表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
真昼の星を結ぶ  作者: ばやし せいず
第1章 内緒の子ども
3/50

3 野田海頼

 「同級生に隠し子」だなんて、まさか本気で信じているわけではないだろう。

 しかし、そんな眉唾な噂話に花を咲かせて喜んでいるような、あどけない子どもたちなのだ。


「高等部の生徒の一部に、ギャルいない?」


 涼真がそんなことを訊いてくる。


「いる。何で知ってんの」

「実は俺の、再従妹(またいとこ)藤ヶ峰(ふじがみね)の二年生。船渡川(ふなとがわ)梓紗(あずさ)ってやつなんだけど」


「あ、わかる。髪の毛が明るい生徒だよな。涼真のこと話してみるわ」

「染めてるのに地毛だって言い張ってるんだよ、あいつ」


 船渡川梓紗。

 担当クラスの生徒ではないが、見た目が派手で、友達と廊下でけらけら笑っている姿をよく見かけるので顔が思い出せた。


 彼女は二年一組、ハイレベルコ―スの生徒だ。

 そのまま内部進学できる普通コースと違って、難関大を目指すハイレベルコースは試験をパスしなければいけない。普通コースに比べて授業数も課題も多い。

 船渡川は賢いギャルのようだ。


「大地に教えてくれる先生は美人なのか? おばちゃん?」

「おっさんなんだよ。その先生がまた癖が強くてさあ」


 指導教諭ついて愚痴っているうちに開店時間になってしまった。

 シャッターの向こうで小学生たちが待っていた。店番の邪魔をするわけにもいかず、デッサン用の鉛筆を数本買ってから店を出る。


 カレーを作るよう言付けされていたことを思い出し、画材店から三軒隣のスーパーに立ち寄った。

 両親が仕事の日、食事の用意は自分の役目となっている。「料理なんて面倒せえな、やらねえよ」と威張るような年齢でも立場でもないので、今日も素直に任務を遂行する予定だ。

 姪たちが我が家に泊まりに来る日の献立は、いつからそうなったのかは忘れたが、カレーと決まっている。

 具材は鶏肉か豚肉か、その日の気分で決めていた。牛肉は高価なので滅多に買わない。


 カレーの材料を買い揃えスーパーを出る。

 通路の端に立つ一人の少女の姿が目に入った。着ているのは実習先である藤ヶ峰の高等部の制服だ。


 よく見ると、隠し子がいると噂されていた二年三組の野田海頼だった。

 船渡川とは違って模範的な生徒で、裏を返せばこれといった特徴が無い。しかし噂話のせいと言えばいいのか、おかげと言えばいいのか、彼女の名前はぱっと出てきた。

 「野田海頼」という名前と噂話と一緒に、彼女のスケッチブックの中身が思い出される。


 おざなりに引かれた鉛筆の線、今朝の空のような意図を感じさせない色使い……。


 商店街の片隅で、野田はスマホの画面をじっと睨んでいた。現代の若者はああやって毒にも薬にもならない情報を集めている。別に特異な光景ではない。

 ――彼女が、足元で泣きじゃくる男の子を無視しているのでなければ。


「ねえってばあ!」


 幼稚園児くらいの男の子が号泣しながら野田のスカートの裾を引っ張っている。皺がついてしまいそうだが彼女は意に介さず、スマホに夢中になっていた。


 全く、今どきの若者は。

 子どもが泣いているのによく無視できるものだ。

 どうにか相手にされようと、その子は徐々に声量を上げる。


「おねえぢやあああああああん! うわああああああああん!」


 ――野田海頼って、隠し子がいるらしいよ。


 そう話していた生徒たちの品位に欠けた表情を思い出し、うんざりとした気分になる。

 なるほど、今まさに目の前で繰り広げられているような光景を誰かが目にして「隠し子」だなんて冗談を言ったのだろう。どう考えたって年の離れた弟か、もしくは親戚の子だ。


 俺はふと思い出す。

 昨日、おかしな夢を見た気がする。

 野田が子どもを抱えてこの商店街を走っている夢だ。


 あれは、現実だったのだろうか?


「あ、そろそろだ!」


 野田はようやくスマホから顔を上げ男の子の腕をつかむ。

 癪に障ったらしく、男の子は腕を振り払い絶叫した。そして何を思ったのかウリ坊の如く走り出した。

 こちらに向かって。


「スカイ!」


 野田に「スカイ」と呼ばれた男の子は前方を確認せず走り出し、勢いよく俺の足にぶつかってきた。


「だ、大丈夫か!?」


 反動で後ろにひっくり返りそうになった少年を慌てて抱える。スーパーの買い物袋から玉ねぎが落ちそうになった。


「……」


 男の子は目を真ん丸にして立ち尽くしている。

 柔らかそうな赤いほっぺたは涙で濡れ、口の周りが茶色く汚れていた。


「す、すみません!」


 野田が慌てて駆け寄ってくる。目が合って、彼女は「あっ」と声を上げた。


「奇遇だな」


 野田は答えず、慌てた様子で革のスクールバッグを開け、中からハンカチとウェットティッシュを取り出し、手に押し付けてきた。

 彼女の指先の皮は痛々しくめくれている。


「失礼します」


 それだけ言うと男の子を抱きかかえ走り去ってしまった。


 何故、ハンカチとウェットティッシュを渡されたのだろう。

 違和感を覚え、自分の膝を見下ろした。ズボンに茶色い、小さな手の跡が二つついている。

 渡されたウェットティッシュを一枚出して汚れを擦るとカカオの香りがほのかに立った。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ