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真昼の星を結ぶ  作者: ばやし せいず
第2章 可視光線
26/50

26 かわいそう

 大学の帰り、疲れのあまり電車の中でつい舟を漕いでしまった。


 ホームに降り立ち、上屋と上屋の間からのぞく空の黒さに目を丸くする。いつまでも日が沈まず明るいと思っていたのに、最近は夜の七時を過ぎると幕を下ろしたかのように暗くなってしまう。


 商店街の百均にも驚かされた。

 棚に並んでいた虫カゴや虫取り網は全て片付けられ、代わりにオレンジ色の装飾品で埋め尽くされている。よく見ればカボチャをモチーフにしたハロウィングッズたちだった。

 お盆休みは過ぎたが、まだ夏だ。先取りしすぎはやめてほしい。就活中ということもあって季節の移ろいを意識すると無駄に気がはやる。


 来週、とうとう藤ヶ峰(ふじがみね)で二次試験を受けることになっている。

 来校して模擬授業をやらなければならない。「じゃあこの質問に答えられる人~?」なんて、生徒に見立てて席に並べた教員たちを前に先生ごっこをさせられるのだ。気が重いったらありゃしない。


 今日、大学に行ったのは教授たちに模擬授業の対策をしてもらうためだった。夏休み中にも関わらず快く指導してもらえたのだが、帰り際には「ここまでよくやったよ」なんて涙ぐまれてしまった。まるで二次試験で落ちると確信しているかのようだ。新卒で美術の専任教師になることは、それくらい望み薄らしい。


 奇跡的に二次試験に合格すれば、あとは最終面接が待っている。仮装して浮かれた若者たちが駅前を徘徊する頃には、藤ヶ峰女学園の教師になるか否かが決定しているはずだ。


 何か買っておくものはあっただろうかと思いスーパーの前で立ち止まる。スマホのメモアプリを開こうとして、着信履歴に気が付いた。「のだ」からだ。

 かけ直すとすぐに応答があった。


澄空(すかい)に何を言ったんですか」


 「どうした?」と口にする前に怒鳴られた。今までに聞いたことのない声色で。


 ついスマホの画面を見返す。通話時間が表示されているだけで、相手の表情はわからない。

 しかし明らかに、怒っている。わざわざ電話してくるほど腹を立てているようだが、心当たりがまるで無い。


「父の病気のこと、どうして先生が知ってるんですか。学校の先生から聞いたんですか?」

「え?」


 父というのは、野田のお父さんのことか。


「ごめん。なんのことだかさっぱり……」


 そう返しつつ、澄空の発言や美術館で見た野田の涙を思い出す。

 父の病気。野田家の秘密はそれだったのかと、一人で勝手に納得していた。


「父が病気だって、千葉先生が澄空に教えたんじゃ……」

「全然知らなかった。学校の先生たちからも何も聞いてない。ただの実習生にそんなこと教えるわけないよ」


 きっぱりと言い切った。

 それが野田を落ち着かせる一番の手段だと思ったが、功を奏したかどうか。

 画面の向こうで微かに息遣いが聞こえた気がした。手に汗をかきながら野田の反応を待つ。


 アーケードの下のスピーカーから商店街のテーマソングが流れている。陽気な昭和歌謡のような節回しの曲が一度途切れ、ひったくり防止キャンペーンの実施を知らせるアナウンスが流れた頃、野田が「すみません」と呟いて沈黙を破った。


「勘違いでした。私、てっきり……」

「今、どこにいる?」

「自宅です」


 声を震わす野田のずっと遠くで、女性が喋っている。姉くらいの年齢の声の低さで、野田に対して声を荒らげているように聞こえた。


「すみません。今、母が澄空を寝かしつけてて。うるさくなっちゃうので切りますね」

「じゃあ、外で話そう。マンションの前の公園まで来れるか?」


 野田が「行けます」と答えてくれて、ひとまず胸を撫で下ろした。


 通話を切り損ねたことに気付いていない野田の「外で電話してくる」という声がスマホから漏れる。くぐもった声で、彼女の母親が返事した。不鮮明で内容は聞き取れなかったがまだ苛立っているようだった。

 なんであんたが不機嫌そうなんだよと、会ったことも無い人間に毒づく。


――どんな人たちなのかしらね。まったく!

――送り迎えって親がやるもんでしょ?

――その子の親は何してるわけ?


 回想に急かされるように商店街を駆けた。

 家族が病気になるなんて一大事に決まっている。

 それはわかるけど、だからって野田の負担があまりにも大きくないか。


 それに、事情が事情とはいえ自分の家の中で電話することも許されないなんて、いくらなんでも野田がかわいそうだった。


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