第26話 十月の飢えた星祖 後
「そこを何とか頼むよ。別にお金貸してくれっていうわけじゃないんだ。食べる物をなにか恵んでほしいだけなんだ。明後日には仕送りが入る予定だからなんとかなるんだけど、このまま何も食べないと僕は死んでしまうよ」
ストレートにお願いしてきた。
当然お断りだ。常習性がありそうなヤツに貸しを作るのは得策ではない。間違いなく返される前につけがたまるだけだろう。
「知りませんよ。お金使い込んだ自分の責任でしょ?」
「手を出しちゃいけないお金に手を出したときがヒリヒリして一番気持ちいいんだよ。キミも味わえばきっと分かる」
「働け」
ドアを閉めようとしたら足を入れられた。悪徳セールスマンか、こいつ。
「働くくらいなら死ぬよ」
じゃあ、死ね。
「もう帰ってください。明日早いんっすよ」
「わかった、わかった、じゃあ食べ物を賭けて僕と勝負しようじゃないか」
「なんもわかってねぇじゃんか」
ギャンブルやめろって言ってんの。
「勝ったらキミの夕飯を僕にくれ、キミが勝ったら……なにがほしい?」
「何もいらん」
強いていえば平穏だ。
「わかった、じゃあ、ほっぺにチューしてあげるよ」
女をウリに出すんじゃねぇ。
少し艶のあるの唇に人差し指をあて、蠱惑的な笑みを浮かべる先輩にため息をつく。
「いりません。自分、一応……カノジョいるんで」
なんか言いたくないセリフナンバーワンだな、これ。
「意外と一途なんだ。じゃあ、そうだな、わかった、これをあげる」
先輩はさっき俺から受け取った誤配されていた封筒を掲げた。
「え、大事なもんじゃないんですか?」
「買ってから、いらないな、って思うことってあるよね」
「俺にはないですね。中はなんなんですか?」
つくづく短絡的な生き方をしてる人だ。
「……中身をなにか当てられるか、勝負ね」
「……」
なんかうまく乗せられた。
「わかるわけないじゃないですか」
「じゃあ、君からの質問にはいかいいえで3回僕が答える、でどうだい?」
「はあ、わかりました」
まあぶっちゃけ食べ物恵んであげるくらい別に構わない。
さっき手に持っていた感じそこまで重いものではなさそうだし感触は硬くなかった。
「……」つうか思い出した。
「本……ですか?」
「……」
「……」
先輩は無言になった。
「おい」
「……」
答えは沈黙。
「本なんですね?」
「……」
「認めろよ」
「全部さぁ……物価高が悪いと思うんだよね。僕は一生懸命に生きているのお米の値段は上がるばかりで生活は楽にならないし、そうなったらさぁ、増やすしかないじゃん。ギャンブルで。というか純粋な疑問なんだけど日本政府は投資でリタイア後の資金を自分で稼げっていうけど、株と投資で儲けるのもギャンブルみたいなものだよね。じゃあ、僕何も悪くないよ。食うに困るのは全部政府が悪いと思うんだ。ていうかギャンブルがだめだって言うならパチンコとかもちゃんと規制すべきだよね。そう思わない?」
「自制すればいんじゃないですか? 食べるに困るのは自分の責任だと思いますよ。つうか急にペラペラしゃべらないでくださいよ。思想が見えてちょっと怖いですし、そもそもギャンブル弱いんだからやめたらいいじゃないですか」
「……お刺身食べたいなァ」
「パチンコやめたら?」
「パチンコやめたら退屈で死んじゃうよぉ!」
哀れすぎて何も言えねぇ。
「……はぁ、もうわかりましたよ。食べ物あげますから帰ってください」
「言うてみるもんやな!」
うぜぇ。
小躍りする先輩に俺はため息をついて、玄関横のキッチンにある冷蔵庫を開けた。
なんかあるかな。
「あ、ちなみに何の本だったんですか?」
「本とは言ってないよ。正解は秘密。シュレディンガーの茶封筒だよ。だから僕は勝ってもないし負けてもないの。勝敗なんて揺蕩ってて当たり前。だが、それでも、百パーセント勝つ気でやる、それが念使いの」
「どうでもいいけど宛名ラベルの商品欄に書籍って書いてあるのさっき思い出しました」
「……正解は「メルカリ転売で儲ける本」。だけど冷静に考えたらメルカリのアカウント停止させられてたんだ」
なにしたらそこまで追い詰められるんだよ。流星街出禁みたいなもんだぞ。
なんだか可哀想になってきた。
冷蔵庫の中にスイカが一切れ入っているのを見つけた。銀千代が二日前に突然、「今年夏らしたことなんにもしなかったからスイカ割りしよーよ!」と持ってきたやつだ。一玉担いできたもんだから二人で処理しきれず余っていたのだ。ちょうどいいのでこれをあげよう。
ぱたんと冷蔵庫を閉めて、ラップをはがしながら先輩にスイカを差し出す。
「これあげるんで帰ってください」
「でもさぁ、正直ズルいと思うよ。正解が分かっていたならフェアな勝負じゃなかったよね。やり直しを要求するよ」
「じゃあ、スイカはあげません。さっさと帰れ」
「……わかったよ。今回はそれで手を打とう。でも必ずリベンジに来るからね」
「二度と来ないでください」
先輩はスイカを受け取ったが、そこから動こうとしなかった。
一切れのスイカを両手に持ったまま微動だにしない。まるでマネキンのようだった。
「おい」
「塩は?」
「ねぇよ、んなもん」
「僕はスイカには必ず塩をかけると決めているんだ。塩をくれなきゃここから一歩も」
と先輩が宣言した時だった。
遠くの歩道から夜の静寂を切り裂くよう
に「ゲスぅぅぅっう」と叫び声が救急車のサイレンのように轟いた。ほら早く帰らないから混沌がやってきた。
先輩がびくりと肩を震わせ背後を見やる。カンカンカンと階段を三段飛ばしで駆ける音がして、ダンと大きな音がしたかと思うと俺の部屋の前の手すりに銀千代が着地した。
忍者かお前は。
背後には満月が輝いていて、さながらヒーローの登場シーンのようにも見えた。
「チェストぉ!」
銀千代はそのままの勢いで先輩に飛びヒザ蹴りを食らわせようとしたがすんでのところでかわされた。
俺と先輩の間に着地した銀千代は猛犬のように歯をむき出しにして怒鳴った。
「ゆーくん! 大丈夫? 怖かったよね! 銀千代に任せて、この女【ピーーー】するから」
そろそろ来る頃だと思っていたが、のっけから放送禁止用語だ。今日も飛ばしてんな。
「いや、そういうのいいから、もうこの人も帰るところだったし。つうか声でけぇよ。近所迷惑だろ。時間考えろ」
「近所迷惑はこのゲスだよ。二度と来られないように手足引き裂いてやる」
「あ、じゃあ、自分はそろそろお暇しますねぇー」
さしもの先輩も本物相手には敵わないと判断したのか、小さく会釈をして、その場を去ろうとした。
「野郎!ぶっ殺してやる!」
銀千代が殺意マシマシで襲いかかろうとしたので、慌てて羽交い締めにする。
「バックハグぅ」と銀千代はひるんだが、正しくはバックスタブだ。
「二度と来るな!」
多少狂気度は減少したものの、先輩に牙をむき出しなのは変わらない。
銀千代は手に持っていたビニール袋から伯方の塩を取り出し先輩に力士のようにぶつけた。
パラパラと白い噴煙のように先輩に食塩が降りかかる。
「うっす」
はからずも塩を手に入れた先輩は少しだけ嬉しそうに笑顔でお辞儀すると隣の部屋へ帰っていった。
バタン、ドアの閉まる音を聞き届けてから、銀千代は浅く息をついた。
「まったくなんなんだろうあのアマ。ゆーくん、ごめんね、銀千代の買い物が長引いてしまったばかりに怖い思いをさせてしまって。でももう安心して二度とあの女が来ないように必ず処置するから」
「しなくていいから。とりあえず今日が落ち着いたからもういいよ。俺明日早いからシャワー浴びて寝る」
「うん、わかったよゆーくん」
「だからお前もさっさと帰れ」
しれっと家に上がり込もうとしていた銀千代もなんとか家に帰宅させ、俺はようやく平穏を手に入れた。角部屋に住みたい。やばい隣人は一人で充分だ。
頼むから俺の日常を脅かさないでくれ。




