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第21話 十月の愛は難問とともに 前


 秋学期の水曜日。講義取得をミスって3限がぽっかり空いてしまった。

 暇なので図書館でDVDでも観ようかと歩いていたら、

「あ、いた」

 端正な顔立ちをした小柄な女性に声をかけられた。一瞬誰だっけと悩んだが、すぐに思い出した。SF研究会の先輩だ。


「キミ、ちょっと部室に来てくれない?」


「いやです」


 あまりいい思い出はないし、お金をタカられても困るのではっきりとノーを突きつけたら、先輩はこれ見よがしに肩をすくめて、


「一般人を対象にアンケートを取ってるんだ。僕だってめんどくさいけど、謝礼も出るし、時間もかからないから頼むよ」


 媚びるようにじっと見つめてきた。


 校舎の前に植えられた記念樹から、ひらひらと落ち葉が舞い落ちて行く。レンガ敷きに、赤や黄色の落ち葉が貼り付いて、一種の芸術作品のようになっていた。季節はすっかり秋だが、春先の出来事を忘れることはないだろう。

 

「アンケートならここでとればいいじゃないですか? 協力しますよ」


「そうしたいのはやまやまだけど、用紙を部室に忘れちゃったんだ」


 頭をコツンと叩いて舌を出す古典的なアクション。

 非常に、怪しい。嫌な予感するし、ついていかないほうがよさそうだ。


「それならお断りします。忙しいんで、じゃ」


「頼むよ。この間二千円上げただろ」


「あれはもともと俺のお金です!」


 先輩は「むぅ」と小さく唸り、しばらく無言で俺を睨みつけていたが、やがて何か思いついたかのように、片頬に笑みを浮かべた。


「わかった、こうしよう。ミクロ経済学の過去問欲しくないかい。必修科目だろ? たしかキミの学部は」


「……」


「本来なら部員にしか見せることはできないんだけどね。もしついてきてくれたら、特別待遇してあげてもいいよ」


 聞いたことがある。

 普段講義に顔を出さない陽キャたちが単位を落とさずに試験を突破できるのは、その人脈を使って過去問を手に入れているからだと。

 教授によっては試験問題を変えることをしないので、そういう授業の時は大いにサボることができるのだ。

 俺はサボろうなんて思っていないが、試験の過去問を手に入れることができたら、なんというか、心にゆとりを持つことができる気がする。

 そう考えた時、答えはすでに決まっていた。


 SF研究会の部室はサークル棟の3階にある。

 ここに来るのは五月以来だ。初めはサークルとかに所属して青春を送るぞと躍起になっていたが、俺にはやっぱり向いていなかったらしい。帰宅部の血には抗えない。


 薄っぺらいアルミのスライド式のドアを開けると、テーブルを挟んで一人のメガネの男が座っていた。部員だろうか。


「あ、どうも」


 と挨拶したら、


「来たか」


 と小さくつぶやかれた。なんだこの人。


「じゃ、僕は約束を果たしたから」


 先輩がニコニコしながらその男のそばに寄り、手を差し出す。


「心ばかりの礼だ。とっておきたまえ」


 ポケットから取り出されたくしゃくしゃのニ千円を受け取ると、今まで見たことないくらいいい笑顔で「僕はタバコ吸ってくるから、あとはテキトーに話でもしてて!」とスキップしそうなくらい軽い足取りでドアから出ていった。

「おい、過去問!」

 叫んだが無視された。


 いきなり見知らぬ男の人と二人きりにされて、俺にできるのは困惑だけだった。


「あの……過去問……」


「ようやくお会いできましたな。小生をご存知ですかな?」


「……」

 SF研究会に所属すると一人称を変わったものにしないといけない決まりでもあるのだろうか。

「いや、存じ上げません……、どこかで会ったことありましたっけ?」


 瓶底のような分厚いレンズのメガネをかけた男は、長い髪を後ろでまとめ、ボタンをきっちり止めたチェックのシャツの裾を、ジーパンにインしていた。

 こんなステレオタイプなファッションした人を忘れるとは思えないので、まぁ、まず間違いなく初対面だろう。


「小生の名前は見川みかわ大五郎だいごろう。金守銀千代ちゃんFCファンクラブTOトップオタの見川でござる」


「……は?」


「おぬしがゆーくんで相違ないな?」


 おっとぉー、こいつさては銀千代の厄介オタクだな。退散退散。


「ちょっと用事思い出したんで帰ります。んじゃ」


「待たれよ。決着をつけようではないか。おぬしと小生、どちらが銀千代さんを愛しているのか」


「その話長くなります? ちょっと忙しいんでまたにしてください」


「ご照覧めされよ」


 見川は突然立ちがると、羽織っていたチェックシャッツのボタンを外し、中のインナーを見せびらかしてきた。


 銀千代のサインが書かれていた。

 だからなんだ。


「あれは、五年前。台風で大荒れの、下北沢のライブハウス……」


「急に回想に入んな」

 俺のツッコミを無視して、男は遠い目のまま続けた。


「その日、芋洗坂39の前身であるオイモフレンズのライブが行われていた。生憎の天候でお客はガラガラ。小生も雨宿りがてら寄っただけで特段興味などはなかったのだが」


「お疲れ様でした」

 ドアをスライドして開けようとしたが、なにかがつかえて開かなかった。

「あれ、おい、なんだこれ」


「客のノリも最悪、ステージに立つアイドルたちもダラダラの締まりのないライブでござった。だが」


「ドア開かねーぞ、おい! なんかつかえてんのか!?」


「そんな状況でも最高の笑顔でパフォーマンスを行う少女。金守銀千代。小生はあの底抜けに明るい笑顔とキレキレのダンスに一瞬にして虜にされたでござるよ」


「そんなことより、えっと、見川さん、大変ですよ、ドアが開かないんです!」


「至極当然のことでござる。小生の話が終わるまでドアが開かないようにしてくれと、先程の女史に依頼したのでな」


「は? なんで」


「ライブを見届けた少人数のファンは、その衝撃的なデビューに皆、一様に口を揃えて、こう言った……。天使が舞い降りた、と」


「いや、回想続けんな」


「ゆーくん、いや、宇田川太一殿、おぬしの存在を我々トレジャーが把握していないとでもお思いか?」


「……トレジャー?」


「金守銀千代ファンクラブのメンバーの総称でござる。銀ちゃんという宝箱に誘われた我々はトレジャー」


 なにそれださい、と思ったが口をつぐむことにした。ヤバい奴にヤバイというと神経逆撫でする恐れがあるからだ。


「トレジャーの任務は地上に舞い降りた天使の活動を生涯を賭して応援する事でござる。彼女のファンが一致団結するのは、ひとえに銀千代ちゃんをトップにしたいという一意専心な思いがあるからでござる」


 ダンと机に両手をついて前かがみに熱く語られる。俺は曖昧にうなづきながら窓の向こうに目をやった。今日も抜けるような青空だ。

 薄くたなびく淡雲に、どこかに観光に行きたいという気持ちが溢れ出てくる。


「初めは小さな箱だったが、芋洗坂はみるみる大きくなっていったでござる。大きくなって、ファンからの距離が遠くなっても銀千代さんはいつでも小生らの顔を見てくれた。まさに伝説のアイドル」


「すごいですね」

 どうやってここから出ようか。


「その長く険しい道程は幼馴染でパートナーであるキミより我々のほうが熟知している自信があるし、絆はけして断ち切れるものではない」


「すごいですね」


「だからこそ、我々は『ゆーくん』という存在を黙認してきたんだ。しかしながら、先日の番組での一幕、あれはいただけない。いい加減にしてくれって、トレジャーは怒り心頭、キミのことを襲撃しようとする意見も多くござった」


「またかよ……」


 舌打ちともに苦い思い出が蘇る。


「また?」


「高校の時、何度か俺のことを襲ってきただろ! いい加減にしてくれ!」


「それは小生たちでござらん。おそらくハンターの連中でござろう」


「……ハンター?」


「銀千代さんをお宝に見立てて、それを手に入れようとする厄介ファンを総称してハンターと呼ぶのでござるよ。我々トレジャーとは一線を画している」


「やかましいわ! おんなじようなもんじゃねぇか!」


「一緒にしないでほしいでござる。それより、おぬしがいま襲撃されていないのは小生が仲間たちを抑えているということを肝に銘じてほしいところでござるよ」


「そりゃどうもありがとうございました」


 もうなんなんだよ、こいつ。さっさと帰ってくんないかな。

 俺が浅くため息ついたのを合図のように見川は首をコキコキと鳴らした。


「よし、ようやく本題にうつることができるでござる。単刀直入に言う。我々に銀千代さんを返してほしい。公共の電波を私物化するような男に銀千代さんは託せない」


「返すも何もあれは銀千代が勝手にやったことで」


 見川は鼻で大きく息を吸い込むとゆっくりとそれを吐き出した。


「おぬしには愛が足らぬ」


 見川はずり落ちたメガネを戻し、歯を見せた。

「愛?」

 なんでこいつ突然、北斗の拳のキャラみたいなことを言い始めたんだ?


「銀千代さんと付き合っているのも、おそらく彼女の名声が目的でござろう? 我々は違う。神を愛するように銀千代さんを愛している。真実の愛というのはかくも美しいものなのだよ」


「……」

 言われっぱなしはムカつくし、なんか反論してやろうかと思ったが、こういうタイプは無視するのが最も効果的だと短い人生経験で俺は学んでいた。


「幼少期の銀千代さんを知ってるからって調子に乗らないでほしいでごさるよ。我々はアイドル活動を始めた時から銀千代さんのことを調べ尽くしているのだから」


 きもぉ。

 と思ったが、何に対して一生懸命になるのは個人の自由だ。思っても口に出すのはやめておこう。


「金守銀千代十三歳。アイドル界のテッペン目指して頑張ります。どんな男の人もテレビで銀千代を見たら他の女の人に目移りしないような存在になりたいです」


「……なにそれ」

 二重人格?


「銀千代さんの芋洗坂39に所属したときの自己PRでござる」


「きも」


「よいか、ゆーくん殿。我々はすでに銀千代ちゃん以外の異性に別れを告げた聖騎士ホーリーナイト。失うものなんて何も無い。いや、銀千代ちゃんに全てを捧げてきたのでござる。愛イコール理解。ゆーくん殿、おぬしは我々に勝てるとお思いか」


「勝てなくて結構です。好きにやってくれ。俺も俺でテキトーにやるから」


「奢り昂り言語道断。ゆーくん殿。小生と勝負してほしいでござる」


 分厚いメガネの奥の細い瞳が俺のことを睨みつけてきた。


「銀千代さんに関する問題をお互いに出し合うでござるよ。もし小生が勝ったら銀千代さんと別れてほしいでのざる」


「俺が乗るわけなくね? メリットないじゃん」


「ミクロ経済学のテスト過去問をあげよう」


 どんと机の上にレポート用紙の束を置かれる。

 どうやらSF研究会の先輩から俺の目的については聞いていたらしい。そういえばあの人、部室に行くまでの間ずっと歩きスマホしていた。


「参加するだけで過去問はお主のものでござる。さらに、万が一勝利した暁には銀千代ちゃんの黄金の首振り人形も差し上げよう」


「……」

 首振り人形は心底いらないが、過去問は魅力的だ。だけど負けるのは悔しいし、アイドル活動に関する問題を中心に攻められたら俺に勝ち目はないだろつ。君子危うきに近寄らず。

「いや、悪いけど」


「負けを恐れる愛がこの世にあるものなのだろうか。何も失うつもりはないくせに、天使の横に立てるとでも?」


 好き勝手言いやがって。

 プチ、と血管が切れるような音がした、気がした。

「ほっとけ。どいつもこいつも外野がワーワー騒ぎやがって。お前らなんて関係ないんだよ」

 俺と銀千代の関係に介入して良いのは弁護士と警察だけだ。

「他人に言われて別れるようなら、最初から付き合ってなんかねぇよ!」


「……」

 見川は突然怒鳴られて呆気に取られたのか、ポカンと口を開けていたが、やがて、

「くくくく……」

 と肩を震わせて笑い始めた。

 大分涼しくなってきたと思ったが、残暑で頭をやられてしまった悲しき存在らしい。


「なかなか骨のある御仁でござるな」


「さっさとドア開けて消え失せろ」


「ゆーくん殿。賭けはなしでよいので、一つ純粋な勝負をしてほしいでござる。銀千代ちゃんに対して、どちらが深い愛を持っているか、の」


「しつこいな、あんたも」


「小生にも銀千代ちゃんトップヲタのプライドがある。小生の愛を確かめるという意味でも胸を貸してほしいでござるよ」


 見川はその場で膝を折り、土下座した。後世に残したいくらい美しい土下座だった。ブライドなんてないらしい。

 無視してもよかったが、さすがにしつこいし、負けて失うものがないなら、先輩が帰ってくるまでの暇つぶしにはもってこいかもしれない。

 俺は嘆息して、見川に立ち上がるように言い、


「もうわかったよ」


「では……!」


「いいぜ。やってやるよ。その代わりあんたが負けたら二度と俺たちに絡むなよ。そのトレジャーとかいう連中も含めてな」


「承知つかまつった」


 銀千代が子供の頃の問題を出せば、やつに点を取られることはほぼないだろう。なので、俺がやつの問題に答えられるか、という点が争点だ。

 まあ、なんだかんだで、俺だって芋洗坂の花見とかに参加したことがあるくらいには詳しいし、1問くらいはなんとかなるだろう。ならなかったら無視して帰ろう。


 三番勝負だ。

「それでは、第一問」

 見川は人差し指をピンと立てて、続けた。




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