第18話 十月のマリッジブルー
「それじゃあ訊くけど、ゆーくんは一体何が不満なの?」
銀千代は純粋無垢を煮詰めたようなどす黒く濁った瞳でジッと俺を見つめてきた。
テーブルを挟んでお互い正座だが、どうにも目力があるせいで惹きつけられそうになってしまう。
「炊事、洗濯、掃除、……お仕事もちゃんとしてるし、専用口座に毎月お金も入れてるし、エッチな事したいって言われたらいつでも準備万端だし、かわいいし、性格もいいし、優しいし、女子力高いし、頭も良くて、こんなに尽くしている銀千代の何が不満なの?」
「勝手に籍入れたからだよ!!」
役所から書類に不備があったと実家に連絡があって発覚したのだが、銀千代が勝手に市役所へ婚姻届を出したらしい。
寝耳に水とはこのことだ。
親から「あんた、銀千代ちゃんと結婚したの!?」というラインに目を疑い、問い詰めたら開き直りやがった。
「籍……あ、あぁ! そうか! ごめんなさい、ゆーくん、一緒に提出したかったんだね! ごめんなさい、先走っちゃって!」
「ちゃうわ、ボケ! 俺はお前と結婚するなんて言ってねぇだろ! まじでふざけんなよ!」
人前でこんなみっともない話をするわけにはいかないので、家に呼び出したはいいが、事の重大さにわかっていないらしく、終始ヘラヘラしているので、怒鳴りつけたら逆ギレされたのが現状だ。
「その件に関してはごめんなさい」
素直に頭を下げられた。
「次は必ずうまくやります」
「そうじゃない!」
思わずテーブルを叩いて怒鳴ってしまっていた。
今回はたまたま提出書類に不備があって通知が実家に届いたが、もし受理されていたと思ったらゾッとする。ちょっと調べてみたが、裁判を起こさないと戸籍を元に戻すことができなくなるらしいのだ。なんで被害者が苦労しなくちゃいけないんだと舌打ちしそうになった。
「銀千代としたことが、本籍地を間違えるなんて凡ミス……本当に恥ずかしいよ……。不甲斐なし。穴があったら入りたい」
駄目だこいつ、早く何とかしないと……。
「まずお前と結婚するなんて言ってないだろ!」
「言ったよ、ゆーくん。銀千代が一昨日の深夜3時に結婚しようって逆プロポーズしたら「うーん……」って。まさか、覚えてないの!?」
「覚えてるわけねぇだろ! 寝ぼけてんじゃねぇか!」
わかっててやってるから始末が悪い。
銀千代は悪びれた様子なく首をぐるりと回し「まあ」と言葉を区切ってから続けた。
「愛にはいろんなカタチがあるよね。銀千代は今の関係性のままでも、もちろん構わないけど。はいはいこの話はおしまい。チューしたあと仲直りセッ」
終わらせねーよ!
「この際はっきり言ってやる。おまえ異常だかな!」
「イジョウ?」
「同意なく婚姻届を役所に提出するなんて、やばすぎんだよ。犯罪だし、迷惑なんだよ」
「ドウイ?」
「なんで片言になる……」
「でもゆーくんと銀千代は付き合ってるんだよ、ネ?」
「……そりゃあ、まあ、な」
「遊びじゃないもん、ネ?」
「……」
なんか目、こわ。
「お互い本気じゃないなら最初から付き合わないもんね」
銀千代は目をカッと見開いて俺を見つめてきた。
半ば押し切られたカタチで付き合うことになったと思うが、カップルという形態を了承したのは事実なので、そこに関しては文句は言わないことにしているが、本気度には違いがあると思う。
「ただの劣情の慰め役で銀千代は選ばれたわけではないとわかってるの。これは一種の契約であり、お互いの認識の摺合せなんだよ。巷で蔓延る偽物の愛なんかとは比べ物にならないんだよ」
何言ってんだ、こいつ?
「それに、ゆーくんは覚えてないかもしれないけど、結婚の約束はとうの昔にしてるよ。いつにするかは決めてなかったけど、さ」
ケロリとした表情で銀千代は両手を広げた。
「え、いやいやいやいや嘘つくなよ。そんな記憶ないぞ。いつしたんだよ」
「直近だと昨日の夢に出てきたゆーくんがプロポーズしてくれたよ。シンデレラ城の前で片膝ついて……うふふ、ゆーくんったら意外とベタなんだから」
「現実の話をしろよ!」
「現実でいうと、一番古い婚約は小六のときかな」
「……は? いつだよ、全然記憶にないんだけど」
聞き返すと銀千代はどことなく寂しげな表情を浮かべ小さく唇を尖らせた。
「あれは、小学六年生の体育の時間。鉄棒で天国回りができたら結婚してって銀千代がお願いしたらゆーくんは勝手にしろって言ったんだよ」
「文脈を読め! あきらかにそういう意味じゃないだろ! 小学生の俺ですら呆れ果ててんじゃねぇか!」
「ええっ、つまり銀千代の勘違いだったってコト!?」
銀千代は露骨に仰け反って、床にへたり込んだ。
「ううっ……まさか婚約破棄されるなんて……」
そもそもしてない。
「でも婚約破棄のあとは大抵サクセスストーリーが始まるらしいよ……」
そのポジティブシンキングが羨ましく思うことがたまにある。
「切り替えてがんばります」
しゃっきりと立ち上がり銀千代は俺にほほえみかけた。
「ゆーくん、改めてよろしくね」
「ぅ、ああ」
なんか勢いに負けて頷いてしまった。
「そうと決まればまずは式場選びだね」
「いやいやいやいや待て待て待て。何もわかってねぇじゃん。話聞いてた? 結婚しないって」
「いまは、まだ、ね。でも、未来はわからない」
圧力がすごい。
「いつかはするなら、今のうちに決められることは決めておこうよ。持ち家にするか賃貸にするか。持ち家なら、間取りとか、ローンはどうするか、固定金利か変動か、とか。子どもはどうする? できれば二人ほしいな。そうなるとある程度広い間取りがいいよね。あ、あと将来老後は畑耕したいから庭があるお家がいいな。わんちゃんも飼えるし」
「少なくとも大学卒業までは自由にさせてくれ、頼むから」
「銀千代はねー、地下室欲しいんだ。隠し部屋。屋根裏でもいいんだけど、地下室のほうが頑丈そうでいいよね」
「……なんで、そんなもの」
「何かあったときのためだよ。備えあれば憂いなし」
「何かってなんだよ」
「……」
目、怖ッ!
「ともかくさ、将来設計を早めにしておくに越したことはないと思うから、ゆーくんのプランも聞かせてほしいな」
「俺のプラン?」
「そう、何歳で結婚したいか、とか、何歳で子供ほしいか、とか」
「人生設計ってこと? そんなら、とりあえず新卒でどっかしらの企業に勤めたいな」
「結婚は?」
「は?」
「結婚」
なんか今日、圧がすごくないか?
そういうのって同棲して一年くらい経過しかぐらいから強くなってくるもんじゃないの?
そもそもこいつが勝手に来てるだけで同棲もなにもしてないんだけど。
「いや、マジでよくわかんねぇけど、とりあえず三十歳くらいまでには結婚したい、とは思うけど、別にしなくていいし……」
「それならさ、今しても、よくない? いつでもいいなら思い立ったが吉日だよ。あっ、カレンダー見てみて、今日、大安吉日!」
「学生結婚はなにかと金かかるらしいから、それはないな。とりあえず就職しないとなんとも」
「銀千代、学校辞めて働くよ!」
「いや、そこまでは求めてない」
そもそもお前と結婚するとは言ってない。
「お金が心配なら安心して。人生三回くらいは遊んで暮らせるくらいの貯金はあるし、余剰分は投資に回してるから、増えることはあっても減ることはないよ!」
銀千代はかつて芸能界に身を置き、莫大な収入を得ていた。彼女の言う通り、無駄にお金は持っているのだ。
「いつでもゆーくんにトンカツ食べさせて上げるから!」
「もう少し普通の青春を楽しもうぜ、なっ! 結婚したら学生のうちにできることもなくなっちゃうだろ?」
「結婚したら二人の関係性は変わってしまうのかな」
銀千代は何故か少しだけ寂しそうな顔をした。
「いつまでも変わらず銀千代とゆーくんはラブラブだと思うけど……」
「変わらないなら結婚しなくてよくないか?」
「……それはそうかもしれないけど、だけど、ゆーくん、銀千代は不安なんだよ。これから先なにがあるかわからないし、だからできるだけ不安要素は排除しておきたいの。ゆーくんと銀千代は一生一緒だって、安心したいの」
「お前の言いたいことはよくわかった」
「ゆーくん……」
「だから、その書類にハンコを押そうとするのはやめろ」
こいつまだ婚姻届持ってやがったのか。
何枚市役所から受け取ってんだ、クソが。
テーブルに広げた書類に印鑑を押そうとする銀千代の右手を掴む。書類にきっちり必要事項が記入されていた。俺の筆跡なのが恐ろしいところである。
「でも、ゆーくん、銀千代は不安で……!」
「然るべき時が来たら俺から言うから!」
「ゆーくん!!」
銀千代はバッタのように飛び跳ねると俺の胸に飛び込んできた。
彼女の右手から放り出された印鑑が壁にあたって赤いシミをつけた。血痕のようだった。
「んー、好き好き好き好き好き好き好き好き好き! プロポーズだよね! これ! 好き好き好き!」
「違うわ! バカ、離れろ!」
「真のフィアンセになれた喜びで銀千代はゆーくんから離れられない病にかかりました!」
そのまま死ね。
「ゆーくん、誓いキスの練習しとこ! んー!」
唇を突き出されたので、俺は這い出るように銀千代の拘束から逃れ、大きくため息をついた。
「ゆーくん……」
銀千代は寂しそうに俺を見上げ、肩を落として、
「然るべき時、っていつ?」
しょげかえる。少し滲んだ瞳で問いかけてきた。
俺は少し考えて、応えた。
「俺がお前に見合う男になった時な」
「もう十分……」
「いや、まだだ。俺が納得したとき、……そのときに、こっちから言うから。それまで黙って待っとけ」
「ゆーくん……」
銀千代の瞳はキラキラと輝いた。
我ながら上手い言葉でごまかせたと思う。
「愛してる……」
銀千代は優しく微笑んだ。




