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真昼の星を結ぶ  作者: ばやし せいず
第3章 星の世界
28/50

28 ベガ

「勉強がしたいです」

「べ、勉強? 本気で言ってるのか? どこまで真面目なんだ。もっと遊んだほうがいいよ」


 覚悟したはずなのに、余計な言葉が口からどんどん飛び出してくる。


「その、今の成績は正直そこまで良くないんです」

「育児してたら、しかたないよ」

「でも、弟の面倒見てるんだから勉強できないのはしかたがないって、どこか自分に言い訳しているような気もして。だから、言い訳ができる環境じゃなくなったら、その分良い成績がとれるように頑張りたいんです」


「あっ! ベガだ!」


 夜の公園に声が上がる。


「ベガ、動いてるよ!」

「あれは星じゃなくて飛行機」


 さっきの、虫取り網を持った親子連れだった。興奮する男の子の頭に、冷静なお父さんがぽんと手を乗せる。

 頭上の明かりは雲間を抜け、轟音とともにあっという間にマンションの向こうへ過ぎ去っていく。間もなく空港の滑走路へ着陸する飛行機だろう。


「この街って、星が見えないですよね」


 野田も夜空を見上げている。今日は曇が多い。たとえ晴れていたとしても、星芒(せいぼう)はビル群の作る夜景に負けてしまう。

 生まれ育ったこの街は天体観測には向かないのだ。どうしても星が見たかったら車をとばして田舎へ行くか、プラネタリウムが映し出す偽物の空を眺めるしかない。


「本当は今頃、夏の大三角ってやつが見えるんだっけ」

「はい。ベガとアルタイルとデネブ、三つの星を結んでできる三角形ですね。夏の大三角っていうけど秋くらいまで見えるんです。本当は」

「へえ、物知りだな」


 星に関する知識なんて、「夏の大三角というものがあるらしい」ということくらいしか持ち合わせていなかった。


澄空(すかい)とプラネタリウムに行った時に解説員さんが言ってたんです。子どもと一緒に過ごしていると物知りになるんですよ。先生は、デネブってどういう意味か知ってます?」

「えー。なんだろう。心臓?」

「正解はお尻です。デネブは白鳥座のお尻の位置にある星なんです。心臓の位置に星があるのはさそり座ですね」

「白鳥座にさそり座ね。星と星を結んで、なんでそれが人や動物になるんだよって思わなかった? こじつけだよな、あれ」

「こじつけですよね。澄空のやる点つなぎのほうがマシかも」


 彼女は笑い、「では、星座は何個あるでしょう」と楽しげにクイズを出す。


「百?」

「八十八です。じゃあ、星座の中で唯一楽器の形をしているものは?」

「唯一? えー、わかんない。ウクレレ座とか?」

「こと座でした。こと座の一等星がベガです。夏の大三角の中で一番明るい星って、ベガらしいですよ。……あっ、クイズにしようと思ったのに、答えを言っちゃった」


 野田に笑顔が戻ってきてほっとしていた。


「七夕のお話だと、ベガが織姫星、アルタイルが彦星、デネブがカササギの橋だそうです」

「カササギって鳥?」

「鳥です。カササギが橋になってくれるおかげで織姫様と彦星様は会えるんです。幼稚園でも七夕祭りをやったらしくて、澄空が笹の葉と短冊を持って帰ってきてくれたんです。『お父さんが元気になりますように』って短冊に書きたかったんですけど、澄空は少しずつ字が読めるようになってきているし『何書いたの』って訊いてくるだろうから何も書けなくて。……ちゃんと書いておけばよかったかな。でも七夕の日は雨だったから、書いたとしても織姫と彦星には見てもらえなかったかも」

「じゃあ今から書くか。願いごと」

「今夜だって曇りですよ」

「でも、雲の向こうには夏の大三角があるんだろ。授業でポエムやらなかった? 『みんなちがって、みんないい。』じゃなくて……」

「『見えぬけれどもあるんだよ。』ですか? 金子みすゞの『星とたんぽぽ』ですね」


 野田はにこりと笑うと、『星とたんぽぽ』を暗唱してみせた。



 青いお空のそこふかく、

 海の小石のそのように、

 夜がくるまでしずんでる、

 昼のお星はめにみえぬ。

 見えぬけれどもあるんだよ、

 見えぬものでもあるんだよ。


 ちってすがれたたんぽぽの、

 かわらのすきに、だァまって、

 春のくるまでかくれてる、

 つよいその根はめにみえぬ。

 見えぬけれどもあるんだよ、

 見えぬものでもあるんだよ。




「記憶力がいいんだな」


 野田に小さな拍手を贈った。さすが、ハイレベルコースに在籍していただけのことはある。

 

「初等部の時に国語の授業で暗唱しなくちゃで、アズとすっごく頑張って覚えたんですよ。それにこの詩、海頼の『海』も澄空の『空』も入ってるから、大好きなんです」


 野田は星を眺めるように空を見上げる。


「確かに曇りの日も雨の日も、昼間でも星はありますね。見えないだけで」

「俺が言いたかったのはそういうことよ。だからー」


 ところどころ絵の具で汚れたリュックをつかむ。中からクロッキー帳とデッサン用の鉛筆を二本取り出した。

 クロッキー帳は薄い紙を合わせたスケッチブックのようなものだ。本来の用途であるクロッキーもするし、講義のノート代わりにも使っている。中から紙を一枚抜き、折り目を付けて長方形になるように割く。


「ほら。お願いごと、書けば」


 できあがった雑な短冊と鉛筆を貸す。余ったもう半分の紙には自分も願いごとを書いておいた。


 「野田のお父さんが元気になりますように」。


 出来上がった短冊を掛けるための笹と紐は持ち合わせていない。細長く折りたたみ、公園の入り口の植込みの低木に結んだ。


「これって、おみくじみたいです」

「カタチはなんでもいいから、お願いしておけばいいんだよ」


 見えないけれど、星は確かにあるのだし。


「そういえば、藤ヶ峰ってキリスト教なのに七夕するんだ」

「そうですね。しますね、何故か。七五三も成人式もやります」


 細めた目元がまだ濡れている。

 涙を拭う権利は持っていない。


 男の子がベガと間違えた飛行機が再び、星の無い夜空を駆け抜けていく。


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