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真昼の星を結ぶ  作者: ばやし せいず
第2章 可視光線
20/50

20 重力に抗う

 野田も入場できないことに気付いたのか、色づいた唇を不満そうに曲げていた。


「……どう思います?」

「まあ、しかたがないだろ」

「本当は黒いチェックのワンピを注文したんです。でも届いたのはこのピンクのチェックで、電話で問い合わせたら交換するのに一週間くらいかかるって言われちゃって。だから、しかたなくピンクを着てきたんです。普段はピンクなんて着ないのに……」

「……な、なんの話?」

「ワンピの話ですっ!」


 野田は泣きそうな顔で言う。


「メイクも髪もこのワンピに合わせたらなんか、ぶりっ子っていうか……」

「似合ってるんだからいいじゃん。それより」

「似合ってます!?」


 ぱっと顔を上げ野田が詰め寄る。思わず後ずさった。


「フツーに、似合ってると思うけどな」


 似合っているというか、何と言えばいいのか、そう、「かわいい」。

 しかしそれは元実習生として、飲み込まなければいけならない言葉だった。


「……じゃあ、よかったです。チケット買いましょうか」


 満足そうにくるりと振り返った野田は、チケット売り場に張り出された「完売」の二文字にうそっと声を上げた。目当ての展示を見られないという事実をようやく知ったようだった。


「そ、そんな」

「印象派は無理だけど、あっちの展示なら入れそうだよ」


 大きなポスターを指す。この美術館収蔵の作品の展覧会が同時開催されているという。


「現代アートが多いみたい」

「現代アートですか……。感想が書きやすいと思って印象派の展覧会に来たのに、現代アートだなんて」


 野田は尻込みする。


「気持ちはわかるけど、隣に美大生がいるんだから安心しなさい。ほら、行くぞ」


 それぞれの学生証を提示し窓口でチケットを購入した。リーフレットを受け取り、長蛇の列の横をすり抜け第二展示室を目指す。

 長いエレベーターを上りきると展示室の入り口があった。モネやゴッホの作品はここには一つも飾られていない。そのためか、第二展示室は悲しくなるくらいガラガラだった。

 しかしそのおかげで好きなように好きなだけ作品を鑑賞することができるし、小声でなら野田と話せそうだ。むしろラッキーだった。


「難しすぎて、レポートを書く自信が無いです」


 会場を見回し野田がため息をつく。


「すごいっていうのは、わかるんですけど」

「じゃあその『すごい』を具体的にしていこう。今、一番気になった作品は?」


 野田は中央に置かれた彫刻を指さす。天井まで届きそうなほどの高さがある。


「まず、これを見て何か思った?」

「うーん。迫力がある、とか……? そんなありきたりなことでいいのかな」

「そんなんでいいんだよ。あとは?」

「どうやって設置したんだろうって思いました。こんなに大きいのに」

「『どうやって設置したのか気になったので家に帰って方法を調べました』って書いておけば、レポートの評価が高くなるんじゃない」

「打算的ですねえ」

「そんなのでいいんだよ」


 野田は「なるほどです」と頷き、撮影許可のマークがついていることを確かめてから作品の写真を撮った。そしてスマホの画面をタップし感想をメモしている。

 少し進むと、壁に六点の巨大な絵画が飾られていた。全て同じ作者だった。


「これ、室内を描いてるんでしょうか? あれは天井?」


 六点のうち一点の絵画を野田が指さす。

 画面は一見、単色で塗られているだけに思えたが、作品の前に立つと奥行きを感じた。画面の端に、大小の円が二つ、重なって描かれている。シリコン型で形を整えた目玉焼きのようにも見えた。

 よく見るとそれは目玉焼きではなく、シェードを掛けた照明だった。


「他の五つの絵も天井かな。あれ? こっちは畳だから、真上から見下ろしてるんですね」


 六点のうち三点が真下から見上げた天井の絵で、残り三点は真上から見下ろした床の絵だった。天井と床の絵が交互に並べられている。


「なんで天井と床の絵を描いたんでしょう? 天井と床の絵なのに壁に飾られているから、なんていうか、視界がぐるんと回ったみたいで、ずっと見てると気持ち悪くなってきそう。子どもの時に遊園地で入った、壁が回るびっくりハウスみたい……」

「お、今の感想いいんじゃない? 『気持ち悪くなった』ってメモしておけば」

「気持ち悪いだなんて書いていいんですか?」

「いいんだよ。視点について言及しておくといいと思う」


 「天井や床を描くのが好きだったから」という単純な理由の他に、「気持ち悪さ」を表現したいという動機があったのではないだろうか。そうでなければ天井と床の絵を交互に並べないだろう。

 そう思ったが、誘導的になってしまうので野田には言わなかった。芸術家を目指すのでなければ、鑑賞するうえで一番大切なのはやはり、鑑賞者それぞれの感性だ。




 順路通りに展示場を歩いていくと、照明を落とした暗いブースにたどり着いた。中では映像作品が投影されている。

 観賞用のベンチに二人並んで腰かけた。

 映像にストーリー性は無いようで、裸体に薄い布をまとった中年の女性が床を這うように前に進み、顔を上に向ける。


 この女性が作者だ。

 彼女のことは知っていた。大学の講義で彼女を取材したドキュメンタリーを観たことがある。絵画や彫刻の制作を通し、社会からの圧力や偏見と向き合おうとしているのだそうだ。映像作品も制作していることは、今日初めて知った。


 映像の中で彼女が何を見上げているかはわからないが、頭上から光がぼんやりと差し込んでいる。光に向かって起き上がろうとしてはまた力を失くしたように床に手をついてしまう。その繰り返しだ。宗教儀式のようにもコンテンポラリーダンスのようにも見える。


「苦しそうに見えます」


 映像に顔を向けたまま野田が呟いた。


(やまい)をテーマに活動しているみたいだから、そうかもね」


 ブースの中には二人きりしかいなかったが、スピーカーから絶えず風のような音が流れている。この音も作品の一部だろう。お互いに声を潜めた。


「先生、この人のこと知ってるの?」

「大学の講義で知った。若い時に病気になったことがきっかけで、病気をテーマにした作品が多いらしい」

「病気……。今も生きてるんですか?」

「うん。闘病しながら、今も精力的に活動を続けてるんだって」


 長い間を置いて「生きてるんだ」と彼女が頷く。


「重力に逆らうみたいに何度も立ち上がろうとしてますね。……苦しみだけじゃなくて、生きる希望みたいなものも伝わってくる」


 野田には申し訳ないのだが、この作品を前にして口にする「生きる希望」という言葉は、随分と安っぽく響くと思った。でも、芸術ってそういうものだ。

 生きる希望、病魔に打ち勝つ、絶望の中の光……。

 作品はある程度、言語化することができる。アーティストは言葉を持たなければならないと、芸術家でもある教授たちから諭されてきた。

 しかし作品を通して作者が表現しようとしたものは、言語の外側にある。だから、豊富な語彙で作品を語ったとしても、その言葉は作品と同じ重量を持つことはない。


 鼻をすする音がした。


 隣を見ると、野田が映像作品を見上げながら泣いていた。

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