れてしまう前に支えたいのです」
「……ありがとう。二人がいてくれることが、どれほど心強いか」
湯気に包まれたその場に、束の間の安らぎが広がる。
だがエリスティアは、その空気を壊さぬように口を開いた。
「フローラ様。守り人の一族として、私はまだ力不足です。ですが、散り散りになった仲間たちを、必ず集めます。世界樹を――この国を守るために」
その宣言に、フローラはまっすぐ頷いた。
「ならば私は、王妃としてその決意を受け止めよう。……ありがとう、エリスティア」
四人はしばし湯に身を委ね、言葉少なに互いの存在を感じていた。
揺らめく湯けむりの中で、王妃の吐露は誓いへと変わっていく。
弱さをさらけ出したからこそ、次に歩み出す力を得られる。
その姿は、やがて訪れる嵐を前に――確かな光を放っていた。
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