自己紹介ウィーク③—リュシア
午後の鐘が鳴り、教室にしっとりとした梅雨の空気が流れ込んでいた。
窓の外は灰色の雲に覆われ、陽光は差し込まない。
「次は――リュシア・フォン・カーディナル」
教師の声に、教室全体が一瞬で静まり返る。
椅子が軋む音すら消えた。
ゆっくりと立ち上がったリュシアは、金の編み込みを揺らしながら前に進む。
その姿は凛として、まるで舞台に立つ女王のようだった。
「私は教会本部より、聖女として学園に参りました」
澄んだ声が、曇天の教室に響く。
「聖女の務めは、勇者を支え、国を導くことにございます。
私はそのために祈り、学び、己を磨いてまいります」
完璧。
言葉の綾も、声の抑揚も、一切の隙がない。
拍手が自然と湧き起こり、生徒たちの瞳が尊敬と憧れに染まる。
けれど、アマネの胸には小さな違和感が芽生えていた。
(……“彼女自身”の言葉が、どこにもない)
その場に戻ってきたリュシアを、アマネは思わず呼び止めた。
「リュシアさん……」
碧眼が静かに向けられる。
近くで見ると、その美しさは圧倒的で、息を呑みそうになる。
「はい、アマネさん」
「その……さっきのお話、とても立派でした。でも……」
アマネは言葉を探し、唇を噛んだ。
「リュシアさん自身は……どうしたいんですか?」
一瞬、空気が止まった。
リュシアの碧眼がかすかに揺れる。
けれどすぐに微笑が整えられた。
「私自身、ですか……?」
小さく繰り返す声は、ほんの少しだけ震えていた。
「私は……聖女として勇者を支えるために、生きてまいりました。
それが私の……望みです」
完璧な答え。
けれど、その微笑みの奥には、曇天のような翳りが潜んでいた。
アマネはそれ以上追及しなかった。
ただ胸の奥で、何かがひっかかったまま残った。
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廊下に出ると、雨の匂いを含んだ風が吹き抜けた。
リュシアは一人、窓辺に立ち、雲に覆われた空を見上げていた。
その背中は完璧で、けれどどこか孤独だった。
アマネは胸の奥で小さく思った。
(リュシアさんの言葉を、いつか本当に聞きたい)
それが、このとき芽生えたささやかな願いだった。
お読みいただきありがとうございます。不定期ですが毎日更新を目指します。次回から小さく空気が変わります。