表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

137/471

黒き聖光の芽吹き

年の瀬の冷気が、石造りの修道院ごと骨身にしみていた。

礼拝堂には霜の匂いと古い香の残り香。冬の斜陽がステンドグラスをくぐり、青と紅の光を床に落とす。

コルネリア・フォン・ラウレンツは、ひざまずいたまま動かない。

両手を強く組み、唇だけが絶えず動いていた。

――主よ、どうか、どうかお応えを。

返ってくるのは、冷たい静寂だけ。

十歳のあの日から変わらない、空のような無音。

“神の声は続かない”と告げられた瞬間に凍りついた時間が、今も胸の奥で鳴っている。

祭壇の脇には、今朝「上より下賜」として届けられた木箱があった。

銀糸で縁取られた白布、祈祷に用いるはずの聖具、その底に一枚の羊皮紙。

『浄祓補助式』――そう題された小さな式文には、正式な祈りの文言に似ているが、いくつかの節回しが微妙に違う“記号”が紛れていた。

(力を示せば、再び選ばれることもある――)

耳に残る教皇の囁きが、ページの文字を光らせる。

“あなたは捨てられたのではない、試されたのだ”

その言葉が、凍りついていた何かを動かした。

コルネリアは箱から白布を取り、祭壇にそっと掛ける。

羊皮紙を胸に当て、深く息を吸い、式文をなぞった。

「……サンクトゥス、ルクス……私に降り、私を満たし……」

最初は、いつもの淡い光だった。

掌の上に乗る小さな灯。

だが、次の節を唱えた時――灯の縁が、墨のように滲んだ。

「……え?」

滲みは細い糸になって空へ立ちのぼり、天井の肋骨のような梁を這う。

燭台の炎が、青白く舌を震わせ、礼拝堂に影の縞模様が増えていく。

ステンドグラスの聖人の顔に、薄い影が走った。

(違う……これは、違う……?)

胸の奥で、かすかな警鐘が鳴る。

同時に、別の声が甘く覆いかぶさった。

――進め。恐れるな。お前は見られている。

――示せ。お前こそが正しいのだ。

式文の次の節を、彼女は噛まずに言えた。

今まで何度もつっかえた言葉が、今は滑るように喉を降りていく。

それが嬉しくて、怖かった。

足元の光の輪が、黒いレースに変わる。

蔵出しの葡萄酒のように濃い影が、床石の目地に染み込み、祭壇の段を縫うように広がった。

「コルネリア姉妹……?」

扉の隙間から覗いた若い修道女が、声をかけた。

振り向いたコルネリアの瞳を見た瞬間、彼女は言葉を失う。

灰色だったはずの瞳が、冷たい光を宿していた。

「大丈夫よ」コルネリアは微笑んだ。

「ようやく、応えがあったの。――見ていて」

黒い糸が修道女の足首にまとわりつく。

彼女は小さく息を呑み、やがて瞼を伏せた。

膝を折り、祭壇の方へと歩き出す。まるで導かれるように。

礼拝堂の壁に掛かった聖具がひとつ、またひとつと微かに鳴った。

それは鐘の前触れのようで、葬送の合図のようでもあった。

(私は捨てられていない。試されていたのだ。

今度こそ、示してみせる。私の祈りが正しいと――)

コルネリアは、もう一節、深く唱えた。

黒い聖光が波紋になって広がり、礼拝堂の空気は、冬よりも冷たく、甘い匂いを帯び始めた。


お読みいただきありがとうございます。いけるところまで連続投稿!(不定期ですが毎日目標)。

面白かったらブクマ&感想で応援いただけると嬉しいです。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ