始業前のミサ—映す鏡の聖女
鐘の音が、学院の始業式を告げる前に街中へ響いていた。
大聖堂の扉は開かれ、生徒や教師、そして市民たちが次々に中へ吸い込まれていく。
荘厳な空気の中、壇上に立つリュシアは白衣を纏い、両手を胸の前で組んでいた。
その表情は澄み切り、声ひとつ立てない。
――いや、立てられないように見えた。
「聖女候補、リュシア・フォン・カーディナル」
司祭の紹介に合わせ、彼女はゆるやかに会衆へと礼を取る。
かつて学園で見せた柔らかな笑みはなく、仲間と交わした言葉の温もりもない。
ただ、機械仕掛けのように正しい所作を繰り返していた。
◇
祭壇の下からその姿を見上げるアマネは、胸に冷たいものを覚えた。
(……違う。リュシアは、こんな顔じゃなかった)
隣でミナが首をかしげる。
「妙に……固いよね。緊張してるのかな?」
カイルは眼鏡の奥で目を細めた。
「いや、あれは……“抑え込まれている”」
ジークとアルトも言葉をなくし、ただ壇上の友を見つめていた。
◇
一方そのころ、大聖堂の奥にある控えの間。
教皇ヴィクトルは椅子に腰かけ、ゆるやかに杖を撫でていた。
「……見事だ。己の声を沈め、神の器として従順に仕える。まさに理想の聖女の姿」
その横で、枢機卿オクタヴィアンが恭しく頷く。
「ええ。“神意を映す鏡”。これぞ聖女に求められる在り方でございます」
ヴィクトルの口元に、冷たい笑みが浮かぶ。
「この器ならば……いかようにも“導き”を授けられるだろう」
その言葉の裏に潜む意味を、オクタヴィアンは察しなかった。
だが、別の枢機卿ラファエルは眉をひそめ、ほんの一瞬だけリュシアの壇上の姿を見やった。
――その瞳に映っていたのは、“理想”ではなく、“哀しき人形”だった。
◇
ミサは粛々と進み、最後にリュシアが「祈りの言葉」を唱える。
彼女の声は澄んで美しい。
けれどアマネには、その響きがどこか遠く感じられた。
(リュシア……あなたの声は、どこにあるの?)
鐘が再び鳴り響き、ミサは終わりを告げた。
だがアマネの胸に残ったのは祝福ではなく、深い不安の影だった。
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