第9話 六月に美味しいご飯を君に
高校生の頃まで意識していなかったが、生きることということは、存外お金がかかることらしい。
寝て起きて食べて寝て、たったそれだけの生活でも、貯金はみるみる減っていき、その数値を鈍化させるために、節約が必要であると気付くのにそれほど時間はかからなかった。
収入が劇的に増えることはないので、少しでも支出を減らすためには、食費をいかに抑えるかが重要となってくる。
とはいえ、パスタとそばとインスタントラーメンのローテションは流石に飽きてきたので、麺類からの脱却を目指し、俺は究極のチャーハンを作ることに決めた。
決めたはいいが、何もかもが億劫だった。
そもそも授業を受けて家に帰ると、すっかり遅い時間だし、シフトが入っている日なら尚更、自炊する時間なんてものは存在しない。
必然、料理研究は休日に限られてくる、わけだ。
そんなこんなで迎えた土曜日。
昼過ぎまで寝て、しばらく布団の上でスマホをダラダラといじり、あくびをしたところで、ふと考えた。
起きていると腹が減るので、睡眠を取ることが一番の節約方法かもしれない。もう一眠りしようか
「……」
買いだめしてるグミでも食べてお昼終わらせようかな、と思案していたら、お腹がなった。ズボラさを、心のうちに潜む、もう一人の僕から責められて気がした。
「やるか」
奮起し、キッチンに立つ。が、鍋に油をしいて、という工程がすでにめんどくさい。洗い物のことを考えると、今日はインスタントラーメンにしておくか、とシンクの上の戸棚から袋麺を取り出したところで、
「ゆーくん、買い物に行こう!!」
と銀千代が玄関ドアを叩いてきた。
藪から棒にも程がある。
「……いや、いまからご飯作」
「一緒に作ろう!!」
勝手にドアを開けてきた。
はい、不法侵入ー。
吹き込む初夏の熱気が、クーラーで冷えた室内の冷気をかっさらっていく。
「勝手にドア開けんな。鍵かかってんだから」
「ゆーくんと銀千代の間に隔てるものなんて何もないよ」
「ドアがあっただろう。というか許可なく俺に近づくな。常識ないのか、お前には」
「常識なんて言葉は常識ない人が勝手に作った言葉だよ」
無いらしい。
「それよりね、ゆーくん。最近銀千代はお料理作りにハマってるから、付き合ってほしいんだ。いまから一緒に材料買いに行こうよ。とりあえず、うなぎ、レバー、にんにく、あとスッポンが買えるところ」
「いやだよ、めんどい。いまからだとご飯食べられるの日が暮れてからになっちゃうじゃん」
腹が減ってると、イライラしやすくなる。そういえば何かで読んだことがあるが、怒りのピークは六秒らしく、イラッとすることがあったら、とりあえず心のなかで六秒数えると、心穏やかな人間でいられるらしい。
「できるだけ急いで作るけど、ゆーくんが耐えられなかったら、罰として銀千代食べちゃっていいから、もちろん性的な意味で!」
「……」
六秒。
「今腹減ってるからすぐ食べたいんだよ」
「え、もちろんいいよ。でも汗かいちゃってるからシャワーだけ浴びていい?」
「……」
六秒。
「いや、ご飯をな。めんどくさいから外に飯、食べにいくか」
「えー、ゆーくん、作らせてよ。できるだけ時間かけないようにするから。スピード料理、ね、お願い!」
頭を下げて、媚びるような上目遣いで俺を見つめてくる。
「まあ、いいか。俺んちの冷蔵庫にもボチボチなにか詰めないとって思ってた頃合いだし」
料理作るのが面倒くさくなったので、銀千代に作ってもらおうかと一瞬思ったが、ヒモへの第一歩になりそうだったので、自分で食べる分くらいは自分で作ることにした。
銀千代と近くのスーパーに行く。
安いので助かっているが、最近はわりと高級志向の食材が多く入るようになったと、この前大家さんが愚痴っていた。どうやら一部カスタマーの意見が採用されたらしいが、売上自体は伸びているらしいので、俺からは何も言えない。
「そうそう、チャーハンを作るときは、ごはんを水洗いしておくといいんだよ。ぬめりがあるとご飯がくっつきやすくなっちゃうから、あらかじめぬめりを落としてパラパラになるようにしておくの」
「いや、ちょっとまって」
「それから一度にたくさん具材を入れてしまうと熱が下がってしまうから、少しずつのほうがオススメかな。あとは卵とご飯はどちらかというと別々に炒めておくほうが美味しくできるよ」
「なんで急にチャーハン作りのアドバイス始めたの?」
「ゆーくんが銀千代のために料理作ってくれるならまずはチャーハンかなって思って。パスタやおそばも美味しいけど、いまいち手作り感が薄いからね」
「そ、そっか」
なんか読まれてるのいやだな。
銀千代は鼻歌交じりに手に下げたかごにぽんぽんと食材を入れていく。アカマムシドリングなんてどこにあったの?
「そういうわけだから今日は銀千代がゆーくんのためにチャーハンを作ってあげる」
小エビをかごに入れて、銀千代は微笑んだ。
「いや、自分の分は自分で作る。美味しくできるようになったら、お前にも振る舞ってやるからもう少し待ってろ」
それがいつになるかはわからないが、少なくとも今日ではないし、最低でも一ヶ月以上先の未来だろう。
「うん。そのために銀千代がゆーくんの料理の腕をプロレベルまで引き上げてあげる。だから今日は一緒につくろう。初回からゆーくんに作らせて銀千代が座するなんてありえないし」
「あのさ、毎回料理作ってくれるの正直助かるけど、これ以上お前に甘やかされるわけにはいかないんだよ。なんのために一人暮らししてるのかわかんないじゃん」
「結婚の前の同棲でしょ?」
:んー、なんかすれ違ってるな。
「銀千代は同棲より先に結婚したい派だけど、ゆーくんは慎重派だから、亭主の決定には従うよ!」
「同棲じゃねぇよ。一人暮らしだよ。お互いにな」
「一つ屋根の下だよ? 部屋が別々なのがさみしいけど」
「アパートを同じ家カウントすんのやめろ」
「他の連中をどうやって追い出すか、なにかいいアイデアがあったら教えてね」
「無用なご近所トラブル起こしたら絶交だからな」
グダグダと歩いていたらカゴはいつの間にか食材でいっぱいになっていた。お金持ちは値段をろくに確認せずにかごに入れていくので羨ましい限りだ。
「ああ、忘れてた。あと、これ、買わないとだ」
銀千代が缶コーヒーを二本、買い物かごにいれた。へー。隠し味にでも使うのだろうか。なかなか興味深い。
その他日用品なども購入し、店内を数分ウロウロしてからレジに並んだ。
思ったよりも高値になった会計を銀千代はカード一括で払おうとするので、なんとか現金半額を渡した。ふてくされながらもどこか嬉しげな銀千代を無視して、早々に袋詰してスーパーを出る。
「それでねさっきの話の続きだけど、美味しいチャーハンを作るために必要なのが、やっぱり熱なの」
右腕に買い物袋が食い込んで痛い。
スーパーを出てのんびりと自宅を目指して歩く。夏が近くて日差しが辛い季節だ。アイスもついでに買えばよかったと少し後悔。
「中華料理全般に言えることなんだけど、炒める時間をできるだけ短くすることで、食材の持ち味であるシャキシャキ感を際立たせるんだよ。長く調理するとお米のでんぷん質が抜けてベチャベチャになっちゃうからね。それに強火のほうが油がご飯をコーティングしてくれるの」
「はー」
「よく言われるのが電気コンロ、つまりIHは触れている部分だけが熱くなるからフライパン全体に熱が伝わらなくてご飯がパラパラになりにくいの。だから電気コンロで作ったチャーハンは美味しくないって言われるんだ。最近は改善されてるみたいだけど、ウチのキッチンはIHどころかその一つ前のシーズヒーターだからチャーハン作りには向いてないの」
「まあ、俺は食えればそこまで美味しさ求めてないよ」
チャーハンに関する講釈を聞き流しながら、アパートの階段を登ったところで灰色の作業服を着た業者さんとすれ違った。
「あ、お疲れ様です」
軽く頭を下げると、向こうも返してくれた。胸のロゴで分かったが、ガス会社の人だった。
若い男性二人組だった。その内の一人が銀千代を見つけるとにこやかに、「あ、奥さん、ちょうどよかった」と会釈した。
「今作業終わって完了報告書を車から取ってくるところだったんですよ。少し待っててください」
「はぁい」
銀千代がよそ行きのワンオクターブ高い声で返事をする。業者二名は少しだけ小走りに階段を降りていった。
「なにいまの? 奥さん?」
「うん、それでね。このアパートって屋外廊下のパイプシャフト内のガスメーターと給湯器が直結してるタイプの建物でしょ? 室内にガス栓がないからガスコンロ設置できないってみんな考えがちなんだけど、ガス管とガス栓って簡単に増設できるんだよ」
「何の話してるの?」
「ん? チャーハンの話だよ」
「ん?」
話が噛み合っていない。もういいや、腹が減って頭が回んないし、さっさと家帰ってご飯作って食って寝よう。作るの面倒だから食ってくればよかったな、とため息つきながら自宅のドアを開けるとキッチンがリフォームされていた。
「……ん?」
「欲を言うなら三口は欲しかったんだけど、単身者向けのアパートだと一口コンロが限界みたい。これ以上は大規模工事になっちゃうって……。取り合えず一口のビルトインタイプにしたんだ」
電気コンロからガスコンロに変わっていた。
「え、は、お前なにしてんの?」
「ゆーくんに美味しいチャーハン作ってほしいし、……作ってあげたくて」
ニコニコと微笑んでいる。
「あ、安心してちゃんとつけといたから、ガス警報機」
混乱する俺を置いてけぼりに、銀千代は戻ってきた業者さんが差し出した書類にサラサラとサインをし、
「今日はありがとうございました。これから暑くなりそうですし、よかったらこれ飲んでください」
と缶コーヒーを差し出した。
「ありがとうございます!」
爽やかな笑顔で工事は終了し、呆然とする家主を気にしたふうもなく、一礼して業者さんは去っていった。
「よしっ」
銀千代は後ろ手でドアをして、真新しくなったキッチンに向き合うと、
「さぁ、作るよ、究極のチャーハン!」
と高らかに宣言した。
え、こいつ無許可でキッチンリフォームしたの?
ここ賃貸なのに?
「まずはお手々を洗います」
心もついでに洗ってくれ。