外交官として—友として
王宮の応接室は、磨き上げられた床に冬の光が細く伸びていた。
背後には侍従と記録係。形式はいつも通り──だからこそ、アルトは自分の呼吸を一定に整えた。
扉が開き、エリスティアが入る。
旅支度の上に薄い外套。姿勢は崩さない。目だけが、急ぎを告げていた。
「お久しぶりです、エリスティア殿。遠路のご来訪、歓迎いたします」
「ご配慮に感謝します、アルト殿。急な願いを聞き入れていただき、恐れ入ります」
声は落ち着いている。ここに来るまで、彼女がどれほどの問いを受け、どれほど慎重に言葉を選んできたかが想像できた。
(賢い。公で口を滑らせる子じゃない)
アルトは内心で頷き、形式通りに席を勧める。
「来訪の理由は?」
「旧友への挨拶を。しばし滞在できればと」
「そうか。歓迎しよう」
机上で視線が交差する。侍従の筆がさらりと走る音だけが室内を満たした。
その刹那、エリスティアがほんのわずかに息を呑む。
アルトは記録係へ視線で合図し、茶の支度を命じた。湯の準備──すなわち、出入りと足音が生まれる。
雑音は、耳を守る壁になる。
「……昔と同じだな。無理をして平然を装うところが」
「……見抜かれるのは、あなたたちくらい」
記録係が戻る直前、エリスティアが低く、唇だけで言った。
「……“人が、急に別のものになる”現場を見た」
胸の奥で、古い痛覚が跳ねる。
(依代……)
学園の夜、仲間の背に覆い被さる黒い気配。皮膚の内側から、誰かが別の誰かにすり替わる感触。
思考がそこまで辿り着く前に、アルトは手を上げて、彼女の言葉をそっと遮った。
「この場で続きは不要だ」
声は柔らかく、しかし刃先は隠さない。
エリスティアの瞳が一瞬揺らぎ、すぐに理解の光に変わる。
侍従と記録係が一礼して退室する。扉が閉まる直前、アルトは立ち上がり、彼女の隣まで歩み寄った。
誰にも読めない角度で、吐息だけの声。
「(アマネに会え。ここでは言うな)」
「(分かった)」
二音分だけ肩が震え、すぐに凪ぐ。彼女はやはり賢い。
アルトは席へ戻り、今度は公務の声に切り替える。
「友好国の来訪者として、当面の滞在を許可する。客人としての身分証を発行し、護衛を付けよう」
「感謝します」
短い応答。形式の錠前をきちんと掛け直す。
(ここで“異変”の影を口にすれば、彼女も国も縛られる。事実は、正しい場所で解くべきだ)
退室ののち、回廊の曲がり角でアルトは掌に小さな通信機を伏せ持った。
振り返らず、吐息に紛らせる。
「……アマネ。至急、庵で。エリスティアが来た」
『分かった。すぐに整える』
金属の薄い震えが指先に伝い、すぐに沈黙へ戻る。
石壁に触れた手が、わずかに冷たい。
(見間違いであってくれ、では済まない匂いだ。けれど、ここで騒げば敵に道を示すだけ)
依代の記憶は、恐怖ではなく手順を思い出させる。
情報は狭く、迅速に。場は庵、芯はアマネ。自分は道を確保する。
アルトは表情を平らに戻し、歩を進めた。
外交官としての役を果たし、友としての誓いを守るために。
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