森に響く矢—孤軍の少女
夕暮れ前、深い森の中。
風を切る音とともに、鋭い矢が放たれた。矢羽根は月光のように淡い光を帯び、唸りを上げて灰色の狼の眉間を正確に射抜く。
「一……二……三……」
銀髪の少女が無表情のまま数を刻む。尖った耳が木々のざわめきを捉え、弓を引き絞る細腕には寸分の揺らぎもない。
彼女の名は――エリスティア。隣国から留学してきたエルフの少女。だが今は、護衛も仲間もおらず、森の中でひとり群れに囲まれていた。
倒れた仲間を踏み越え、さらに迫る影。十を超えるグレイウルフたちが、獲物を取り囲むように低く唸りをあげる。
「吠えるな……静かに眠れ」
淡々とした声。放たれた矢は再び正確に敵の喉を貫き、黒い血が飛び散った。
しかし――。
「……まだ、多すぎる」
低い呻き声とともに、地面がじわりと盛り上がった。泥のようなものが蠢き、ぬらりと伸びた触手がエリスティアの足首に絡みつく。
「……っ!」
思わず顔を歪める。マナスラッグ――魔力を吸う巨大ヒル。足を絡め取られた瞬間、体からじわじわと力が抜けていく。
「……離せ」
腰の短剣で斬りつけるが、ぬめる体はすぐに再生を始める。そこへさらに、ガチャリと音を立てて現れる骸骨兵――スケルトンソルジャー。錆びた剣を振りかざし、じりじりと距離を詰めてくる。
エリスティアは必死に矢を放つ。だが、足を絡め取られて自由に動けないままでは、包囲を突破するのは困難だった。
「……ここまで、なのですか」
独り言のように呟き、瞳を閉じる。
矢筒の残りは数本。足は拘束され、息も荒い。
その時――。
――ガキィン!
甲高い金属音が森に響き渡った。
振り下ろされたスケルトンの剣は、光の壁に阻まれていた。
「リュシア!」
「はいっ!」
少女の澄んだ声が重なる。眩い光の結界が広がり、エリスティアを包囲していた魔物たちの動きを一瞬だけ止めた。
次の瞬間、地を蹴って飛び込む影。
鞘走る音とともに、アマネの刀がマナスラッグを両断した。粘つく体液が飛び散るが、彼女の瞳には迷いがなかった。
「大丈夫!? もう一人じゃないよ!」
その背後から、アルトとジークが狼を押し返し、カイルが詠唱を始める。
「氷よ、縛れ!」
冷気が広がり、群れの一部が凍りついた。ミナが短剣を閃かせて隙を突く。
圧倒的な数の敵に囲まれながらも、仲間たちは迷いなく戦列を組む。
エリスティアは目を見開いた。
(……連携している。互いに支え合いながら……)
それは、自分が知る「勇者と聖女」の物語とは違っていた。
一人の英雄がすべてを救うのではない。仲間と共に立ち、仲間と共に戦う――そんな姿。
狼が一体、結界を抜けてエリスティアに飛びかかる。
その牙が届く直前――アマネの声が飛んだ。
「下がって!」
少女は自然に従った。次の瞬間、アマネの刀が弧を描き、狼の首を断つ。
その鮮やかな一撃に、エリスティアは思わず胸を打たれた。
「……あなたは」
息を呑み、言葉を飲み込む。
この状況で問うべきことではない。だが、心が勝手に叫んでいた。
(勇者……? それとも……)
仲間たちに囲まれながら戦うその背中が、どうしようもなく眩しく見えた。
戦いは続く。だが、孤軍奮闘から共闘へ――状況は大きく変わっていた。
森に響くのは、矢の音だけではなく、仲間の声と希望の響きだった。
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