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真昼の星を結ぶ  作者: ばやし せいず
第3章 星の世界
45/50

45 暗闇に目が慣れるまで

「え、エレベーターが止まってる!」


 姉の住むマンションのホールで母が叫んだ。張り紙によると、漏水のために明後日までエレベーターが使用できないという。


「階段で十階まで運ぶなんて無理よねえ」


 我が家から運んできた台車を見下ろし、母はおろおろし始めた。

 台車の上にはダンボールが二つ。それぞれの中には一般家庭用の蓄電池と、二リットルの水が入ったペットボトルが六本詰められている。狼狽する母にあきれてため息をついた。


「止まってるのは偶数階のエレベーターだけだよ」

「あら、本当」


 母は恥ずかしそうに笑い、すぐ隣の奇数階用のエレベーターのボタンを押した。

 姉のマンションにはエレベーターが二台あり、一台は奇数階、もう一台は偶数階と一階にとまるようになっている。

 だから、奇数階用のエレベーターで十一階まで行って、一つ下りてくればことは済む。


「視野が狭いな。本当に保育士なんて務まったのかよ」

「失礼ねっ!」


 十一階の非常階段の前に荷台を止め、俺は水の入ったダンボール、母は蓄電池を抱えて階段を下りることにした。この高さなのに、階段の脇の排水溝に枯れ葉と泥が溜まっている。台風は既に去り大きな被害を残さなかったが一度だけ停電があった。


 昨晩、ちょうど姉がミルクに使うお湯を沸かそうとした時だった。電気はすぐに復旧したが、腹を空かせた赤ん坊のニコルが阿鼻叫喚、という具合だったらしい。

 姉の話を聞いた母が我が家の蓄電池と飲み水を提供することにしたそうだ。


「日頃からちゃんと備えておけよな」

「そんなこと、満里奈に言わないでよね。……あ」


 母は非常階段から少し身を乗り出し、真っ暗な空を見上げた。


「ちゃんと足元見なよ」

「星が出てると思って。でも一個だけ。夏の大三角かしら」

「星?」


 飲み水の入ったダンボールを抱えたまま、母を真似て空を仰ぐ。非常階段の屋根と隣に建つビルの間に一つ、小さな光が浮かんでいた。


「この街でも見えるんだ……」

「一等星と惑星くらいは見えるわよ。今の時期はベガとデネブとアルタイル。明け方にはオリオン座も見えるんじゃないかな。冬限定じゃないのよ、オリオン座は」

「なんで詳しいの」


 ダンボールを下におろし自分の腕を休めながら訊く。


「昔、プラネタリウムへよく連れていったじゃない。大地が澄空くんくらいの頃」


 全く記憶に無い。人生初のプラネタリウムは、校外学習で科学館に足を運んだ時だと思っていた。


「暗闇に目が慣れるまでじっと待つといいって言われたわよね。そうするとたくさんの星が見えるようになるって」

「もう忘れちゃったよ」

「そんなもんよねえ、子どもなんて」


 澄空だって、「せんせー」と呼んでいたご近所さんのことなんてすぐに忘れてしまうのだろう。

 そして、野田も。


 姉の家のインターフォンを押すと、ニコルを抱いた姉がドアを開けた。


「ありがとう。重かったでしょ。あがって休んでいって。旦那の出張のお土産も出すからさ」

「俺は先に帰ってる。忙しいんだ」

「今度、最終面接なんですって。練習してるのよね」


 脱いだ靴を揃えながら母は嬉しそうに言う。リビングからシエルとノエルが出てきて「おばあちゃん、こっち来て!」と母の腕を引っ張った。


「面接、頑張ってね」


 ニコルのむちむちの腕を揺らし「バイバイ」させる姉の目元はクマができている。

 その顔をまじまじと見ていると「何?」と睨まれた。


「姉ちゃん、俺の面倒よく見てくれたよな。ありがとう」

「え、なに急に。気持ち悪いな」


 姉は眉間に皺をよせ顔をしかめさせたが、緩んだ口元は隠しきれていなかった。


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