影蜘蛛の巣
森の奥へ進むにつれて、空気はさらに重く淀んでいった。
風は止み、雪の上には無数の足跡が入り乱れている。狼だけではない、もっと異質な――ねっとりとした“気配”が漂っていた。
「……嫌な予感がする」リュシアが小さく呟く。
「この匂い……血と鉄に、湿った糸の臭いだ」エリスティアの耳がピクリと動いた。
やがて、木々の間に白く光るものが見えてくる。無数の糸が幹から幹へと張り巡らされ、まるで森そのものが繭に閉じ込められているかのようだった。
「蜘蛛か……?」ジークの声は低い。
「普通の蜘蛛じゃないね」ミナが足元に落ちた糸を拾い、魔導器で測定する。
触れただけでパチパチと火花を散らし、焼き切れない。
「強靭すぎる……金属線並みだよ」
その瞬間、頭上から闇が降ってきた。
「――っ!!」
ロイクがとっさに盾を掲げる。重い衝撃とともに、巨大な影蜘蛛が叩きつけられた。脚は剣のように鋭く、体躯は馬より大きい。八つの眼が赤く光り、黒い毒液が滴る。
「ロイク、下がれ!」アマネが叫び、横から斬り込む。
だが、刃は糸に阻まれ、深くは通らない。
「硬すぎる……!」
「ジーク、こっちを頼む!」リュシアが結界を広げ、糸の雨を防いだ。
影蜘蛛は頭上から次々と降り、森の空間を埋め尽くしていく。十、二十……数え切れない。
「これが……巣か」エリスティアの声が凍る。
「巣というより……軍勢だ」ジークが歯を食いしばる。
ミナが急ぎ鞄から魔導器を取り出し、銃口を蜘蛛の群れへ向けた。
「網の結節点を狙う! 一斉に放電するから、みんな構えて!」
閃光が走り、張り巡らされた糸の一部が焼き切れる。その隙にアマネが突撃し、一本の脚を斬り落とした。
悲鳴のような甲高い音が響き、蜘蛛がのたうつ。
「ロイク、今だ!」
「お、おおおっ!」
青年は剣を振り下ろし、アマネの切り込みに合わせて深々と突き刺した。
巨体が崩れ落ちる。
しかし――森全体が揺れた。
地面の下から、さらに巨大な影が蠢き上がってくる。木々をなぎ倒して現れたのは、他の蜘蛛の倍はあろうかという巨体。背には無数の眼が並び、口からは糸ではなく黒煙を吐き出していた。
「……親玉か」アマネの喉が震える。
「こんなものが、この森に……!」リュシアの声にも驚愕が混じる。
巨蜘蛛は周囲の小蜘蛛を糸で絡め取り、次々と体内に取り込んでいった。まるで、群れそのものが一つの怪物に収束していくかのように。
「融合……?」エリスティアの顔色が青ざめる。
「これは自然じゃない。誰かが、意図的に仕組んでいる」ミナの声は震えていた。
ロイクは剣を構えながら、汗で手を滑らせそうになっている。
「……みんな、俺……逃げ腰になってないか……?」
「馬鹿。誰だって怖いわ。でも立つしかない」アマネが背中越しに言った。
「君の盾があるから、みんなが前に進めるんだ」
巨蜘蛛が大口を開き、黒い糸を吐き出す。リュシアが必死に結界を展開し、ジークが盾で押し返す。ミナは震える指で魔導銃を構え、エリスティアは矢をつがえる。
――その場に立つ全員の決意が、静かに重なっていった。
(これはただの討伐じゃない。スタンピードの始まり……!)
アマネの瞳が、灼けるように光を宿す。
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