夜更けの女子会—寝息とひみつ
女子寮の一室。
窓の外では虫の声が細く続き、夏休み直前の空気はどこか浮き立っている。
部屋の中央には低いテーブル。ハーブティーの湯気と、ミナが焼いたクッキーの甘い香り。三人はそれぞれ部屋着に着替え、枕を並べて座り込んでいた。
「明日で授業もおしまいかぁ」
アマネが湯のみを両手で包んで、ふう、と息を吐く。
「庵に行ったら、またみんなで朝から晩まで動きっぱなしだね。……楽しみ」
「わたしも楽しみ」
リュシアが自然な笑みで頷く。以前のかたさは消え、声の温度が柔らかい。
「アサヒさんに、季節の野菜料理の作り方を教わりたいな。ああいう味、好き」
「いいねいいね。私は保存食の研究メモをまとめ直して持ってくから、現地で一気に試作よ」
ミナがゴーグルを額に上げたまま胸を張る。
「それと——はい、これ!」
テーブルに、手のひらに収まる金属製の小さな丸い器具が三つ、からりと転がった。
薄い蓋の中心に透き通った小結晶。縁には細かい魔術刻印がぐるりと走っている。
「完成版・携行型通信機。通称“つうしんブローチ”!」
ミナは得意満面。
「耳飾りにも髪飾りにも服の内側にも付けられる。操作は簡単。中央の結晶に指先で触れて——ほら、ここ」
ちいさな鈴の音のような起動音。
次いで、ミナの声がほんの少し遅れてブローチから返ってきた。
『テス、テス。——ほら、遅延もこの程度。距離は学園から市門くらいまで余裕、庵でも問題なし!』
「すごい……!」アマネの瞳がぱあっと輝く。
「これがあれば、離れててもすぐ話せるんだね」
「庵に着いたら、みんな分も配る。エリシア……えっと、セレスさんの分も予備で作ってあるから」
ミナはいかにも「準備万端」と言わんばかりに胸を張った。
「で——」
一拍置いて、アマネがにやりと顔を寄せる。
「で? ミナは、もう試したの? ジークと」
「っ……!」
ミナの肩がぴくっと跳ねた。
「そ、それは……技術者として、最終試験は必要でしょ? だから昨夜、接続テストを——」
「どんな話を?」
リュシアが、涼しい声でとどめを刺す。意地悪というより、純粋な好奇心の目。
「ふ、普通の話! 今日の鍛錬メニューの相談とか、合宿の持ち物とか……」
ミナは早口になり、クッションを引き寄せて抱え込む。
「で、その……寝る直前まで喋ってたら、私が先に寝ちゃって……朝、会ったときに——」
「会ったときに?」
アマネとリュシアの視線が同時に前のめりになる。
「『寝息、可愛かった』って言われた……」
ぼそっ。ミナの頬が、湯のみの色より赤くなる。
「えぇぇぇぇぇぇぇ——っ!」
アマネの叫びに、枕がぽふっと跳ねた。
リュシアも思わず口元を押さえる。「それは、なかなか……」
「ち、違うの! そんなつもりじゃないの! テスト、テストだから!」
ミナはぶんぶん首を振りながら、なおも真っ赤。
「でも……なんか、安心してだんだん瞼が重くなって、気づいたら——」
「寝息、可愛かった……」
アマネが復唱して、こらえきれずに笑いだす。
「ミナ、幸せそう」
「……うん。幸せそう」
リュシアも、目尻を柔らかくして微笑んだ。その笑みは、見る者の心をふっと軽くする。
「も、もう。二人ともからかわないでよ」
ミナはクッションで顔の半分を隠しながらも、隠せない笑みが零れている。
「でもね、通話の最後にね、ジークが言ったの——『明日もお前の声、聞かせろ』って。……ずるい」
「ずるい」
アマネとリュシアが同時にうなずき、三人で笑った。
ひとしきり笑いが落ち着くと、今度はアマネがブローチを指でつまむ。
「これ、みんなで同じの付けるの、嬉しいな。離れてても“一緒”って感じがする」
「うん」
リュシアが少し考えてから言葉を選ぶ。
「私、前はこういう“繋がる”ものが少し怖かった。自分が誰かの声で塗りつぶされる気がして。でも今は——自分の声で、ちゃんと繋がれる気がする」
「リュシア……」
アマネの目が優しく細くなる。
「その言い方、すごく好き」
「ありがと」
照れて俯いた頬に、ほんのり朱がさした。
「……ねえ、恋って、どんな感じ?」
アマネがぽつりと呟く。無邪気さと真剣さが半分ずつ混じった顔。
「胸がぎゅってするの、たぶん私にもある。でも、それが“恋”なのか、ただの“好き”なのか、よく分からないや」
ミナはクッションを抱えたまま、天井を見上げる。
「うーん、私の場合はね——“声が聞きたい”が一日に何度も出てくる。会ってないとき、ふとした瞬間に思い出して、にやけちゃう。あと、寝る前に今日の出来事を話したくなる」
「分かりやすい」
リュシアがくすっと笑う。
「私は……その人の前だと、昔よりずっと自然に笑える。無理に“正しい言葉”を探さなくていい。黙っていても、胸の中が温かくなる」
「……いいな」
アマネは頬杖をついて、二人の横顔を見比べた。
「うん、なんか、楽しそう。私も——」
言いかけて、はにかむ。
そして、少しだけ視線が泳いだ。
(……アルト様と話してると、時々、言葉が出てこなくなる。あれは、なんだろ)
「アマネはアマネの速度でいいの」
ミナがすかさず笑いかける。
「焦らない。でも逃げない。……それで十分、可愛い」
「ありがと」
アマネも笑って、ブローチを掌でころりと転がした。
「じゃあこれは、まず三人でお揃い。明日、みんなにも渡そうね」
「配布式、楽しみだね」
リュシアが嬉しそうに頷く。
「ルシアンさんもアサヒさんも、きっと喜ぶ」
「エリシア——セレスさんは絶対“可愛い!”って言う。あの人、こういう小物ほんと好きだから」
ミナが肩を揺らして笑う。
「機能説明してる間に飾り紐を選び始めるタイプ」
「目に浮かぶ……」
三人の笑い声が、夏の夜気に溶けていく。
***
ひと段落して、灯りを落とす。
窓の外は月が薄く照らし、白いカーテンが風にそよいだ。
「おやすみ」
「おやすみ」
三人が枕を並べ、横向きになって、床板の冷たさを背中に感じる。
暗がりで、ミナがそっとブローチを胸元に当てて囁く。
「……今日は切っておこう」
そして自分で苦笑する。
(だって、また寝落ちしたら、明日の朝もからかわれるもの)
目を閉じると、昨夜耳にした、一定のリズムの寝息がふっと蘇る。
胸の奥が、じんわり温かくなる。
その隣で、アマネは天井を見つめていた。
今日、二人の話を聞けて良かった、と心から思う。
(私も——私の言葉で、歩いていけるように)
リュシアは小さく息を吐き、枕の端を握る。
(カイル……)
名前を口に出さず、心の内だけでそっと呼ぶ。
さっき語った“温かさ”が胸に広がり、長いまつげが静かに下りた。
寮の夜は更ける。
テーブルの上、三つの小さな通信機の結晶が、月明かりを受けて淡く光った。
離れても、また繋がるための灯りのように。
——やがて、三つの寝息が、同じリズムで重なっていった。
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