闇に綴られる密書
蝋燭の炎が揺れる。ソレイユ王国宰相執務室――表向きは静謐な空気が漂うが、机上に広げられた羊皮紙には黒々とした文字が連なっていた。
「……ふむ。セドリック王、随分と動揺しているな」
ヴァレンティス宰相は目を細め、受け取った密書を読み返す。
そこには、ルナリア国内で頻発している「住民が突然暴走する怪異」について、王妃フローラとエリスティアが強く危機を訴えていることが記されていた。
しかし文末には――
『民を惑わす声に過ぎぬ。王たる我が耳に、王妃の訴えは過ぎたる不安を煽るものと映る』
そう、王自らの筆致で。
「……愚かにも、王妃と側近を疑うか。やはり扱いやすい」
宰相の唇が冷ややかに歪む。
机の脇に控えていた大司教アドリアンが、にやりと笑った。
「王妃は民から慕われるお方。声を上げ続けられれば、王の権威を揺るがしかねませんな」
「だからこそ、切り離す。――教皇猊下の意向も同じだ」
ヴァレンティスはさらりと答え、筆を取る。
『ルナリアは誇り高き王国にして、外の手を借りるなど屈辱に等しい。勇者と聖女、そしてギルドとやらは信用ならぬ。真に国を守るのは王権のみである』
彼の書きつける文は、あたかも王の自尊心をくすぐるような響きで満ちていた。
さらに続ける。
『王妃やエリスティア殿の憂慮は理解に値す。しかし必要以上に民を不安にさせるのは、王権への挑戦と見なされかねぬ。彼女らを一時遠ざけ、王国の統治を盤石とされたい』
蝋を垂らし、宰相印を押す。
「これでよい。あの王ならば、己の弱さを悟らぬまま、この言葉を鵜呑みにするだろう」
アドリアンは喉の奥で笑う。
「やがて王妃は幽閉され、エリスティアもまた……。民の眼差しは王都から逸れ、混乱の責は彼女らに押し付けられる」
「そして混乱は我らが望む形で育つ。――依代の実験も次の段階に進めるのだ」
宰相は窓外を見やった。夜の闇が世界を覆い、その奥に潜む得体の知れぬ気配が蠢いているように感じられる。
すぐさま返書を携えた伝令がルナリアへ向けて走り出す。
***
その頃、ルナリア王城の私室では、セドリック王が焦燥を滲ませながら机に向かっていた。
「……宰相殿も同じことを申すか」
王は宰相から届いた密書をじっと睨む。
しかし、言葉の端々に散りばめられた「王の誇り」「統治の安定」という響きは、彼の不安を覆い隠すように甘美だった。
王妃フローラの真剣な眼差しが脳裏をよぎる。エリスティアの鋭い警告が思い出される。
だが、それを受け入れることは「自らの無力を認めること」と同義だった。
「王妃よ……。そなたの声は時に強すぎるのだ。民を惑わすほどに」
独り言のように呟きながら、セドリックはペンを取る。
『宰相殿の助言、まことに感謝する。王妃とその周辺の言葉は時に過ぎたるもの、統治の安定のため一時遠ざけるのも致し方なかろう』
震える筆先で、王は自らの決断を記した。
その紙片は、後に王妃とエリスティアを幽閉する根拠として用いられることになる。
しかし、このとき王はまだ知らなかった。
自らの弱さが、国を闇へと導く最初の楔となったことを――。
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