第25話 八月の星と夏の終わりに 後
奥多摩に着いたのは二時間後のことだった。無駄に緊張感があるドライブに、ぐったりと疲れた俺達は、駐車場近くの売店で少し遅い昼食をとることにした。
ゲーム中にスナック菓子を食べまくっていたので、お腹は全く空いていないが、とりあえず山菜そばを頼むことにした。
他に客の姿はなく、のんびりとくつろぐことができた。
「こういうところのお蕎麦って美味しいよね。水がきれいだからかな!」
花ケ崎さんが真っ当な感想を告げる横で、
「でも銀千代が作ったお蕎麦のほうが美味しいよ。ねっ、ゆーくん!」
とお店で言うべきでない発言をする銀千代。失礼極まりない。テキトーに返事をしてからため息をついて、店内のテレビで流れる甲子園をぼんやりながめる。
球児って全員年上に見えるのに、みんな俺より年下だと思うと月日の流れって残酷だよな、なんてばかみたいな事を考えていたら、店員さんが注文品をテーブルに並べてくれた。
銀千代は「いただきます」と手を合わせ、つゆにそばをつけてひとくちすする。
「うん、まあまあ美味しいね。でも銀千代が作ったお蕎麦のほうが」
「おいしいな。この蕎麦」
山菜そばは絶品だった。
「だよね! アタシはうどんにしたけど蕎麦もおいしいそうだね!」
なんとも穏やかな風景である。
「ずっとゆーくんのソバにいる。もウドンな事があっても離れない。うぇへへ」
銀千代がしょうもない親父ギャグで適度に気温を下げてくれるので、あったかい山菜そばも美味しく食べる事が出来た。
「さて、お待ちかねの鍾乳洞だよ!」
お店から外に出ると花ケ崎さんは上機嫌に両手を広げた。真っ青な空に浮かぶ真っ白な雲の下、絵になる一幕ではあったが、俺の隣の銀千代は終始不機嫌そうだ。
「この女、どこまでついてくるんだろう……邪魔だな」
不穏なことをポツリと呟き、小さく舌打ちをする。
「お、あそこで入場券を買うのかなぁー」
気づかないふりをして、努めて明るくチケット売り場を指さす。近くには川が流れ、夏の暑さは少しだけ和らいでいるように感じられる。底まではっきり見えるほど澄んでいて、水面に反射した優しい緑が、日々のストレスを吹き飛ばしてくれるようだった。
大人三人で入場券を購入し、鍾乳洞の入り口に進む。
少し歩いただけで気温が一気に低くなった。
「すずしぃー!」
花ケ崎さんが弾むように上げた声は静かに反響し、辺りに響いた。俺達以外の観光客はまばらで、見学するにはちょうどいい時間帯のようだ。
目を突き刺すような明るさから一転、仄暗い鍾乳洞の中は、子供の頃に作った秘密基地のような落ち着く空間で、鼻から吸い込んだ空気はひんやりと俺を癒してくれた。
「どこであの女を巻こうか」
と同時に銀千代によってストレスが加算されていくので完全に回復することはなさそうだ。
「それにしても本当にすごいな」
荘厳な雰囲気の鍾乳洞の内部は神秘的で、ところどころライトアップされていて綺麗だった。なかなかお目にかかれない石筍や石柱が洞窟内は溢れ、とてつもない時間の流れを想起させる。
「ゆーくん、キスしたいな」
「……ここでか?」
「誰も観てないし、ねっ!」
たしかに誰も彼も景色に見とれて俺と銀千代に視線をやっているものはいない。
「やだよ。外でキスとかしたくない。恥ずかしいだろ」
「ゆーくんたらおませさん」
銀千代は唇を突き出して少しだけ残念そうにつぶやいた。
鍾乳洞を出てから花ヶ崎さんの車で奥多摩湖の近くの公園に移動した。
奥多摩湖自体はダム湖だが、かなり面積があり、夜は街灯が少ないので、絶好のビュースポットとなっているのだそうだ。
日没まではまだだいぶあるが、ドラム缶でできた橋や神社などがあり、観光スポットで時間をつぶすことができそうだ。
蝉時雨が降り注ぐ真夏の夕暮れ。
日は少しだけ傾き始め、辺りはほんのりとオレンジに染まり始めている。
「ボート乗りたいな、ボート!」
銀千代は湖面のまわりで飛び跳ねているが残念ながら貸しボート屋さんなどは存在していない。
「ゆーくんと一緒にボートで遭難したいッ!」
仮にあったとしてもそれは無理だ。雄大な自然で時々忘れそうになるが、一応ここは東京都だ。
「銀ちゃん、残念ながらボート乗れないみたいだよ。ちょっと行ったところでラフティングできる場所はあるみたいだけど、もうこの時間だとやってないよ」
はしゃぐ子供をたしなめるお母さんのように花ヶ崎さんが穏やかに言う。
何とも和やかな風景である。夏の思い出としては満点といったところだ。
「えー、そうなの。じゃあボートで遭難して花ヶ崎さんを食べる展開はまた今度だね」
「はっはっは、冗談きついなぁ」
銀千代の目は本気だった。
なんやかんやで奥多摩湖の周りは散策路などが整備されていて、時間潰しに困ることはなかった。
都心で暮らしているとなかなか見れない鬱蒼した木々の連なりは、実家周辺の山を思い出させ、なんだか懐かしい気持ちになってしまう。
そういえば最近全然帰ってないなぁ、と伸びていく木立の影を見て、なんとなしに思った。
夕日が反射した奥多摩湖は美しかった。
もうこれだけで旅の目的達成としても充分なんじゃないかと思ったほどだ。
高校の時の思い出話や花ヶ崎さんの近況報告なんか聞いていたら、あっという間に日暮れて、周囲は暗闇に包まれ、夜虫が鳴き始めていた。
「……なんか思ったより星、見れないね」
ダム湖の周辺は想定していたよりも明るく満天の星空には程遠かった。空が少し曇っているのもそうだが、なにより月が明るすぎるのだ。
「今度来るときはもうちょっと条件とか場所とかちゃんと調べてからにしようね」
しばらく経ってもこれ以上好転することがないと判断した俺たち早々に車に乗り込んで帰還することにした。
銀千代は「今夜は月がきれいですね!」と分かりきったことを何度もつぶやいていたが、昨日も夜ふかしして眠気が限界の俺は、運転席の花ヶ崎さんに許可をもらい、惰眠を貪ることにした。運転手には申し訳ないし、本当どうかと思うのだが、来たるべき眠気には勝てないのだ。
「ゆーくん、おやすみなさい」
と微かに銀千代が俺にキスしたが、それを咎める元気すらなかった。
ゆりかごのような振動に心地よい睡眠を味わっていたのだが、しばらくして大きく車体が揺れる振動で目を覚ました。
脱輪したらしい。
そこからはなかなか大変だった。
JAF呼んで、立ち往生して、「このまま遭難しよう!」とふざけた提案をする銀千代をたしなめて、もう本当思い出したくもない。
ただ星は綺麗だった。




