表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

月の石

作者: 島津 光樹

 月を見ると思い出す。

『夜の爪切り』と題されて飾られていた写真を。


 中学二年の時の文化祭。写真部のY君の作品だった。他の作品は躍動感に溢れる体育祭のリレーの写真や美しく咲き誇る満開の桜などの溢れるカラーの中、モノクロのそれはやけに目立った。真っ暗な闇に浮かぶ白い小さな二日月。あたかも爪をパチンと切った時に飛んだ欠片のようだった。

「何?気に入った?」

 当番で詰めてたY君が、写真の前から動かない私に気付いて声を掛けて来た。喋るのはその時が初めてだった。

「うん…。他の作品と比べて異彩を放ってる。なんか…惹きこまれる。」

 そう素直に感想を伝えた。

「そうか…。」

 Y君はそう言うと受付の机の所に戻った。それから、何かを手に戻って来た。『売約済み』と書いた小さな紙をその写真パネルの下にテープで張り付けた。

「?」

「文化祭が終わったらやる。」

「あ、ありがとう…。」

 別にそこまで欲しくはなかったが、折角の好意を無下にするのもなんだと思ってお礼を言った。私の他には見物客もいなかったので、会話を続けた。

「これ、どこで撮ったの?」

「内緒」と言ってからY君は続けた。

「まぁ…、別に隠すようなもんじゃないけど…。ここ、E川。」

「へ~。E川沿いにこんなに空だけが撮れる場所があるんだね。」

 そう、不思議だったんだ。二日月の他にはマンションの影も木々の端っこも全く写っていなかったから。

「場所さえ選べば、ね。」

 Y君はそう言った。黒縁眼鏡の奥の目がフッと夜の闇のように見えた。


 一週間後。下校放送に追い立てられるように図書室を出た私は、昇降口でY君に呼び止められた。

「Aさん。これ。」

 文化祭の時に飾られていた『夜の爪切り』の写真だった。

「パネルは部の備品だから、写真だけね。」

 そう言ってくれた。

「ありがとう。」

 曲がらないよう持ってた本に挟んだ。

「おまけに…これもあげるね。」

 そう言うとY君は学ランのポケットから取り出した物を私の右手にのせた。

「何…これ?」

 私の右の手のひらにあるのは軽石に似た小さな平べったい石だった。

「月の石。」

 Y君はそう言った。

「月の石?」

「そう。」

 そう言うとY君は「じゃあね」と手を振って去って行った。ぽかんと呆けていた私に「こぉ~ら、早く帰らんか!」と背後から声が掛かった。理科の先生だった。

「ねぇ先生、月の石って知ってる?」

 思わず聞いた。

「あぁ、知ってるぞ!アポロが持ち帰ったっていうやつだろ?博物館に飾られたりしているみたいだが、俺は嘘くさいと思ってるよ!そもそも…、アポロは本当に月に行ったのか?有名な月面着陸写真に他の星が一つも写って無いってのがなんとも胡散臭いね――って!そんな事はどうでもいいっ!もう下校時刻を過ぎてるんだから、早く帰れっ!この時期は暗くなるのが早いんだから、気をつけて帰れよ!」

 そう追い払われて、背後でガシャンと施錠された。陽が落ち、仄暗い空に上がった月を見ながら帰った。

 

 帰宅後。ネットで月の石について調べてみた。最も有名なものはスミソニアン博物館に展示されているようだが、月面探索中に収集された他の物質もまとめてそう呼ばれているようだ。国内では国立科学博物館にあるそうで、画像を検索して見たが、私がもらったそれとは全くの別物だった。

「からかわれたのかな…?」

 そう思いながら、もらった写真と一緒に本棚の端っこに置いた。

 そうして。いつしか、存在を忘れた。Y君とは一年の時のクラスが一緒だっただけで、あの時までは喋った事も無かったし、特に気になる異性でもなかったし。要は同じ学校に在籍してるだけの関係だったのだ。


     *****


 その存在を思い出したのは、中学三年の一月だった。

 高校受験が近付いて皆がピりピリとしている空気の中、飛び込んで来たニュースだった。

『男子中学生の遺体 E川で発見』


「え~…、大変悲しい事に…皆さんの大切な仲間が一人、いなくなってしまいました…」

 校長先生が臨時の全校集会で切り出した。こんな事があったが、皆はY君の分まで頑張って学校生活を送って欲しい。もしかしたら、マスコミに何か聞かれるかもしれないが対応する必要はない。そんな事を言われた。担任も同じような事を言っていた。

「受験前の大事な時期だ。自分の事を最優先していいからな。」

 そうは言っても、同級生の死は私達にとっては晴天の霹靂だった。テレビのニュースで目にする「誰かの死」はどこか違う世界の話のように思っていた。それが、同じ学校の知ってる人物の死、として突如やってきたのだ。新聞でもテレビでも取り扱われていた。学校から言われていたのに、一部の生徒はマスコミの取材を受けたようだ。汚れた運動靴だけが映る画面で、替えられた音声がY君について語っていた。

「あんま目立つタイプじゃなかったっス。あ、でも勉強は出来たっスね!だから、受験勉強に悩んでっていうのは考えられないっス…。」

「写真部で、月の写真も撮ってたから、今回もそれを撮りに行って足を滑らせたのかも…。でも…カメラは見つかってないんですよね…?」

「小学校一緒だったんですけど、六年生の修学旅行の時、急に帰ったのを覚えてます。なんでも母親が亡くなったとかで…。そっからはお父さんと二人暮らしだったはずだけど…」

「塾が同じで…。行方不明になった日も駐輪場で手を振って別れました。特にいつもと変わった所はなかった筈なんですが…」

 少しずつ見えてくるY君を取り巻いていた環境とひととなり。ひとしきり見終えてテレビを消そうとリモコンに触った時、自身の爪が伸びてる事に気付いた。切ろうと思って、母に訊く。

「ね~、爪切りどこ?」

「爪切り?洗面所の引き出しにある筈だけど、この時間はやめときなさいよ。」

「なんで?」

「昔っから、「夜に爪を切ると親の死に目に会えない」って言うのよ。」

「ふ~ん…」

 そんな事を聞いたら、切りにくくなる。私は爪切りを諦めて自室に戻った。そうして、存在を忘れていた写真と月の石を取り出した。見る度、爪の欠片に見える。Y君は母親の死に目に会えなかったのか…。もしかしたら、Y君は夜中に爪を切った事があるのかもしれない。想像でしかないが、Y君はそのせいで母親の死に立ち会えなかった事を後悔していたのだろうか?白黒の写真から、勝手にそんな事を考えた。

 そうして、月の石を握る。ひんやりと、冷たい。凍える月の欠片のようで、ふいに怖くなった。河原などから持って来た石は「帰りたい」と泣く話を聞いた事がある。もしかしたら、この石も帰りたがっているのかもしれない。


     *****


 翌日の土曜日。私は散歩に出掛ける事にした。

「わざわざこんな時期に?もう来週は受験なのに大丈夫?下手に出掛けて、風邪でもひいたら大変よ。」

 干渉してくる母を父が宥めた。

「まぁまぁ…。こんな時期だからこそ、少し息抜きしないと潰れてしまうよ。ゆっくりしておいで。でも、気をつけて行くんだよ。あんまり遅くならないようにね。」

「うん。行って来ます。」

 どこに行くかは聞かれなかった。私はバスに乗ってE川に向かった。ゆっくりと川沿いを歩きながら、何にも邪魔されずに空が見える場所を探した。多分、ここ、という場所を見付けて川辺に近付く。他の場所とは違い、そこだけ石の河原になっていた。私はコートのポケットに入れていた月の石を取り出し、他の石と見比べる。同じように見えて、どこか違う。もしかしたら、これは本当に月の石なのかもしれない。でも…。だったら尚更手放さないと、と思った。だって、私は平凡な地球人だ。この石が「月に帰りたい」なんて言い出して泣いてもどうする事も出来ない。そんな事を考えながら握っているうちにこの石の形にピッタリの使いみちを思いついた。

「そうだ!」

 月の石はいったんポケットにしまい、足元の石の中から平たい石を拾い上げる。右肩をぐるぐる回してから、その石を川面目掛けて投げた。

 ピッ、ピッ、ピッと勢いよく水面を跳ねてから、石は沈んだ。何度か練習してコツを掴んでから、月の石をしっかり握って大きく体を使って投げた。ピピピピピピと小気味よいリズムで石は川面を跳ねて進んでいく。二十回までは数えた。その後は分からない。でも、他の石の時のように水飛沫は上がらなかった気がするので、もしかしたら対岸まで行ったのかもしれない。

 スッキリした気分で私は帰宅した。


     *****


 そうして、今は大学三年の一月。もうすぐバレンタインとあって、チョコレート商戦が賑やかだ。この時期にしか並ばない海外チョコがあるので、自分へのご褒美を買いにあちこち覗きに行く。その催事場の隅に小さな量り売りコーナーがあった。そこの商品名に私の目は吸い寄せられる。

『月の石』とあった。他では『ストーンチョコレート』と称されて売られている小さく色とりどりにコーティングされたチョコだ。思わず買った。


 それから、その足で久し振りにE川のほとりに行った。もうじき夕暮れ。犬の散歩をする人達がせわしなく通り過ぎる。私は石の河原に座って、『月の石』として売られていたチョコが入ったカップを取り出し、いくつか食べた。色は違うけど、どれも同じ味がする。食べながら、Y君の事を考える。Y君の死に事件性は無いと見られ、当時は事故として処理された。

 それが、先日の殺人未遂事件で再び脚光を浴びた。妻が財産目当てに再婚した夫を殺そうとした事件だ。被害者は医師であり、Y君の父親だった。逮捕された妻が取り調べ中に喋ったのだそうだ。

「昔、川に落としたあの子と同じ所に行かせてやろうと思った」と。

 当時、Y君の父との再婚を控えていた女にとって、前妻の子であるY君は邪魔だった。彼に写真を撮る趣味があると聞いた女は、彼がよくE川のほとりで写真を撮る事を知り、ある日計画を実行したらしい。

「私も月の写真を撮ってみたくて…」

 そう言ってY君からカメラを借りた後、Y君を突き落としたんだそうだ。彼は無言でこっちを見た後、川に吸い込まれたらしい。冷たい水中に落とされた彼は心不全で亡くなった。河原は石だ。特に足跡も残らない。カメラは中古屋に売ったと言っていた。その後の女はぬくぬくと暮らしていた。ブランド品を買いあさり、美食にうつつを抜かし。そんな生活がエスカレートしてホストクラブに通い出してからはもっとお金が必要になった。夫の定期預金等もどんどん解約してつぎ込んでいたらしい。それがバレて犯行に至ったそうだ。

「なんだかなぁ…。」

 一人の命は己の快楽の為の資金より軽かったのだろうか?なんだか悲しくなる。

「はぁ~ぁ…。」

 溜め息をついて見下ろす足元に、なんだか見覚えのある石があった。

「んっ!?」

 思わず手を伸ばし拾い上げる。上から下から、全方向から見てギュッと握りしめた。間違いない!これは六年前に私が投げたあの月の石だ。

「マジか…!?」

 ビックリして対岸を見る。六年前、水切りして対岸に着いたこの石をまた別の誰かがこちらに向かって投げたのだろうか…。

「はぁ~…。こんな事があるなんて…。もしかして…君は私の所に帰りたかったのかい?」

 思わず、石に向かって問いかける。石は答えない。当たり前だ。無機物だもの。でも、それが石の意志のような気がした。

「仕方ない…。それなら一緒に家に帰ろうか…。」

 私は月の石を六年前と同様、コートのポケットに入れた。それをポケットの中で握りしめているとほんのりあったかくなった気がした。まるで石が喜んでいるみたいだ。

「そうだ!」

 いい事を思いついた。不思議検証番組にこの石についてのメールをだしてみよう。採用されれば、この石が本物の月の石かどうかを検証してもらえる。あの岐阜羽島にある研究所で分析してもらえるかも!?


 そう考えたら、楽しくなった。

 Y君が何を思ってこの石をくれたのかは分からない。ただ単純に同級生をからかっただけかもしれない。卒業時にネタバレするつもりが、あんなことがあって叶わなくなっただけかもしれない。

 でも…。そんなのもうどうでも良かった。一度手放した筈の月の石がまた私の所に戻ってきた。それだけで充分だ。だって、これは奇跡だ。こんなこと、人生で何度も起こる訳じゃない!


 あ、ちなみに私は夜に爪は切りません。


     ‹終›

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ