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ロード(改訂版)

主人公「新城幸成」は、友人でもあるロードレーサー「新城幸也」をイメージして執筆しました。40歳を迎える同級生に、小説という形でエールを贈りたいと思います。行け!幸也!!

「ユキ、逃げてみないか?」その言葉が耳に入った瞬間、心臓が一瞬止まるような感覚がした。思わずペダルを踏む足が鈍り、周囲の喧騒が遠く感じられる。心の奥底から湧き上がる興奮と不安が交錯し、視界が少し揺れた。

 僕、新城幸成はいまツール・ド・フランス2024に出場している。昨日でステージ19を終えた。その夜、疲労が体中に染みわたり、ベッドに倒れ込むと同時に深い眠りに落ちた。夢の中では、過去の失敗や成功が入り交じり、目覚めたときには心に複雑な感情が渦巻いていた。いまは時速40㎞ほどでステージ20の序盤を走っている。心臓の鼓動が耳に響き、呼吸が少しずつ浅くなるのを感じる。全身が緊張し、アドレナリンが流れ込む感覚が蘇ってきた。ステージ20は山岳コースで、これまでのレース以上に厳しい戦いになると予感していた。周りにはイタリアやスペイン、ハンガリーや地元フランスから出場している選手たちが僕と同様にロードバイクを走らせている。

 南仏ニースの夏は、優しく包み込むような爽やかさがある。暑い日差しの中でも、湿気の少なさが空気を軽くし肌に磯風が触れるたび、涼しさと郷愁を運んでくる。故郷、石垣島の風は一年中磯の香りを島中に吹かせていた。高校卒業まで休みの日には、ロードバイクを走らせ風を感じていたことが懐かしい。あの頃の自由と無邪気さが、心の奥で静かに響く。南仏の爽やかな風とは似ても似つかない石垣島のじめじめした風が、なぜか僕だけに吹いているかのようだ。その風が、過去の記憶と今の現実を繋ぎ、僕の心に一抹の寂しさを感じさせる。

 日陰に入ると水面に潜るような心地よさがあり、体感温度がすっと下がる。まるで、一瞬だけ現実から解放されるかのような安堵感が広がる。陽が落ちると空気はさらに冷たくなり、薄いジャケットを肩にかけたくなる肌寒さを感じる。その肌寒さが、どこか心の隙間に入り込み、これまでのレースで感じた孤独感を思い出させる。疲労とともに心に忍び寄る不安が、静かに胸の中でさざめく。

 昨日、レースを終えてマッサージの順番を待っている間、時間を持て余して一人でぶらぶらと散歩した。そのときにふらっと立ち寄ったカフェを通り過ぎたところで、日差しが顔に照りつけた。

 肌を焼くような陽が容赦なく照りつけられ、地面からもその照り返しを浴びてサングラス無しでは眩しいほどだ。日本の夏とは異なり、こちらは焦げつくような熱さが続く。日本では午後三時までの鉄板のような暑さが、フランスでは七、八時間も続く。太陽は高く、日が長い。午後五時、六時になっても太陽は頂点にあり、影は薄く、光はまばゆい。


 いま走行しているステージ20は、4つの上位級山岳を越えなければならない過酷なコースだ。このコースの険しさを前にすると、胸がぎゅっと締め付けられるような不安が込み上げる。それでも、どのコースも過酷なツール・ド・フランスにとって、驚くほどのことではないのかもしれない。しかし、標高差4600mをロードバイクと自分の体のみで越えて行かなければならない現実に直面すると、その過酷さが骨身に沁みて感じられる。心の奥底で、疲労と闘い続ける覚悟を改めて確認する。この過酷さは、ロードレースを経験したことのない人でも想像できるだろう。だが、実際にこの地獄のようなコースを目の当たりにした者だけが理解できる恐怖と闘志がある。

 ステージ20は、南仏ニースをスタートして、標高1678mのコル・ド・ラ・クイヨール山頂でゴールする。スタートからゴールの山頂までは133㎞だ。その距離を聞いただけで、心が少し重くなる。しかし、過去のレース経験と、自分を支えてくれる仲間たちの顔が浮かび、再び気力が湧いてくる。彼らの応援や励ましが、ぼくの背中を押してくれる。彼らの期待に応えたい、その一心でペダルを踏み続ける。

 前方に待ち受ける山岳の壁を見据えながら、自分の限界を試すことへの恐怖と興奮が交錯する。心臓の鼓動が速くなり、呼吸が荒くなるのを感じるが、それを押し殺して前進する。「この試練を越えられるか?」今日も自分に問いかける。この山岳ステージを制することは、単なる勝利以上の意味を持つ。そう自分に言い聞かせながら、ぼくは再びペダルを強く踏み込んだ。

 

 それは、あまりにも突然だった。1つ目の峠、コル・ド・ブローを下っているとき、「ユキ、逃げてみないか?」とマティが提案してきた。その言葉に一瞬、心臓が凍りつくような感覚がした。頭の中で何度もその提案を反芻しながら、ペダルを踏む足が少し重く感じる。マティは、僕がアシストしているチームのエースだ。アシストとは、チームのエースを援護する役割のこと。ロードレースの世界では、それぞれに自分の得意を生かしてエースを勝たせる。ツール・ド・フランスは、いわばチームの総力戦だ。個人総合優勝を獲得した選手のチームは、世界一のチームと称される。

 このステージ20の山岳コースは、山が好きな僕にとっては、得意なコースだ。その得意を生かして、今日はマティを上位でゴールできるように援護する。それがチームでの僕の仕事だ。心の中で、「今日はあくまでアシスト役」と何度も自分に言い聞かせる。しかし、その言葉が本当に自分の心に届いているのか、不安が胸をよぎる。

 すでに「逃げ集団」がメイン集団より1分近く差をつけて前方を走行している。しかし、僕がアシストしているマティは、その「逃げ集団」には加わらない。なぜなら、利点がないからだ。彼は今、総合2位のタイムを維持している。このまま1位とのタイム差を広げなければ、明日は彼が得意としている個人タイムトライアル。優勝も夢ではない。だから、チーム戦略的に、今日は無理に前に出る必要はない。しかし――マティは不敵な笑みを僕に向ける。その笑顔に一瞬、心が揺れる。

「大逃げができたら、ユキの名をイストワールに刻めるチャンスじゃないか。ユキなら、先に逃げた集団の選手よりもステージ優勝を奪える実力がある。やってみないか」その言葉に、胸の奥がざわめく。

 イストワール。フランス語で「歴史」という意味を持つ。いま「逃げ集団」を形成している彼らは、パンチャーと呼ばれるアタックを得意とする選手たち。総合優勝争いとは無関係の順位の者ばかりだ。彼らが求めているのは、イストワールだ。この山岳ステージを優勝すると貰える山岳賞だ。大会では、各ステージごとに賞が設けられている。スプリント賞や敢闘賞など、そして、総合個人成績1位者には、その称号であるマイヨ・ジョーヌが贈られる。マイヨ・ジョーヌを得ることは、プロサイクリストの頂点に立つことを意味する。僕も一度はマイヨ・ジョーヌを獲りたいと思っていたが、プロ16年目の40歳。体力と気力が、もう若い頃とは雲泥の差のように感じる。幸いなことに多くのレースを経験して、慧眼を養うことはできたと思う。それによって、たまにレース展開が手に取るように見えることがある。そのときは、もちろん「勝ち」を狙いにいく。しかし、いまはとてもじゃないけど、「逃げ」をするには賢い選択とは思えない。逃げたとしても、途中で失速してメイン集団に捕まるのがオチだ。だけど……、僕の全身を、血液が勢いよく駆け巡る。この感じは、何度も経験したことがある。アドレナリンが出ているのだ。そんなとき、決まって聞こえる声がある「風になりたい――」と。その声は、儚くもあり、力強くもある。

 僕は大きく息を吸い込んだ。磯の香りが鼻腔をくすぐる。石垣島の風が、僕の全身に駆け巡るを感じた。

 

「監督、ユキを前に行かせる。問題はないよね」マティが無線でチームの合意を求めた。その声には確固たる自信と、僕への信頼が込められているのが感じられた。

 すると、間髪入れずに無線から返答がきた。

「ユキなら、問題ない。むしろ、私もユキの大逃げを見てみたいくらいだ」その言葉に心が震えた。監督の声には期待と興奮が滲んでいて、その期待に応えたいという強い気持ちが胸に込み上げてきた。

 マティは僕に笑顔を見せ、目で「前へ行け」と合図する。その目には、確かな信頼が感じ取れた。

「君は前科者だ。2013年の大逃げを誰もが知っている。あのときは失敗に終わったけど、今のユキは、あの頃とは違うんだ。行け、ユキ。君は根っからのパンチャーだ」マティの言葉に、僕は胸が熱くなったのを感じた。疲労が蓄積しているはずの体なのに、どこからか漲る力が湧いてきて、それはもう僕自身でも制御できないくらいにまで溢れていた。眼前には第二の峠、1607mのコル・ド・チュリー二が壁となって聳えて立っている。

 僕は強く、強くペダルを踏み込み前へ出た。ロードバイクは徐々に速度を増して、坂道を駆け上がる。「どうなっても知らないぞ」と思う反面、「チームの期待に応えたい」という思いが込み上げてくる。その思いがペダルを踏む力に加わっていく。

 メイン集団から飛び出して、前へ前へと進んで行くうちに、『今の僕なら、出来るかもしれない』という感情が沸いてきた。これは自信というよりは、僕の性格がただ単純なだけだからかもしれない。坂道を上りながら、我ながら単純な性格だな。と思う。チームメイトにうまく乗せられたなと自嘲する。でも……ありがたい。こんなにいいチームで走れていることに感謝の気持ちが込み上げる。彼らの期待と応援が、僕をさらに高みに引き上げてくれているのは確かだ。

 いまの僕があるのは、決して僕だけの力ではない。過去の自分を追い越しながら、僕はペダルをさらに強く踏み込んだ――。その一踏みごとに、過去の失敗や挫折が次第に遠ざかっていく。そして、今の自分が確実に強くなっていることを実感する。チームメイトの顔が次々と思い浮かび、彼らの支えが僕の力の源となっていることに改めて気づく。

 僕はペダルをさらに強く踏み込んだ――。


 2013年、夏。ツール・ド・フランスの第5ステージで、僕は序盤から「逃げ集団」に入った。「イケる」と思ったんだ。しかし、その自信が後に大きな失望へと変わることを、あの時の僕は知る由もなかった。心の中で何度も「あのときもっと慎重にすればよかった」と後悔しながらも、それを認めたくない自分がいた。勝利への渇望と自己嫌悪が交互に押し寄せ、胸が締め付けられるような痛みを感じたのを今でも覚えている。

 29歳で挑んだ2回目のツール・ド・フランス。体力、スキルともに脂の乗り切った頃だった。同じ気持ちの選手数名で「逃げ集団」が自然と出来ていた。スタートして3㎞を過ぎたあたりから僕は「大逃げ」に打って出た。残り200㎞ほどあったが、逃げ切る自信はあった。しかし、何㎞付近だったろうか。おそらく残り100㎞を過ぎたあたりだった。途中から徐々に感じ始めた疲労と不安が、心の中で膨らんでいき、頭の片隅で「本当にこのまま行けるのか?」という疑問が浮かんだ。それでも、その疑問を打ち消すようにペダルを踏む力を強めた。だけれど、ゴールまで残り9㎞の地点でメイン集団に捕まり、結果は65位。迫りくるメイン集団は、まるで大波のごとく僕を飲み込み溺れさせた。自分があっという間に飲み込まれていく感覚は、まさに絶望そのものだった。足が鉛のように重くなり、息が切れる中で、心の中で「これが限界なのか」と自問自答した。

 レース後に、チーム最年長のグレッグは、僕の方に物凄い剣幕でやって来た。

「ユキ、自分の力を過信しちゃダメだ。あのとき、まだメイン集団で力を溜めることもできたはずだ。200㎞の大逃げなんて、無謀すぎる」その言葉に、胸が痛み、顔を背けたくなったが、真実から逃げるわけにはいかなかった。

「グレッグ、でもレース前に僕は言ったじゃないか。今日はアタックすると。調子も悪くなかったし、自信もあった。あと少しだったんだ」自分を弁護しようとして言葉が、無理に出てきた。すると、グレッグは信じられないとばかりその場で苛立ちを露呈した。

「ユキ、君は『勝ち』を重ねようと焦っているように見える。その気持ちは分からなくもない。僕だってステージ優勝をいつも狙っているし、マイヨ・ジョーヌだって獲りたい。だけど、それを獲りに行くのは、目の前にチャンスが転がってきたときだ。君は、転がってもいないチャンスを無理に奪い取ろうとしている。それは、自殺行為だ」その言葉に胸が刺さり、自分の未熟さを痛感した。それでも、僕は意固地になっていた。海外では、自己主張が当たり前なのだから僕は僕の意地を通したかった。

「グレッグ、君の言い分では、いつ僕にチャンスが転がってくるのか、分からないじゃないか。僕はチャンスを自分の力だけで獲りに行く。その力が僕にはあるんだ」言葉を吐き出した瞬間、内心の不安がよぎった。果たして、本当にその力が自分にはあるのか。その疑問が頭をもたげるたびに、過去の失敗がフラッシュバックのように蘇る。だけど、それでも前に進まなければならない。自分を信じることでしか、未来を切り拓く方法はないのだから。

「そうじゃないユキ。いいか、よく聞くんだ。『勝ち』を積み上げることだけに執着する選手は、一時の名声は得ても、いづれ消えていくだけだ。本物の選手になりたければ、『価値』を築くことだ。選手として、人間として、君の国日本の誇りとして、君は『価値』を築いていくんだ。チャンスは、そのときに必ず訪れる。君の、君だけのウイニングロードが――。」グレッグの言葉は意固地になっていた僕の心に響き、何か硬いものを打ち崩しせせらぎが胸の中に流れてくる感覚があった。

 あのとき、僕の目の前がパノラマのように広く拓けていったことを今でも覚えている。

 あの日の夜、眠れぬままベッドに横たわりながら、グレッグの言葉を反芻した。「価値を築くこと」とは何か。その答えを見つけるために、僕は再び自分の心と向き合う必要があると感じた。自分の内面と向き合い、本当の強さを見つける旅が始まったのだ。


 勾配5%のコル・ド・チュリーニの上り終盤で、僕は逃げ集団を捕まえ、下るスピードを活かしてそのまま彼らを抜いた。心臓が鼓動を速め、アドレナリンが全身に行き渡るのを感じた。まるでジェットコースターのように九十九折りの峠道をほぼブレーキなしで駆け下りた。そのスリルが僕の血をさらに熱くし、全身に力をみなぎらせる。しかし、前方にはまだ二人の選手がいると、無線が教えてくれた。心の中で焦りが生まれたが、それを必死に抑え込む。ここからが勝負どころだ。おそらく前方の二人も同じことを考えているだろう。その思いが頭をよぎると、自然と体に緊張が走った。

 次に待ち構えている壁は、ラ・コルミアーヌだ。距離は7.5㎞と短いが勾配は7%と、まるで壁を上っているような傾斜だ。その険しい道を見上げると、少しだけ不安が胸をよぎる。しかし、その不安を打ち消すように「ここで勝負を決めるんだ」と自分に言い聞かせた。ここで先頭にいる二人を捕まえて、引き離さなければ、勝利はない。勝利への渇望が再び胸の奥から湧き上がってきた。ペダルを踏み込むごとに、自分の意志が全身に伝わり、まるで体と一体化したような感覚があった。全力でペダルを踏み続けながら、荒くなる息、額を流れる汗を敏感に感じていた。万物から力を得ているような錯覚に入り、ついに「悟り」の境地に到達したのか。と、自嘲する。前方を走る二人の背中が徐々に近くなってきたのを見て、僕は加速をするために、再び強く、強くペダルを踏みこんだ――。

 

 2016年2月、中東カタールでのレース中に落車したときは、左大腿骨骨折を負った。選手生命を絶たれてもおかしくない大怪我だった。大腿骨の折れた部分をつなぐため、長さ30センチ以上のボルトを脚に通し、支えるためのボルトも上下に計3本埋め込んだ。6時間に及ぶ大がかりな手術の末、何とか選手生命を取り留めることができた。あれは幸運だったとしか言えない。手術後の病室で目覚めたとき、自分の体が異物に満たされている感覚に絶望感が押し寄せたが、それでも「もう一度走るんだ」という強い意志が頭をもたげた。怪我をしてはリハビリして復活を繰り返してきた。自分で言うのも可笑しいな話だが、僕はかなりタフな方だと思う。リハビリ中、何度も「これで最後かもしれない」と思ったが、そのたびに自分を奮い立たせた。

 眼前に聳え立つ過酷な山道は、その過酷さが増すほどに、否応なしに自分の内側と向き合わなければならない。

 あの手術の日々とリハビリの苦しさが蘇り、それでもここに立っている自分を誇らしく感じる瞬間がある。しかし同時に、「これが最後の挑戦になるのかもしれない」という恐怖もつきまとう。

 僕の選手としての時間はあとどのくらい残されているのだろう――。

 今年で40歳になる。日本の仲間は、昨年40歳で現役を引退した。世界のプロサイクリストたちの引退も平均して40歳だ。いくつもの怪我と闘い、そして、いくつもの山とも闘って来た。山は僕に問いかける。「お前は何者だ」と。

 大会前に、監督からチームスタッフにならないかと言われた。その言葉が頭をよぎるたびに、胸が締め付けられるような思いがする。答えはすぐに出さなくてもいい、グランツールの終わりを待ってからでもいいと言われた。正直、答えに迷っている。40歳を過ぎても個人レースなどで戦っている選手もいる。ロードレースは何もグランツールだけではない。日本に戻って、現役を続けることもできるだろう。後輩の育成が叫ばれる日本で、自分の背中を追い越す選手を見届けるのも悪くない。だが……、引き際が分からないんだ。この世界に入ったときから、いつかはその時が来ると分かっていた。だけど、心が渇望している。バイクを走らせろ、と。自分の中の情熱がまだ消えていないことを感じるたびに、引退の決断が遠のいていく。心の中で何度も「これが最後かもしれない」と思いながらも、ペダルを踏むたびに「まだいける」と自分に言い聞かせる。

 僕は頭を振って、余計な考えを振り払った。そして、目の前に見える先頭二人に照準を定め加速した。過去の怪我や悩みが一瞬で吹き飛び、全ての意識がこの瞬間に集中する。二人は上りを牽制し合っている。無理もない。この上りで脚を使い果たしたら、最後のスプリント勝負で勝てない。だが、このまま牽制し合っていると、メイン集団に追いつかれてしまう。抜くなら今しかない。僕はペダルを踏みこみ心拍数をさらに上げた。全身に力がみなぎり、心臓が激しく鼓動する。

 先頭の二人が、横切る僕を驚愕の目で見た。そして、二人は示し合わせたように叫んだ。

 「ユキ」

 その声が耳に届くと同時に、自分が今ここにいることの意味を強く感じた。過去の苦しみや挑戦が、この瞬間に集約されている。今、ここで全てを賭けて走るんだ。

 

 逃げる僕を追いかける二人。ノーマークだった僕が出てきたことで牽制しているのか、届く距離に位置取りしながらもアタックを仕掛けてこない。その緊張感が、空気を重くする。彼らが僕をどう見ているのかが気になり、心の中で焦りが生まれる。二人の選手をよく見ると、一人は昨年のツール・ド・フランスで山岳賞を獲ったイタリアのジュリオだ。29歳の彼は、どこか若い時の自分と似ている気がする。失うものなど何もないという気持ちが背中にひしひしと伝わって来る。その若さと野心が、自分の過去と重なり、懐かしさと同時に刺激を感じる。もう一人は、今年初参戦のチーム選手でジョアンという。昨年のジロ・デ・イタリアでは、25歳でヤングライダー賞やステージ優勝も獲得している。彼の目には初参戦特有の輝きと焦りが見え隠れしている。

 90㎞を通過。後ろから2人の息づかいが聞こえてくる。その音が、彼らの必死さを物語っている。まだ峠は上りだ。心臓が胸を突き破りそうなほどの鼓動を感じながら、僕はさらに心拍数を上げてペダルを踏み込む。脚の筋肉が悲鳴を上げるが、心の奥底から「今だ、ここで引き離すんだ」という声が聞こえる。後ろの二人は、すぐさま反応したが、ジョアンが少し遅れた。彼はここまで来るのに、相当脚を使ったのだろう。そのまま追いつけずに離れていった。その様子を見て、自分の選択が正しかったことを確信した。

 僕とジュリオは、下りに入った。スピードが一気に加速する。風が顔を切り裂くように吹き付けるが、それが心地よい。コーナリングが命取りになる下りは、テクニックと度胸が必要だ。恐怖と興奮が入り混じり、全身がアドレナリンで満たされる。

 「ジュリオ、ついてこい」思わず僕は叫んでいた。何故かは分からない。彼の目が、あのころの自分と少し重なったのかも知れないし、そうではないような気もする。彼の若さと情熱が、僕の過去と重なり、胸に何かが込み上げてきたのだ。ただ、風が心地よかった。心の中で「この瞬間を楽しめ」と自分に言い聞かせる。過去の苦しみや挫折が、今この瞬間の風に吹き飛ばされていくような感覚があった。ジュリオと共に、風を切って進むことが、このレースの中で最も生きている実感をもたらしてくれるのだ。

 僕は目の前の道に集中し、全力でペダルを踏み続けた。この瞬間が永遠に続くように感じながら、心の中で「これが最後かもしれない」と思う反面、「まだまだ行ける」と信じている自分がいた。ジュリオの存在が、僕にさらなる力を与えてくれる。風と共に進む僕たちは、まるで過去と未来が交錯する瞬間を走っているようだった。


 しばらく下ると、最後の峠が見えて来た。残り16㎞。標高1678mのコル・ド・ラ・クイヨールだ。勾配は先ほどの峠と同じ7%だ。でも、さっきよりもさらに傾斜があるように感じる。これが魔物なのか。心の奥底で何かが囁く。「またあの時のように飲み込まれるのではないか」二十九歳のときは、力尽きて飲み込まれてしまった。その記憶が蘇り、胸が締め付けられる。しかし、いまは疲れているけれど、まだ余力を感じられる。それでも、自分を過信してはいけないと警戒心が働く。「焦りは禁物だ」と自分に言い聞かせる。そうしないと、脚が勝手にアタックを仕掛けそうになる。

 メイン集団が一分差の所まで迫ってきていると、大会用バイクが知らせる。その報告が一層緊張感を高め、心拍数がさらに上がる。でも、まだだ。そう思ってペダルを漕いでいると、ジュリオが息を上がらせながら話しかけてきた。

「ユキ、あんたは何のためにロードバイクをしているんだ。もう引退の歳だろ。なぜ走る」その問いに一瞬戸惑う。挑発かとも思ったが、お互い必死にペダルを漕いでいるこの状況でそれはあり得ないとも思い、考えた。彼の真剣な眼差しが僕の心に刺さる。

 

 初めてロードバイクに乗ったとき、ペダルを一回踏む度に世界は僕の後ろへと流れた。それを何度か繰り返すうちに、僕は風になったのだと錯覚した。その時の自由と解放感が、心の中で鮮明に蘇る。あのころのように、僕は風になりたい。そして、誰かの背中を押す追い風になりたい。僕がペダルを踏み込むごとに、見ている誰かの背中を押してあげることができたらいいなと心から思う。この峠を上り切ったら誰かを笑顔にさせることが出来るのかもしれない。ステージ優勝したら、マティやチームメイトたちがよくやった。と喜んでくれるかもしれない。僕は、僕を支えてくれた人たちのために、走っている。そう、走っているんだ――。

「ジュリオ、君は本当にタフで勝負強い。君だったら、きっとこの先のグランツールで総合優勝も獲得できると思う。僕は君と走れたことを誇りに思うよ」自分の言葉に驚くほどの確信を感じた。そして、自分の心の奥底から、何かが解き放たれるような感覚がした。

 「それから……僕は風になる――。そのために走るんだ」その瞬間、全ての迷いが吹き飛び、心が一つにまとまった。全身に力が漲り、ペダルを踏む足が軽くなるのを感じた。

 ゴールまで残り3㎞。メイン集団が下から迫ってきている。心臓が激しく鼓動し、全身が緊張で震える。しかし、その震えが自分の意志を一層強固にする。

 僕は力強くペダルを踏み込んだ。強く、強く踏み込んだ。ジュリオが後ろから何か叫んだようにも聞こえたが、僕には聞こえなかった。何故なら僕は心の中で叫んでいたから。

 風に、僕は風になる―

中学生のころ、長距離を走ることが好きだった。自転車ではなく足で走る方だ。自分の限界まで足を前へ前へと踏み出し風を切る。その時間が爽快で心地よかった。「風になる」この言葉は、そんな中学時代の私自身があのとき感じていた言葉を主人公新城幸成に重ねたものだ。自分のための走りだったものが、いつしか周りを励まし、希望となって自分の背中を押してくれる。そんな経験をした私だからこそ、書ける小説があるのではないか。そう思い今作品を執筆しました。読んでくださりありがとうございます。

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