春のざわめき—勇者とは誰か、聖女とは何か
春。学園の門を吹き抜ける風はまだ冷たいが、桜色の蕾がほころび始めていた。
修道院での騒乱から数週間。表向きは収束したはずの出来事は、街や学園で未だ尾を引いていた。
「勇者は第二王子アルト様だ」
「いや、修道院を救ったあの黒髪の少女じゃないか?」
「でも聖女リュシアは形式から逸脱していると聞いたぞ」
「人のように笑う聖女など、前例がない」
市場でも、酒場でも、学園の中庭でも――誰もが“勇者”と“聖女”を口にしていた。
民衆にとって、それは日々の話題であり、未来を占う噂でもあった。
◇
学園の講堂。始業の鐘が鳴り、教師たちが新年度の挨拶を終える。
だが生徒たちの視線は、一様に二人へ注がれていた。
壇上に並ぶアルトとリュシア。
アルトは背筋を伸ばし、いつも通りの穏やかな微笑を浮かべている。
その隣でリュシアはわずかに緊張した面持ちをしていたが、以前の“人形のような無表情”ではなく、確かな息遣いのある少女の顔をしていた。
壇下に立つアマネは、その光景をじっと見上げていた。
隣でジークがぼそりと呟く。
「……やっぱり落ち着かねぇな。勇者が誰かなんて、本人たちの前で言い合うもんじゃねぇだろ」
ミナは肩をすくめ、けれど笑顔を見せる。
「でも、悪いことばかりじゃないわ。みんなが注目してるってことは、それだけ意味があるんだもの」
カイルは静かに頷き、眼鏡の奥で鋭い光を宿す。
「注目は力になる。けど同時に、縛りにもなる。……この空気をどう変えていくかが、大事だと思う」
アマネは拳を握り、心の奥で小さく呟いた。
(勇者が誰でもいい。私たちが一緒に進めるなら……でも――)
◇
講堂の片隅。教師たちの列から、イレーネ助教がにやりと笑って声を漏らした。
「ふふっ。青春ね。誰が勇者だって? そんなの、恋に落ちた顔を見れば分かるわよ」
「イレーネ先生……場を弁えてください」
セラフィーナ保健医が苦笑しながら窘める。
だがその口元にも、かすかな笑みが浮かんでいた。
カミル助教は腕を組んで、壇上の二人を見据える。
「形式がどうあれ……あの二人がいる限り、道は閉ざされない」
教師たちの視線もまた、揺らぎを帯びていた。
◇
こうして新たな年度が始まった。
修道院のざわめきは過去ではなく、未来の火種として残っている。
勇者とは誰か。聖女とは何か。
その答えを探す物語が――また歩き出す。
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