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真昼の星を結ぶ  作者: ばやし せいず
第2章 可視光線
24/50

24 男の子

 マンションのホールは無駄に日当たりがよく、空調設備が無いため蒸し風呂のようになっていた。郵便ポストの隣のベンチに座っているだけで汗が噴き出てくる。


 約束の時間ぴったりにエレベーターが到着した。ドアが開くのを待ちきれないという様子で澄空(すかい)が飛び出して来る。

 澄空はは以前会った時よりより髪が短い。夏らしくさっぱりした髪型だった。


「危ないでしょ!」


 叫びながら野田も続いてやってきた。白いシャツとジーンズを履き、美術館に行った時よりもカジュアルな服装だった。


「澄空、どこに行きたい? どこでも連れてくよ。遊園地以外なら」


 電車一本で水族館へも博物館へもたどり着く。どんな希望も叶えてやりたいが、遊園地はチケット代が掛かるからさすがに無理だ。


「こーえん!」

「公園なんかでいいのか?」


 遠くへ連れてってやろうと張り切っていたのだが、なんだか肩透かしを食らったような気分だった。


「じゃあ、自然公園に連れて行ってもらったら」


 この街には一日中過ごせるような広い自然公園があり、バスで十五分ほどで着く。遊具もたくさんあって子どもは楽しいだろうが、遠出という感じはしない。


「いくー!」

「澄空がいいならいいけどさ」


 野田はトートバッグから帽子を取り出し澄空に被せ、紐付きの水筒をたすき掛けにした。


「野田としたことが、装備が足りてないな」


 顎に手を当てる。


「あ、あとタオルもありますよ」

「夏の公園だぞ。虫取り網とカゴと虫よけスプレーと……。じゃぶじゃぶ池もやってるだろうから、着替えも要るな」

「すみません、公園ってあまり連れてかなくて。着替えならすぐ持ってこられますけど、うちには網もカゴも無くて」

「普段、公園に行かないの?」

「夏以外ならたまに行きますけど、今の時期は日焼けするのでなるべく行きたくないんです」

「女子には死活問題だな。でも、自転車に乗る時に帽子と手袋してなかったっけ」

「指先や足は防ぎきれないからどうしても焼けちゃうし、帽子も手袋も暑いんですよ。何より恥ずかしいんです、あの格好」

「女子高生が好き好んでする装いじゃないよな」


 澄空の着替えを取りに行くと言って野田はエレベーターに再び乗り、すぐに帰ってきた。着替えの入ったプールバッグだけではなく、澄空のヘルメット、それに黒いバッテリーも持っている。


「よかったら私の自転車を使ってください。公園の中も移動できて楽ですよ」


 野田がマンションの駐輪場へ案内してくれた。屋根の下に電動アシスト付きの自転車がとめてある。野田は車体にバッテリーをはめ、澄空をチャイルドシートに乗せた。

 子どもを乗せて自転車に跨ったことは一度もない。マンションの前の公園に移動し、少し練習させてもらった。ペダルに足を乗せ少し体重をかけただけで車体がふわっと前に進む。スピードを出してみると自分たちの周りだけ湿度が下がったような気がした。


「ばくそうだー!」


 チャイルドシートで澄空が体を揺らす。公園の中を一周したらすぐに慣れた。車体が倒れないよう、転回する時にだけ気を遣えばよさそうだ。


「じゃ、行ってくるよ」


 公園で自転車を漕ぐ練習をしただけなのに、三人とも額に汗を浮かべていた。


「もしかしたら出かけるかもしれないんですけど、いいですか?」

「当たり前じゃん。思う存分、羽を伸ばしなよ」

「……」


 野田は真夏の日差しの下、以前「お願いします」と言った時と全く同じ顔を浮かべている。


「不安か?」

「あ、いえ……」


 彼女ははっとして表情を戻そうとする。


「そうだ、連絡先教えて。もし何かあったらすぐ知らせるから」


 他人の家の子を預かるのだから、連絡先を知らないのはまずい。メッセージアプリの連絡先に「のだ」というアカウントが追加される。


「おねえちゃん、ばいばーいっ!」


 少しはぐずるかと思っていたが、澄空はにこにこと自分の姉に手を振って別れを告げた。


「うん、ばいばい」


 澄空を送り出す野田のほうが寂しそうだ。


「先生、よろしくお願いします」

「じゃ、行ってくるよ。危ないから離れな」


 野田が木陰に移動する。


「しゅっぱあつ!」


 自転車を走らせ公園を出た。振り返ると木陰の下に野田はまだ立っていた。

 迷子になったことにやっと気付いた、幼児のような表情だった。




 自然公園へ向かう前に商店街の百均に寄った。狭い駐輪場に自転車をとめ、二人で冷房の効いた店内に入る。


「はあ、すずしい」


 澄空が気持ちよさそうに言う。入ってすぐの棚に目当ての物がずらりと並んでいた。


「せんせー、それ、なあに?」

「これで虫をつかまえるんだよ」


 虫取りカゴと二本の網を見せた。


「むし、こわい。すかいはいらない」

「何言ってんだ。たくさんつかまえて、お姉ちゃんに見せてやろうよ」


 会計を済ませ、再び自転車に乗り今度こそ公園を目指す。

 途中で傾斜のきつい坂道を通ったが電動アシストが付いているので楽々のぼることができた。社会人になったら貯金して、通勤用に電動自転車を購入するのもいいかもしれない。


 自転車に乗ったまま公園内に侵入し、林の横の整備されていない駐輪場にとめる。虫取り網を貸してやるなり、澄空は「せんせーをいためつけるぞお!」と言ってバシバシ叩いてくる。

 「痛めつけるなんて言葉を知ってるのか」なんて感心してる場合ではない。


「人のことを叩くんじゃないの!」

「男の子ねえ」


 ウォーキング中の女性たちがにこにこしながら横を通り過ぎる。


 虫取り網を一度回収し、先にじゃぶじゃぶ池へ向かった。夏以外はからからに乾いている円形の広場めがけて水が噴出し、巨大な水たまりのようになっている。

 子どもたちが水着、あるいは服のまま入って水遊びを楽しんでいた。

 塩素くさいじゃぶじゃぶ池の周りの花壇に腰かけ、楽しそうに水遊びする澄空をスマホで撮影する。しかしその写真をいちいち野田に送りつけるなんてことはしなかった。


 澄空を預かることを知った姉から、「よっぽどのことが無い限り、野田さんには連絡しないように」とアドバイスされている。せっかく子どもと離れてゆっくりしている時に頻繁に連絡が来ると休んだ気がしなくなるからというのが理由らしい。だから、無事に自然公園に到着したことだけ報告し、それ以降は連絡していない。


 小学生くらいの男の子二人が澄空の周りで遊んでいた。大きな水鉄砲で撃ち合っていたが、飽きたらしくポイっと放って走り回っている。

 澄空は放置された水鉄砲の周りをうろうろしている。触ってみたいのだろう。持ち主が近くにいるのだから「貸して」と言えば済むのに、もじもじとしているばかりで何もしない。かけっこに夢中になっている男の子たちは当然、澄空の様子に気が付かない。


「さむーい!」


 諦めた澄空が叫びながら戻ってきた。着替えとタオルの入ったプールバッグを持って立ち上がった。




 まだ髪の湿った澄空と手をつなぎ、公園の林の中へ踏み入る。


「蝉、なかなかいないなあ」


 虫取り網を持って木を見上げるが、蝉たちはなかなか姿を現さない。

 澄空は落ち葉を踏みながら楽しそうに歌っている。幼稚園で習った「せみのうた」という童謡だそうだ。


「いたっ」


 トゲが刺さったような痛みが脚に走る。澄空がふざけて爪を立てたのかと思い見下ろすとふくらはぎに蝉がとまっていた。


「ぎゃああっ!」


 驚きのあまりつい大声を上げると澄空が体をびくっと震わせた。


「こわーい!」

「俺は木じゃねーよ!」


 振り払おうとしても蝉は脚にしぶとくつかまり続けている。鷲掴みにしようとしたが、おしっこを掛けられ茂る葉の中に逃げられた。心の中で「くそっ!」と悪態をつく。蝉はヒトを馬鹿にするように、頭上でまたシャカシャカと鳴き始めた。


「せみとるのやめるう」


 すっかり怖気づいたらしく、澄空は虫取り網を投げた。そっぽを向いて遊具のある広場へ歩こうとする。澄空が日向に出ると足元に真っ黒い夏の影ができた。


「網もカゴもせっかく買ったんだから、もっと探そうぜ」

「もういい。こわい」

「怖くないってば。つかまえてお姉ちゃんに見せてやるんだろ」


 しかし澄空は聞く耳を持たない。とことこと逃げるように走り出したかと思ったら、すぐにぴたっと足を止めた。


「せみ、みつけた!」


 刺すような日差しの下、澄空がしゃがみこむ。網を拾ってから澄空を追い、水分を失って乾ききった白い地面を確認した。

 蝉はいたが、ひっくり返り、六本の足は何かを抱え込むように閉じている。体に黒い蟻が群がっているのにびくとも動かない。


「ありさんもみっけ」


 澄空は少しも躊躇せず、蝉の死骸にたかる蟻を指で押しつぶそうとした。


「あっ、こら!」


 仕留めそこない、細い指の隙間から蟻が逃げる。澄空は執拗に小さな生き物たちを潰そうとする。

 手首をつかんでやっとやめさせた。蟻は何事も無かったかのように、また死骸に戻っていく。


「生き物を潰すな。死んだらもう元に戻らないんだから」

「シンダラって、なに?」


 真ん丸の目に見つめられた。


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