第22話 十一月の冷静と情熱の間
ジャンルを設定するなら、ホラーに分類されると思うのだが、家に帰ると洗濯機が回っていることがある。
「またかよぉ……」
バイト帰り、夜の十時。
玄関ドアを開けて、薄暗闇に洗濯機がゴウンゴウンと稼働している様は、身の毛もよだつ光景なわけだが、犯人がわかっている分、まだマシなのかもしれない。
「銀千代!」
余計な家事はするなと口酸っぱく言っているのに、いつも勝手に俺の部屋に入り、掃除をしたり、料理を作ったりしていく。
まあ、正直それだけならありがたい存在なのだが、たまになくなるのだ。
「昨日の洗濯の時にパンツぱくったな!」
無頓着な俺でも気づくレベルで下着がなくなっていた。
「パクってないよ」
素知らぬ顔で、闇より出でた銀千代は平然と答えた。
ウソを付くのはいただけない。
「じゃあ、俺が一昨日履いてた青いやつ、どこいったんだよ!」
「わかんない!」
男女逆なら普通に犯罪だし、冷静に考えれば、逆じゃなくても犯罪だ。
これ見よがしに、大きくため息をついてやり、
「許してやるから、早く返せ」
と手を差し出したら、数秒銀千代は逡巡するように目を泳がせた。
「銀千代が盗んだって証拠あるのかな?」
「もしお前以外が下着ドロなら、犯人はお前に殺されてるからな」
「……ごめんなさい……」
しゅんと肩を落として胸元からパンツを取り出して俺に差し出してきた。
素直なのはいいことだが、やっぱ犯人お前じゃねぇか、と突っ込みそうになったが、グッと我慢する。
約束したから、今回は大目に見てやろう。むしろ素直に謝れるようになったことを喜ぶべきだろう。
「もうするなよ」
舌打ちを我慢しながら、パンツを奪うように取り返す。
「……」
「返事しろよ」
「するかしないか、……未来のことはわからないの」
居直った銀千代はどことなく力強い瞳でじっと見つめてきた。
「じゃあ、なおさらやらないって誓え」
銀千代は「むー」と唸ってから、やがて、蚊の消え入りそうな声で、
「……はい」
と小さく頷いた。
「だいたい何でパンツ盗むんだよ」
「なんでか知りたいの?」
純粋無垢を煮詰めたような濁った瞳。
「下着が無くなればハードルも一つなくなるんじゃないかなって思って」
「どういうこと?」
「ゆーくんが銀千代の劣情を放っておくからだよ」
「はあー?」
「正直パンツじゃ銀千代は興奮しないけど、ゆーくんが銀千代に手を出すには何かしらのきっかけがないといけないのかなって思って」
お前のアピール全面的に間違ってるよ、と言おうとした俺よりも早く銀千代続けた。
「それなのに、ゆーくん全く相手にしてくれないじゃん!」
紛うことなく逆ギレである。
いい加減にしてほしい。
「そういうことは大人になってから……」
「もう大人だよ!」
銀千代はバンと足音をたてた。
「十八歳は大人ッ!」
そういえばそうだった。
いつまでも子どもじゃいられないのだ。
「なんでこんなに銀千代が迫ってるのに手を出してくれないの!?」
銀千代は腕をブンブンも振り回して叫んだ。ご近所迷惑だ。
「今だって世界一可愛いカノジョがスクール水着で、おっぱいにカレシのパンツ挟んでたんだよ! 絶対する流れじゃん!」
世の中のカップルってそうなの?
スクール水着なのはなんでだろって思ってたけど、いつもの奇行かと思って突っ込まなかっただけなのだが。
「ゆーくん、銀千代、いつでもウェルカムだよ! 恐れないで次のステップ行こ! 扉開けよ!」
「いや、まあ、なんていうか」
言いたいことはだいたい理解できた。
こいつに手を出したらヤバイと、俺は常に防波堤を高くしてきたのだ。
それに、相手がノリノリだと、一歩引いてしまう、というか、まあ、それはともかくとして、
「俺だって男だし、そりゃそういうことしたいけど」
「じゃあ、しよ!」
「一回踏み出すと、歯止めが聞かなくなりそうだし」
「いいじゃん、それで!」
「そうなると人生設計もボロボロになりそうだから」
「一緒に堕ちていこうよ!」
「めっちゃ頑張って我慢してんだよ」
「我慢は体に毒だよ!」
「合いの手いいから一回ちゃんと話を聞いてくれ。俺がいいと言うまで声だすな」
銀千代は素直に口を真一文字に引き結び、こくんこくんと力強く頷いた。
「正直言うと、銀千代は魅力的だよ」
「うがぁあぁああ!」
「だから黙れって」
「ぁあぁぁい」
握りこぶしを作った銀千代は声にならない歓喜の声を口内で叫びながら床にゆっくりと丸くなった。
びくんびくんと震えていて、なんだかちょっと恐怖だ。
「だからこそ俺が手を出して何かが変わるのが怖いんだ」
「あいいいい!」
ガバリと顔を上げて口を閉じたまま叫ぶ。ほとんど獣である。
「いいああああいい!!!」
なんか言ってるか、口閉じてるのでわからなかった。
「喋っていいぞ」
「恐れないで! 何も怖いことなんてないんだよ。人類史にゆーくんと銀千代という最強のふたりが刻まれるだけなんだから。それに銀千代といっしょならどんなことがあろうと笑い合えるはずだし、ゆーくんといっしょなら銀千代はいつでもハッピーだし、例えなにかを失くなっても、新しい愛が生まれるはずだから有史以前からある快楽に身を委ね」
「やっぱり口閉じてて」
「てぃいいいい」
「まあ、ともかくさ。もう少し俺の覚悟が決まるまで待ってほしいんだよ」
「ううう……」
銀千代は唸りながら俯いた。床にへたり込んで、みるみるまるくなっていく。銀千代のぼうぎょは少し上がったが、メンタルは弱まっているようだ。
「銀千代?」
「うううう」
すすり泣いていた。
「口開けていいぞ」
「うぁぁあぁああ」
ついに言葉も無くしたか。
「お、おい」
「わぁぁぁあん」
銀千代のなきごえで、俺のこうげきりょくが少し下がった。
「だ、大丈夫かよ?」
「……待つって……、待つって、いつまで?」
「……」
「銀千代はね、怖いの。ゆーくんが銀千代以外の女に目移りしてしまうんじゃないかと思って。もちろんゆーくんがそんなことしないって信じてはいるんだけど、銀千代には性の経験値が絶対的に足りないから、ゆーくんに手籠めにしようと企むクソビッチが迫ったりしたら……、性の喜びをそのクソビッチで知ってしまったら、銀千代は負けてしまうんじゃないかって……」
「そんな事を考えていたのか……」
だからスク水で人のパンツ盗んだのか。
「銀千代はいつでもゆーくんに満足してもらえるように予習はしてるけど、これであってるのかわからないし」
でも、やっぱパンツ盗むのは違うよな。
「ゆーくん以外初めては考えられないから、練習なんて以ての外だし、やっぱり、銀千代は性に関しては他の女に勝てないから……」
銀千代は泣きながら、俺の手に追いすがった。
ひどく冷たい手をしていた。
「だからゆーくん、お願い、銀千代に依存して」
力強く、ギュッと手を握られる。
「銀千代がいないと生きられないって、なって。全ての欲に対して銀千代が必ず付随するように。銀千代はゆーくんいないと生きていけないから。ゆーくんにもそうなってほしいの。だから、ねっ。お願い」
いつも通りといえばいつも通りの重さだが、なんだかいつもより切実に感じた。
「……おねがい、します……」
かくん、と糸が切れた操り人形のように頭を下げられる。ぱさりと銀千代の長い黒髪が御簾のように垂れ下がった。
どうすれば、銀千代は安心し、満足するのか、そんな事は聞くまでもなくわかっている。
それでも俺が踏み出せないのは、やはり未知への恐怖なのだろう。
本当に申し訳ないとは思っているが、これだけ慎重になるのは、俺の人生にいつも銀千代がいたからに相違ない。
「銀千代、さっきも言ったけど、お前は十分魅力的だよ」
「うぴゃああああああああああ!」
「一回口閉じてて」
「ッッッ〜〜〜!」
「だから、俺が浮気するとか他の女の人になびくとか、そういうことは一切考えないで大丈夫だ」
ここまで自分の素直な気持ちを出すのは正直初めてかもしれない。
だけど、ちゃんと言っておかないと自分自身、挫けてしまうかもしれない。だからちゃんと、ちゃんと言おう。
「ずっと幼馴染だったから、恋人になって、まだリズムに体が慣れていないんだ。だから、もう少しだけ我慢させてくれ」
「ゆーくん……」
銀千代は禁を破って俺の名前を呼び、
「好きぃ……」
俺の足に抱きついた。
「大好きぃ……」
ぎゅー、と力強く、熱を感じる程に抱きしめられる。肌の柔らかい感触が薄い布地を通して伝わってくる。
これが噂の共依存というやつだろうか。
ぶっちゃけると、歯止めが効かなくなるというのも怖いが、銀千代とそういう事すると、ベラベラ周りの人にそれを言いふらしそうだし、なんか俺のライフプランをメッチャクチャ崩してきそうだから、恐れているのだ。
だから、そういうことは、お互いもう大丈夫だと思えたときにしよう。
「んー……」
銀千代スリスリと俺の太ももに頰を寄せた。
「……」
つか圧倒的に俺のほうが辛いと思う。どれだけ我慢してると思ってんだ。
こいつはそれをわかってるのだろうか。
ピーピーと洗濯機が鳴ってピタリと静止した。騒がしかった室内が一気に静まり返る。洗濯物を籠に移してリビングに移動し、一つ一つをハンガーにかけたりして、干していく。
銀千代は無言で手伝ってくれたが、なんだがちょっと気まずかった。




