暗躍する影—宰相と教皇の策謀
厚い帳の降りた宰相府。外では雪が静かに舞っていたが、重厚な執務室の中には灯火が煌々と揺れ、盤上遊戯の駒が冷たい石盤に並べられていた。
宰相ヴァレンティスは、細長い指で黒い駒をひとつ動かすと、口角をわずかに歪める。
「……見事にしてやられたな。勇者の儀を“公開”で行うとは。あの王妃、侮れん」
盤上では白駒が一気に中央を押さえていた。まるで王都の大広場を埋め尽くした民衆の歓声を写すかのようだ。
「小娘どもが手を取り合い、あの場で勇者と聖女の座を確立するなど……。想定外だ」
低く笑う宰相に、対面する老獪な男が応じる。
教皇ヴィクトル・デ・ローザリア。白髪と長い髭を揺らしながら、豪奢な法衣の袖を組み合わせる。その眼差しは神聖というよりも、むしろ俗欲に濁っていた。
「想定外、か。いや……わしにとっては少しも意外ではない。あの王妃の“舞台仕立て”は見事というほかない。信徒どもは涙を流してひれ伏し、王家の権威は天井知らず。……だが」
教皇は喉を鳴らし、薄ら笑みを浮かべる。
「結局、奴らが示したのは光だ。ならば、我らが為すべきは闇を開き、その光を掻き消すことよ」
宰相は駒を二つ摘まみ、盤上から払い落とした。石床に落ちる音が妙に重く響く。
「同感だ。……だが正面から挑めば、国を敵に回す。下手をすれば我ら自身の首が飛ぶ。ゆえに、我らは裏から事を運ぶ」
「隣国、か?」教皇が目を細める。
宰相は頷いた。
「すでに幾つかの“実験”は進んでいる。魔を引き寄せる呪式を、辺境の森で小規模に発動させた。……あのエルフの娘が森で魔物に襲われたのも、その余波にすぎん」
「ほう、あれは余波か」教皇は楽しげに笑った。「ならば、さらに大規模に。災禍を引き起こし、あの勇者も聖女も巻き込めばよい」
宰相は冷徹な瞳で盤上を見下ろす。
「そうだ。小娘どもを“壮絶な災禍”の中で葬り去る。英雄が命を散らせば、王家は希望を失い、王妃の信用は地に堕ちる。残るのは混乱だ。その時、我らが導きを示せば――教会も宰相府も、真の権威を掌握できる」
「……うむ。実に良い。わしの言葉を求める愚民どもを、再び我が掌に戻せるか」
教皇は唇を舐め、欲望を隠しもしなかった。
「聖女だの神意だの、どうでもよい。わしが欲しいのは“座”だ。神の座と並ぶ、永遠の支配。魔王様の側近となれば、この老いさらばえた肉体でさえ、なお延命できよう」
その露骨な言葉に、宰相は鼻で笑った。
「お前の欲は相変わらず醜いな、ヴィクトル。しかし、だからこそ使える。魔王の囁きをも利用して、我らは人も国も駒にする。……目的は同じだ」
二人は一瞬、互いを睨み合った。どちらも相手を信用はしていない。だが、利得のためには協力を惜しまない――そんな冷たい結託だった。
「では、準備を進めよう。亜人の国を落とす。まずはそこからだ」宰相の声は淡々と響く。
「人と亜人が手を取り合う? 幻想だ。魔物の群れを送り込み、彼らを分断すればよい。エルフも獣人も、やがては人を恨むだろう」
「ふふ……美しい構図よな」教皇は立ち上がり、天を仰ぐように両腕を広げた。「闇の奔流に呑まれる時、民は必ず祈る。その時に立つのは――わしだ」
「そのときに操るのは――この私だ」宰相も応じ、駒をひとつ王の背後に忍ばせた。
重苦しい沈黙が流れる。
やがて二人は同時に、冷笑を浮かべた。
「さあ、小娘ども。束の間の平和を楽しむがいい」
「その光、いずれ闇に呑まれるのだ」
雪が深々と降り積もる夜。王都の華やかな余韻をよそに、権力の闇は静かに蠢き始めていた。
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