形式の正義—声なき器
白亜の大聖堂の中は、静寂そのものだった。
ステンドグラスから射し込む光が、冷たく硬い床に反射し、淡い彩りを落としている。
祭壇前に立つのは、枢機卿オクタヴィアン。
その声は厳かでありながら、どこか鉄のように冷たい。
「聖女とは己の声を持たぬ器である。
己を捨て、ただ神の言葉を映す鏡。
そこに余計な感情や願望は不要だ」
言葉は礼拝堂全体に響き、跪く修道女たちの胸を縛る。
◇
列の中に座るリュシアは、その響きに小さく指を震わせた。
(声を持たない……器……?)
学園で仲間と笑い合った日々が、頭の奥で反響する。
けれど――今は言い返すことができなかった。
そんな彼女の隣で、ひときわ姿勢正しく座る修道女がいた。
銀髪をきちんと結い、清楚な修道服を纏った少女。
その横顔は凛と美しく、表情には一片の乱れもない。
「……コルネリア・フォン・ラウレンツ」
小声で呟いた神官の言葉を、カイルは聞き逃さなかった。
(彼女が……聖女候補に選ばれながら落選した、と聞いた人物か)
オクタヴィアンは続ける。
「彼女こそ模範だ。己を殺し、ただ神に仕える清き器。
これが聖女である」
称えられたコルネリアは、微笑んで一礼する。
その仕草は完璧――だが、目だけは冷たく、リュシアに鋭い視線を向けていた。
◇
儀式が終わり、修道女たちが散っていく。
カイルはリュシアのもとへ歩み寄った。
「リュシア……君は……」
「……私は、聖女として務めを果たすだけです」
微笑を浮かべるリュシアの声は、どこか遠く、かすれていた。
その背後から、冷ややかな声が響いた。
「それでいいのです、リュシア様」
振り返ると、そこに立っていたのはコルネリアだった。
「己を捨てれば、心は乱れません。
……私のように」
一瞬、彼女の瞳の奥に、鋭い棘のような光が走った。
カイルは言葉を失いながらも、胸の奥で小さく呟いた。
(……違う。あの瞳の奥には、まだ彼女自身の声がある)
(たとえ今は覆い隠されていても……きっと消えてはいない)
◇
遠くから二人を見ていた伯母マリアが、冷ややかな視線を落とした。
「カイル。余計な感情を持ち込むな。
お前の役割は“支える”ことだ。……聖女に口を挟むな」
その言葉にカイルは唇を噛む。
だが、彼の心にはもう芽生え始めていた。
――リュシアを人形に戻させてはいけない。
そして、コルネリアの完璧な微笑の裏に潜む冷たい影が、胸に不穏な予感を刻んでいた。
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