ワンコ
俺はワンコ。
体格が同年代の奴等に比べて小柄だけど顔が人に自慢できる程度には良く女の子にモテる、それにのべつ幕なしにお喋りしている所がキャンキャン吠えたてる愛玩犬を思わせるらしく、やっかみを多分に含んでのワンコ。
偶に激怒すると相手が体格の良い上級生や喧嘩が強い格上の不良であっても、相手が音を上げるまで突っかかって行く所が狂犬を思わせるらしく、そんな所からのワンコ。
そういう訳で俺に面と向かってワンコ呼びするのは、仲の良い不良仲間と少数の先公に俺がワンコ呼びを許した極僅かな同級生くらい。
今日は学校の行事で海沿いの観光地に来ていた。
うちの中高一貫校の高校に毎年少数ながら外部入学者が入って来る。
外部入学の奴等との親睦を兼ねての遠足。
水族館や漁港の見学などを終え、後は海岸線ギリギリまで山が迫り出している高台に灯台が建てられ、灯台の周辺が公園になっている山の下にある広々とした駐車場が備わった土産物屋に立ち寄るだけ。
2階建ての土産物屋の1階は海産物の加工所や魚介類を売る販売店が立ち並び、2階は販売店で購入した海産物を料理してくれる食堂とペナントや饅頭などの土産物を売る販売所があるらしい。
その土産物屋に入店する前、土産物屋を見上げたら屋上にある無線通信用のアンテナの傍の手すりに寄り掛かり、無線機に向けて大声でお喋りしている爺さんがいるのが見える。
何やってんだ? と思ってたら、俺以外にも疑問に感じた奴がいて魚介類を売っている販売店の人に質問してた。
「すいません、あの屋上にいる人は何をやっているんですか?」
「あの人はうちの店の社長の親父さんなんですが、以前は漁師をしてたんです。
それが去年身体を壊して船に乗れなくなったんですけど漁の事が忘れられず、天気の良い日はああして海を見ながら、漁に出た漁師仲間と無線機越しに話しをしてるんです」
「そうなんだ」
へーって思いながら仲間たちと並べられている魚介類を勝手に品評しながら見て歩いていたら、前から声を掛けられた。
「ちょっとあんた達、店の人たちの迷惑になる事するんじゃ無いわよ」
声の方に目を向ける。
松葉杖を付いた、なんでも春休み中、系列の大学の柔道部で大学生と乱取りの稽古中に膝関節を痛めたらしい柔道部の女が、俺たちを睨み付けていた。
俺が反論する前に仲間が反論する。
「なんにもやってねーだろうが、お前こそそのデッカイ図体で人の通り道塞いでいるんじゃねーよ」
スポーツ特待生で先公共に受けが良い柔道部の女と、先公共に目の敵にされている俺たちとの仲は最悪。
彼女と通路の真ん中で睨みあってたら身体が揺れた。
え? 地震か? と思って周りを見渡す。
俺以外の販売店の店員や学生を含む多数の観光客も、不安そうに辺を見渡している。
その時、頭上から「津波が来るぞ! 逃げろ!」って声が降って来た。
その声に反応して土産物屋のロゴか入ったジヤンバーを来た中年の男が外に駆け出して行き、怒鳴った屋上の爺に声を掛ける。
「どういう事だよ、親父!」
「震源地の近くで漁をしていた奴からの連絡で、海底が隆起したのか広範囲の海面が盛り上がったらしい。
その盛り上がった海面が大波になって四方に走っているんだよ!
早く逃げろ! 灯台のある山まで走れー!」
屋上の爺に声を掛けた中年の男は土産物屋の中に駆け戻り、店員たちに観光客たちを誘導するよう指示を出す。
それとは逆に数人の販売店の若い店員たちが屋上に駆け上がり爺を担ぎ下ろすと代車に乗せ、灯台目指して駆ける。
代車に乗せられた爺は代車の上から、駐車場にいる人たちや道を歩いている人たちにも灯台のある山に逃げろと怒鳴り続けていた。
爺の怒鳴り声を聞いて車で逃げ出す奴等もいたけど、大部分の奴等は灯台目指して走る。
俺たちも3〜400メートル先にある灯台を目指して歩き出す。
「お前ら! チンタラ歩いて無いで灯台まで走れ!」
お喋りしながら灯台目指して歩いている俺たちを先公が怒鳴る。
怒鳴り声で顔を上げ周りを見渡したら、あいつがいない事に気が付いた。
灯台に向かうつづら折りの階段にも後ろにもあいつの姿が無い。
まさかまだ店に?
俺は背負っていたリュックを仲間の1人に渡し声を掛ける。
「わりい、忘れ物をした、取ってくるから持って先行ってくれ」
リュックを押し付けた奴の返事も聞かずに俺は土産物屋に走った。
土産物屋に駆け込んだ俺の目があいつを捉える。
ひっくり返った海産物が入っていた桶の傍で、松葉杖に縋りながら立ち上がろうともがいていた。
「何やってんだよ?」
涙声の返事が返って来る。
「グス、逃げようとしてたら桶に引っかかってグス、転んだ拍子に松葉杖が片方折れちゃったのグス」
「何だよもう、ほら肩貸してやるから泣いてないで立てよ」
肩を貸し引きずるようにして店の外に出たけど駐車場にはもう人の姿は無く、遠く灯台に向かうつづら折りの階段の上部付近に階段を上がる人の姿が1人2人見えるだけだった。
だから俺は土産物屋の屋上に避難することにする。
灯台がある山程は高さか無いけど、屋上の無線通信のアンテナの土台に上がれば10メートルくらいの高さがあると思うから。
2人で屋上に上がる。
アンテナの傍には爺が使ってた無線機が放置されていた。
アンテナの土台の上で立ち上がり海の彼方を見据える。
そんな俺に声が掛けられた。
「ねえ、何か喋ってよ、何時もは煩いくらい喋っているじゃない。
あんたでも怖くて声出ないの?」
「ああ怖い、怖いよ、怖いけどよ! それより引きずってでも灯台の方に避難してれば誰かが降りて来て手伝ってくれたかも知れないという思いの後悔と、好きな女と2人切りになれた嬉しさと、青ざめて怖がっているその女に気の利いた事を話して安心させてやりたいって思いが頭の中でグルグルと渦巻いていて、言葉が出ないんだよー!」
「えぇ? す、好きな女って、私の事?」
「そうだよ!
お前の事が好きなんだよ!
お前はさ、その才能を買われて小学3〜4年の頃から柔道強豪校のうちの学校に来て、中学生や高校生と柔道してたから迷う事なんて無かっただろうけど、親の都合で6年の秋に街に引越して来て学校が近いからって理由で受験したら受かって2〜3回見学に来たけど、友達何ていないから1人で来た所為もあって校舎の配置が覚えられなかったんだ。
その上入学式のとき寝坊して遅刻して、学校に着いた時には校門の前に先公も誰もいなくて途方にくれてたら、武道館の方からお前が来て「新入生? 私もそうなんだけど朝練のあと休憩してたら遅くなっちゃった」って、照れ笑いしながら俺を講堂まで連れて行ってくれたじゃないか。
講堂に入って行ったら先公に遅刻か? って俺が怒鳴られそうになったのに、自分が言われたように装ってくれて庇ってくれただろう。
それを見て良い子だなって思ったんだよ。
でも、お前はスポーツ特待生で先公共に受けが良いのに俺は目の仇にされてる不良で、接点が無く話しかけられなかったんだ」
「で、でも、私、ブスだよ」
「ブスじゃねーよ!
柔道部の先輩や後輩と話しているときの笑い声を上げてる時や、はにかむ様子は可愛いいじゃねーかよ」
「で、で、でも、私、デブだよ」
「デブじゃねーよ!
クラスが重量級だからガタイが良いだけだろ。
今肩を貸していたとき身体触っちまったけど、筋肉で引き締まった身体だったぞ」
「でも、でも、私、性格悪いよ」
「悪くねーよ!
性格悪いって噂流した、普段は優等生ヅラしてるくせに裏に回ると俺たち不良より悪党の奴等の言葉なんて信用出来るかよ。
中学の時お前と同じクラスだった仲間から聞いた話だけどよ、そいつは優等生ヅラしてる奴等と肌が合わなかったから関わらずに両方無視してたらしいけど、イジメられている奴とそれまで仲が良かった奴等を含めて大部分の奴等が、我関せずだったり見て見ぬ振りだったりして無視したり、イジメをしてる奴等に擦り寄ってイジメに加担したりしていたのにお前だけは、最初からイジメの邪魔をし続けていたそうじゃねーかよ。
そんな奴の性格が悪い筈が無いだろ」
「でも、でも、でも」
「それに! 今お前のお袋さん入院してるのに」
「え? 何で知ってるの?」
「悪いとは思うけどよ、好きな子の事はなんでも知りたくて調べたんだよ。
それで朝練もあって只でさえ朝が早いのに、自分と親父さんの弁当を作ってから学校に来ているじゃねーか。
家の母親なんて朝飯どころか弁当も作ってくれねーから、何時も学食のパンかコンビニの弁当しか食えなくて、お前の弁当を食える親父さんが羨ましかった」
話してたら海の水が沖合に向けて引いて行くのが見えた。
「ああー、水がぁー、怖いよー、グスグス、死んじゃうのかなー」
「大丈夫だ! お前だけは助ける。
夢も希望も無く将来録な大人に成れない俺と違って、お前にはオリンピックに出場して金メダルを取るって夢があるんだろう。
絶対にその夢を叶えさせてやるからよ。
怖いなら俺にしがみついてろ」
あれから2年経った。
俺たちは学校に公認されているカップルと言うだけで無く、世界中の人たちに認められている恋人同士。
原因はあの糞爺の所為。
あの糞爺が逃げるとき無線機のスイッチを入れたまま逃げた所為で、あそこでの会話の全てを無線機が拾い送信しやがったんだ。
学校の生徒や先公それに土産物屋の従業員や観光客が逃げた山の上では、灯台の無線機が傍受した俺たちの会話を灯台の職員がスピーカーで流した所為で、先公や同級生たちに俺の恋心が知られる。
それだけで無く、傍受した会話と灯台の上に設置されていて俺たちが映っていた定点カメラの映像を、複数のユーチューバーが発信したもんだから海外にも俺と彼女の事が知れ渡っちまったんだ。
それで彼女は今年の夏に開催されるオリンピックの出場権を獲得し、今、同じように出場権を手に入れた社会人や大学生の選手等と共に強化合宿に参加している。
そして俺は。
「ワンコ君、おはよう」
「オウ」
「ワンコ先輩おはようございます」
「オウ」
学校中の奴等にワンコ呼びされていた。
なんでも自分より身体のデカい彼女を守る姿が、主人の前に立ち主人を守ろうとしている忠犬を思わせる所からのワンコ呼びなんだとよ。