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第25話 八月の星と夏の終わりに 中


 玄関ドアを開けるとムアっとした空気に体全体が包みこまれた。

 冷房のきいた部屋から灼熱の屋外に出て、体温調節機能が悲鳴を上げているのがわかる。

 まだ数秒しか外気を浴びていないのに、すでに喉が渇いた。

 暑い。暑すぎて蝉の声すら例年より元気がないように感じる。太陽は殺人的直射日光を地球に向けて照射し続けていた。

 そりゃワイドショーは毎日毎日飽きもせず暑いです暑いです言い続けるわけだ。ネタ切れしてんのかよ、と毎度テレビにツッコミ入れていたが、このまま気温が上がり続けたら、地球は人の住めない環境になるのかもしれない。


「ゆーくん、お待たせ!」


 アパート前で待っていたら、涼し気なワンピースに水色のポシェットをかけた銀千代が、黒い日傘手に持って外階段をゆっくりと降りてきた。裾をふわりとめくり上げる。避暑地の出来事のように錯覚させられた。


「おう、そんで、どこに行くんだ?」


「その前にゆーくん、はい!」


 銀千代は傘を開いて、俺を中に入れてくれたが、日傘で相合傘なんて見たことない。


「やめろ、恥ずいだろ」


「でも体感温度を少しでも下げないと貴重なゆーくんの水分が外に放出されちゃうし……」


「気色悪いこと言うな。……あ、でもこれかなり涼しいな。日陰ってだけで、こんなに体感温度変わるんだ」


 実際かなり驚いた。日光が遮られるだけでこんなにも涼しく感じるのか。これからの夏は必須アイテムになるのかもしれない。


「ゆーくん、こっちこっち」


 恥ずかしさよりも夏の日差しが苦手と判明した俺は、影の恩恵にあずかりながら、銀千代に誘導されながら歩いた。


「おい、暑いからくっつくな。何のための日傘だ」


「? ゆーくんと密着するための日傘だよ?」


「暑さ対策のためだろ。アホかお前は」


「ゆーくんと一緒にいるとアホになっちゃうんだ、うぇへへー」

 

 たしかにいつもアホだな。


 心底幸せそうな銀千代についていくと近くの月極駐車場についた。

 自動車のボンネットは、焼肉屋の鉄板のように熱せられ、俺のやる気を削いでいく。

 大量に並ぶ色とりどりの自動車はストーブのように周囲の気温を上昇させていた。


「なんでこんなところに……え、まさかの車移動?」


「うん。こんな暑い中ゆーくんを歩かせるわけには行かないよ」


「お前、車買ったのか?」


 先日自車校を卒業したばかりの我らだが、車の購入なんてまだだいぶ先のことだと思っていた。


「ううん、銀千代は買ってないよ。二人の買い物はちゃんと相談してからの方が良いって思ってね。ゆーくんは日本車がいいでしょ? 電気自動車なんかはどう?」


「いや、何も考えてない。てか車持ってないのに何で駐車場なんか……、あ、カーシェアとかか?」


「ちがうよ、ゆーくん、ほら」


 銀千代が指さした先には赤のヤリスが停まっていた。白線に対して少し曲がって停められている。

 何処かで見たことあるような。


「遅いよ〜!」


 窓が空いて運転席に座っていた茶髪の女性が声を荒らげた。


「あ、花ヶ崎さん」

 座っていたのは高校の同窓の花ヶ崎さんだった。小さく頬を膨らませて、ぷりぷりと頭から湯気を出している。

 そうだ、この人、自車校の卒業祝いでお父さんから車を買ってもらったんだった。うらやましい限りである。

 なんで花ヶ崎さんがここにいるのか、わけもわからず車に近づくも、彼女の文句は止まらない。


「もう、どんだけ待たせるの? 約束の時間から一時間以上たってるよ!」


「約束?」


「そうだよ、昨日の夜、銀ちゃんから急にドライブ誘われてすごく楽しみにしてたのに、待ち合わせの時間になってもだぁれも来ないから、もう帰ろうかと思ってたところだよ」


 銀千代を横目で睨みつける。

 こいつ、提案の前に他の人の予定を押さえてやがったのか。俺が断ったらどうするつもりだったんだ。つうか、一回断ったし。

 俺と目が合った銀千代はいつものキラキラとした笑顔で微笑んだ。


「ごめんなさい、花ヶ崎さん。でもこうして集まれたわけだし、許してよ。ほらこれ」

 銀千代は手に持っていたポシェットから缶コーヒーを取り出して、窓越しに花ヶ崎さんに手渡した。


「わっ、気が利くね、銀ちゃん」


「さすがに手ぶらじゃ申し訳ないからね」


 そういう気配りができるようになったんだな、と密かに銀千代の成長を横で喜んでいると、

「じゃあ、もう帰っていいよ」

 信じられない一言が飛び出した。


「は?」


 缶のプルタブを開けたばかりの花ヶ崎さんが硬直する。


「車ありがとう。返す時はここに停めておけばいいよね」


「待って待って待ってちょっと意味わからないよ、銀ちゃん!」


「? なにがわからないの。ゆーくんとこれから星見に行くから花ヶ崎さんはお邪魔んぼう」


「いやいやいやいや、昨日ラインくれたじゃん。ゆーくんと星見に行きたいから車出してって」


「うん、車ありがとう」


 絶妙に噛み合っていない。

 銀千代はゴソゴソとポシェットから財布を取り出し、免許証をこれ見よがしに掲げて見せた。


「じゃぁあん。銀千代も免許手に入れたから運転できるんだよ。勝手に信号が赤になるから、仮免に2回も落ちちゃったけど、なんとか取得できたんだ。だから花ヶ崎さんはいらない」


「はぁー? なにそれ、意味わかんない。これからみんなで一緒に星を見に行くんでしょ?」


「みんな? 銀千代とゆーくんが星を観に行くんだよ? 銀千代が運転するから花ヶ崎さんどいてよ」


「まさかと思うけど車借りたいだけでアタシを呼んだの?」


「うん」


 あ、やばい、銀千代と花ヶ崎さんの仲が険悪になっちゃう。……もとから良好ではなかったけど。


「おい銀千代しょうもない冗談はやめて花ヶ崎さんといっしょに星を観に行くぞ」


「え、やだ」

 人の心とかないんか。


「やだじゃねぇよ。車出してくれるのめっちゃありがたいじゃねぇか」


「……」

 銀千代は少し無言になってから小さく「ふぅ」と息をついて、ポシェットから一万円札を花ケ崎さんに差し出した。

「これでいい?」


「金で解決しようとすんじゃねぇ!」


 たまらず突っ込んだら、花ケ崎さんが「もぉう」と大きく唸り声を上げた。


「ちょっと、いい加減にしてよ! いくら温厚なアタシでも頭きちゃう。どういうこと!」


 花ヶ崎さんが不機嫌そうに眉間にしわをよせる。これは困った。銀千代め、唯一といっていいほどの友達の扱いが雑すぎる。


「えーと、せっかく花ヶ崎さんが車出してくれたから、運転は俺らがやるって意味の銀千代の冗談だよ。わかりづらいんだよな、毎回」


「冗談?」


 花ヶ崎さんが訝しんだ瞳で銀千代を見つめる。

 否定しようとした銀千代の脇腹を軽く肘で小突く。密着しててよかったと思ったのは初めてだ。


「……うん」


 不服そうに小さく銀千代は頷いた。


「ガソリン代」


 一万円札がヒラヒラと風に揺れる。

 高すぎない?


「えー、なんか悪いなぁ」

 花ケ崎さんは照れたように笑い、一万円札を受け取ると、

「なぁんだ、びっくりしたなぁ、もう。アタシのこと気遣ってくれてたんだね、ありがとう! でも保険とかあるから運転はアタシしかできないんだ。さぁ、乗って乗って」


「ああ、ありがとう」


 お礼を告げて助手席に座ろうとしたら、グイッと銀千代は俺の手をひいて、無理やり後部座席に座らされた。なんで三人いるのに二人が後部座席なんだよ、と文句を言ったら「ゆーくんの隣は常に銀千代!」と逆ギレされた。俺が間違ってるのか?

 硬いシートに腰を落ち着かせ、ようやく人心地がついたとちいさく息を吐く。


「よしっ、じゃあ、ちゃんとシートベルトつけてね! そんじゃ、飛ばすぜぇえ!」


 花ヶ崎さんが雄たけびを上げる。

 ぶぉん、とどデカいエンジン音しただけだった。


「あれ?」


「サイドブレーキかけっぱなし」


「あ、あははは。じゃあ、発車するね!」


 ともかく安全運転で行ってくれ。

 ゆっくりと走り出した車のシートに背中を預けながら、俺は旅の無事を密かに祈った。



「で? どこに行くんだ」

 スルスルと車は市街地を走り始めた。

 花ヶ崎さんの運転の車に乗るのは二回目とはいえ、免許取り立てでやっぱりこわい。さっきも車線変更を間違えていた。


「奥多摩だよ! 昨日の銀ちゃんにドライブ誘われて調べたんだけど、適度にアクセス良くてドライブできる環境だと、ここがベストかな、って思って」


「別に花ヶこのひとさんを誘ったわけじゃないんだけどね」


 舌打ち混じりの銀千代の言葉を遮るように、次の交差点を右折してください、というカーナビのアナウンスが車内に虚しく響いた。


「花ヶ崎さん、次右だって」


「え? 右? 右ってどっちだっけ」


「右は右だよ。右!」


「あ、お箸持つ方か!」


 車は直進した。


「次のとこ、右?」


「いや、右のとこは過ぎたよ」


「あらまぁ、もうちょっと早くナビしてくれないと。車はすぐには曲がれないんだよ」


 俺が悪いのか?


「ま、すぐに復帰できるよ。心配しないで、大船に乗ったつもりでいてよ。こう見えても深夜ドライブで運転スキルSランクだからさ」


 ルートを再探索しています、というカーナビの音声が虚しく響く。


「でも奥多摩っていっても広いんじゃない?」


 一つ懸念事項を伝えると花ヶ崎さんはドヤ顔で、

「うん。調べたらなんか鍾乳洞があるらしいからそこ行こうよ。涼もうぜ!」

 と親指を立てた。そういうのいいからちゃんとハンドル握って前見て運転してくれ。

 次の信号を右折です、とカーナビの音声が車内に響く。


「……星をみるんじゃないの?」


「夜までまだだいぶ時間あるからさ。それまで観光して時間つぶそうってこと!」


 不安しかない。

 青く澄んだ夏空には、白い雲がもくもくと浮かんでいた。

 花ヶ崎さんの運転するヤリスは当然のように次の信号も直進していった。


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