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真昼の星を結ぶ  作者: ばやし せいず
第2章 可視光線
23/50

23 覚悟

「千葉先生、今日で最後ですか?」

「うん、最後だよ」


 自習室を施錠しながら野田に答える。

 明日から世間はお盆休みに突入し、アルバイトの契約も予定通り今日で切られる。お盆直前だからか、自習室に訪れる生徒の数はがくんと減って三年生数名と野田一人しかいなかった。


「ところでさ、ご両親はお盆も仕事?」

「仕事ですね。お盆休みが関係無い職場なので」

澄空(すかい)の幼稚園はお盆中は休みなんだよな?」

「そうです。だから私が家で遊んであげようと思ってます」


 野田は「乗り切れるか不安ですけど」と苦笑いを浮かべた。


「そっか、じゃあちょうどよかった。実はあげたいものがあるんだ」

「あげたいもの? 私にですか?」

「野田の誕生日から少し日が経っちゃったけど、よかったら野田に『時間』をプレゼントをしようかと思って」

「『時間』、ですか?」


 彼女は目をぱちくりさせる。


「俺が澄空を預かるよ。だから野田はゆっくり休んで」


 お盆期間中は大学も完全に閉鎖されてしまう。教授たちに会うこともアトリエに行くこともできないから、多少は時間に余裕があった。


「すごくありがたいですけど、先生にそこまで甘えるわけには」

「気にしないで。お礼も兼ねてるから」

「お礼?」


 首を傾げる野田に、本気で「先生」を目指していることを打ち明けた。藤ヶ峰(ふじがみね)女学園に応募し書類選考に通ったことはまだまだ隠すつもりだ。不採用になったら恥ずかしい。


「先生を、目指す?」

「うん。教え方が上手いって野田が言ってくれたことがきっかけなんだ。だから、何かお礼がしたくて」

「……今までは先生になるつもりが無かったのに、どうして教育実習に来たんですか?」

「う」


 澄んだ目で訊かれ、言葉に詰まる。


「ご、ごもっとも。……まあとにかく、野田のおかげで進路が定まったし、感謝してるんだ。俺と澄空でどこか出かけてくるから、家でゆっくりしたり買い物したりすれば」

「……いいんでしょうか」

「いいんだよ」


 野田はよく清掃された床をじっと見下ろし悩んでいる。

 十数秒ほどしてやっと、「お願いします」と顔を上げた。

 戦地へ赴くことが決まり腹を固めたとでもいうような大げさな表情で、つい笑いそうになった。





「え、明後日ぇ?」


 二日後に澄空を預かることになった旨を話すと、何故か母は慌て始めた。


「どうしよう。その日は仕事があって休めないのよ」

「なんで母さんが来るんだよ」


 母は卓上カレンダーを細目で睨んだままカレーライスにガラムマサラをかけている。手元を全く見ていないから、赤く粉がダイニングテーブルにこぼれてしまった。


「じゃあ大地と澄空くんが二人だけで出かけるってこと?」

「そう。まあ、数時間だけな」

「へえ、よく大地に預けようと思ったわねえ」


 母がテーブルを拭く。言わんとしていることはなんとなくわかった。


「俺がシエルたちの世話をしてたことは野田も知ってるし、だから安心なんじゃない?」

「世話って」


 母がぷっと噴き出した。今度はスプーンですくったカレーのルーがぽたっと垂れた。


「きたねーな」

「ごめん。でもさあ、あんたは別に世話ってほどのことはしてないじゃないのよ」


 布巾(ふきん)に手を伸ばし、母はまだ笑い続けている。


「してただろ。公園で遊んだり、習い事に連れてったり」

「夜泣きをなだめるために深夜のドライブに出かけたり、昼寝の時間を調整して健康診断に連れていったりっていうのが『世話』よ。あんたのはただのお手伝いでしょ」


 母はこっちをちらっと見て笑うのを止め、「でも確かに、よその叔父さんはそこまで面倒見ないよね」と取り繕う。

 息子が腹を立てているのを察したようだ。


「よっぽど野田さんに信頼されてんのねえ、大地」

「……されてんのかな」


 思い返せば、野田が「お願いします」と言った時の表情は、信頼というよりは覚悟に見えた。

 藤ヶ峰_でのアルバイトも終わり、先生と生徒という関係は完全に終了した。これからはお互いご近所さんとなる。

 現代社会においてご近所さんというのは、つまり赤の他人のことを指す。

 野田は、赤の他人にかわいい弟を預けるために腹を括ったのかもしれない。


「……母さんだったら、近所の人に自分の子どもは預けられない?」


 母は「ご近所さんでしょー?」と悩むふりをする。


「私なら抵抗あるかな。かなり」


 苦笑いして母は食事を再開する。


「このカレー、いつもより煮込み時間長いでしょ? おいしいわあ」


 リビングの隅でバラエティ番組を観ていた父が、「話題の替え方が親子でそっくりだ」と笑った。


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