32 一生
「このにおいっ! コロッケだあ!」
野田家にお邪魔するや否や、持参した買い物袋を澄空に奪われた。
「他人のものを勝手にとっちゃダメ!」
髪を一つに束ねた野田が弟を追いかけようとする。
「いいよ。お土産だし。あんなに喜んでくれるとは思わなかった」
――カレーを作りすぎたので、よかったら。
晩御飯の誘いを受け、野田家にお邪魔することになった。一昔前の漫画やらドラマやらで使われるようなシチュエーションだ。
電話を受けた時、ちょうど商店街の肉屋の前を歩いていたので、カレーのトッピングにしたらよかろうと思いコロッケを三つ買ってからマンションに向かった。
「私も商店街に用事があった時にはここのコロッケを買うんです。おいしいですよね」
野田がキッチンでカレーとコロッケを温め直している間、澄空と一緒にリビングで遊んでやった。
懐中電灯を向けたようにリビングの中に夕日が差し込んでいる。カーテンを閉めないと目も開けられない程の光量だった。見晴らしのいい高層階も一長一短という気がしてくる。
家の中は以前よりもすっきりとしていた。
おもちゃや絵本が散らばっていない。カラーボックス等の小さな家具も無くなっている気がしたが、訪れたのはずっと前だったから記憶違いかもしれない。
澄空にせがまれ、オリジナルの点つなぎを作ってやることにした。
白紙にペンで点を打ち番号を振ると、澄空はご機嫌で取り組んだ。やはり十を過ぎたあたりからが難しいようで、魚の点つなぎを作ったつもりだったのだが出来上がった絵はアメーバだった。
「お待たせしました」
野田はキッチンから皿を乗せたトレーを運んでくるが、重そうで危なっかしい。点つなぎを中断し手伝うと、澄空が「パパとママみたい」と言って喜んだ。
ちゃぶ台にコロッケ付きの豪華なカレーライス、ガラムマサラの袋、レタスとミニトマトのサラダ、ドレッシングを並べていく。澄空のカレーのニンジンは星の形をしていた。
「せんせーのカレーにあこがれしたの」
澄空が嬉しそうに皿を持ち上げて見せてくれた。
三人で手を合わせ、忘れずにガラムマサラをかけてから野田お手製のカレーを口に運ぶ。
「うまーっ!」
思わずうなった。
「野田のカレー、すごいうまい! 何か入ってんの!?」
「『うまー』なんて、いっちゃダメ!」
「『うまー』じゃなくて『おいしい』か。言葉遣いに気を付けます」
「先生が教えてくれた玉ねぎペーストとリンゴペーストを入れたんです」
「それだけ? うちのカレーよりう……おいしい。本当に」
「あ、あとカレールーのおかげかもです。ちょっとマイナーなカレールーだけどおいしいんですよ。うちにたくさんあるので、よかったら帰りに持っていってください」
あっという間に平らげ、おかわりまでさせてもらえることになった。
皿にごはんをよそうためキッチンに立つ。
炊飯器の置かれた棚の横に半透明の梱包材のロールが立てかけられているのが目に入った。
正式名称は「気泡緩衝材」、俗称は「プチプチ」。
作品を学外へ運ぶ時によく使うから、大学のロッカーにも常備している。
巻かれるほどの長さのあるこのプチプチを、一般家庭で使う理由が思いつかない。
「今度の土曜日の花火大会、一緒に行きませんか。二人で」
野田が澄空の食べこぼしを拭きながらそう訊いた。
「ごちそうさま」を済ませた澄空は観たい番組があると言って、テレビの前で懸命にリモコンを操作している。
「うちのベランダからも見えるんですけど、もっと近くで見てみたいなと思って」
毎年夏の終わり頃になると、ここから少し離れた川で花火が打ち上げられる。この地方では有名な花火大会で、屋台が出るし大勢の客も訪れる。
例年だと高校の同級生たちと繰り出すのに、思い返せば今年は誰からも声が掛かっていなかった。就職したり恋人ができたり、中には子どもが生まれた奴もいて、それぞれが何かと忙しいのだ。
「二人でって、澄空は?」
「その日は母と澄空が二人で父のお見舞いに行くことになってます」
澄空はテレビを観ながら一人でげらげら笑い転げている。
「生徒と二人で花火大会ってどうなんだろう」とつまらないことを言う自分と、「元生徒ですよ」と返す野田を想像する。
「いいよ。行こう」
今度の土曜日ならちょうど二次試験も終わっているから、スケジュールにも問題は無い。見当違いな言い訳もした。
帰り際に、野田おすすめのカレールー一箱を貰った。カレールーと引き換えるように、苦労して手に入れたリップを渡す。
「なかなか手に入らないのに、千葉先生すごい!」
船渡川の言っていたとおり、野田は大喜びだった。
「澄空に見つからないようにしなくちゃ」
テレビに夢中になっている澄空がいるリビングを振り返り、野田が笑った。
「一生大切にします」
大げさなことを言われて、俺も笑った。




