王妃の招待—癒しの序幕
王城の一角、王妃エリシアの私室。
重厚な石造りの城内でありながら、この部屋だけは不思議な柔らかさを持っていた。深紅の絨毯に、淡い香油の香り。ランプの灯火は強すぎず、静かに壁を照らしている。まるで、外の喧噪を遮断した小さな楽園のようだった。
「ようこそ、二人とも。今日は儀のことも、戦いのことも忘れて……女の子として、ただ甘えてほしいの。」
エリシアは、椅子から立ち上がり、自ら歩み寄ってアマネとリュシアを迎え入れた。勇者と聖女。国中がその名を口にし、称え、祈る存在。しかし今、この部屋でその肩書きは必要なかった。
アマネは一瞬、居心地悪そうに頬をかいた。「えっと……私なんかが、こんな場所に……」
隣でリュシアも小さく身をすくめる。「王妃様のご厚意は……嬉しいですが……」
そんな二人を見て、エリシアはふっと微笑んだ。その眼差しは王妃の威厳を脱ぎ捨て、ただ優しい母のようだった。
「私にとってはね、勇者も聖女も関係ないの。可愛い女の子たちを、ちゃんと労ってあげたいだけ。」
そこに控えていたクラリスが、ぱんと手を打つ。「そうよ。ほら、二人とも、もっと肩の力を抜きなさいな。せっかくの機会なんだから!」
「ふふっ、そうそう。こんな贅沢、そうそう味わえないんだから。」ミナも加勢するように声をあげる。二人は元気よく、場を明るく染めていく。
アマネは戸惑いながらも、徐々に笑みを浮かべ始めた。「……ありがとう、ございます。」
リュシアも静かに頷き、緊張をほどくように長い息を吐いた。
やがて、侍女たちが盆を抱えて入室する。香油の瓶や、絹の布、湯気を立てるハーブティー。
クラリスが小声で「これは王家御用達の秘伝よ」と耳打ちし、アマネの目が丸くなる。
「そんな……私たちのために……」
「そうよ。今日は特別。たまには贅沢に甘えなくちゃ。」ミナが胸を張る。
まずは肩のマッサージから始まった。
侍女の手がアマネの細い肩に触れた瞬間、アマネはびくっと体を震わせる。
「わ、わ……! なんか……すごい……!」
その反応にクラリスが笑い声を立てる。「ふふ、可愛いわね。ほら、力を抜いて。」
アマネは少しずつ身を委ねていき、やがて「……気持ちいい」と小さな声をこぼした。
リュシアも同じように施術を受ける。普段は凛とした姿勢を崩さない彼女だが、今はうっとりと目を閉じている。
「……こんな時間があるなんて、思ってもみませんでした。」
「リュシアだって女の子なんだから、こういうのは必要なのよ。」ミナが茶化すように言うと、リュシアは珍しく頬を染めた。
しばらくして、部屋の空気は完全に和んでいた。
アマネが「ふふっ、なんだか変な感じ」と笑い、リュシアがそれに「……私も」と微笑み返す。
二人の笑顔は儀式のときの緊張に覆われたものとは違い、年相応の少女のものだった。
エリシアはそんな二人を見て、そっと息を吐いた。
「本当に……あなたたちはまだ若いのよね。国中が勇者や聖女と呼ぶけれど、私は忘れない。あなたたちはまず、一人の女の子であることを。」
その言葉に、アマネとリュシアは小さく頷いた。
アマネは「……うん。私、今日は勇者じゃなくて、ただのアマネでいたいです」と言い、リュシアも「私も……聖女ではなく、リュシアとして……」と続けた。
ミナがそれを聞いて、わざとらしく大げさに拍手する。「よーし! じゃあ今日は勇者も聖女も禁止! 全員、ただの女の子ってことで!」
クラリスも笑って頷く。「いいわね。それが一番大切なことだと思うわ。」
部屋は笑い声で満ち、緊張は完全に消えていた。
その夜の宴は、静かで穏やかだった。
侍女が運んでくる料理は豪華だが、どこか温かみがあり、皆で分け合いながら食べることで親しみが生まれていく。
アマネとリュシアは、最初は恐縮していたものの、ミナに勧められ、クラリスに茶化され、気がつけば自然に笑い合っていた。
「こんな時間が、もっとあればいいのに……」アマネがぽつりと呟くと、エリシアは優しく答える。
「きっと、これからもあるわ。あなたたちが歩む道の先に、もっと大きな幸せも待っている。」
リュシアは目を細め、アマネの手をそっと握った。
「……信じられます。アマネと一緒なら。」
その光景に、エリシアの胸も温かくなった。勇者も聖女も、まずは少女である。その姿を忘れないように――そう願いながら。
その晩、王城の一室には、静かで穏やかな灯が揺れ続けていた。
それは戦いや政治の思惑から切り離された、ただの少女たちの笑顔を映す光。
そしてその笑顔こそが、国を支える力になるのだと、エリシアは改めて信じるのだった。
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