第16話 九月に不穏なドライブを
「大学生活はどんな感じ?」
茶色がかった虹彩を細ませて、花ヶ崎さんが訊いてきた。
「ぼちぼちだよ。履修登録とか最初は戸惑ったけど慣れればこっちのほうがいいよね」
「そーゆーことじゃないよぉ」
語尾を伸ばし、呆れたように鼻で笑われる。
教習所の座学の授業、教官が来るまでの待ち時間。教室というよりは会議室のような空間で、俺と花ヶ崎さんは隣同士で座っていた。
「詳しく聞きたいのは銀ちゃんとの同棲生活についてだよ。羨ましいなぁ。ふたりの愛の巣」
少女漫画のワンシーンのように、うっとりとした表情で頬杖をつく。
「なんか勘違いしてない? 同棲なんかしてないし、勝手に入ってきてるだけだよ」
例えるならば、ぬらりひょん。
「アタシもパートナーほしーぃなぁー!」
「話聞けよ、おい」
「青春したいぃー」
机にうなだれた。
「花ヶ崎さんならすぐ見つけられるんじゃないの?」
「誰でもいいわけじゃないんだよ」
うつむいたままくぐもった声でボソリと呟かれる。
「花ヶ崎さんモテるじゃん」
「好きでもない人にモテても嬉しくないし」
「あー……」
グリンと首を回して俺を睨みつける。なんかかわいい。
「いーい? まずイケメンでしょ。それから優しくて。アタシがラインしたら秒で返信くれる人じゃなきゃダメ」
知らん。
「ねぇ、合コンってやつ、やってみない? アタシの友達も出会いに飢えてるからさ。トワさんのお友達と交流会しようよ」
大学生になったらしてみたいこと第一位、合コン。コロナ禍で鬱屈とした青春を過ごした我々世代は全てを取り戻すために必死なのだ……が、しかし、
「多分会場が血の海になるから」
「なんで?」
「なんでって、そりゃあ……」
俺と銀千代と高校時代を過ごしたくせに、数ヶ月経って数々の惨劇の日々を忘れてしまったらしい。喉元過ぎれば熱さを忘れる、とはよく言ったものだ。
「もしかして、トワさん、友達いないの?」
「……」
否定できないのが悲しい。
「あ。そーか。トワさんには銀ちゃんがいたね。いかんいかん。出会いに飢えすぎて根本的なこと忘れてたよ」
ため息をついて花ヶ崎さんはうなだれた。
「どっかにイケメン落ちてないかなぁ」
そんな疲れ切ったOLが読むような少女漫画的な展開はこの世には存在していない。
「あっ! そーだ。それこそ銀ちゃんにお願いすればいんだ。うまく行けば、芸能人と付き合えるかもしれないし」
「やめとけやめとけあいつは付き合い悪いんだ。そもそも友達がいないから合コンなんて開けないと思うよ」
「それはわかんないじゃん。ダメ元で聞いてみよ。……あれ、そういえば銀ちゃんは今日は教習ないの?」
「仕事らしい」
ずっと仕事しててほしい。
「そーなんだ、じゃあ次会ったときにお願いしてみよっと」
と花ヶ崎さんが一人で頷いたとき、前方のドアが開いて教官が入ってきた。短髪の筋肉質の男性で、若そうに見えたが、どこか疲れているようだった。
「おはようございます。まず出席を取ります。名前が呼ばれたら返事をしてください」
と事務的なやり取りを行い、ホワイトボードの横にあるモニターのセッティングをし始めた。
「本日は適性検査の結果を踏まえ、性格別の教習ビデオを視聴してもらいます。今準備しますので少しお待ちください」
ディスクをプレーヤーに挿入すると、しばらくして画面が表示された。「後ろの方まで聞こえますかー?」と音量を調節してから、部屋の証明を落とし、オール再生をリモコンで操作してから、横の椅子に教官は座った。
数か月前までオンラインで受講するシステムだったらしいのだが、今日は実習もあるので時間つぶしにはちょうどいい。
カラオケのミュージックビデオのような何処か古臭さを感じる風景と一昔前の流行の髪型をした役者が性格別の注意点を上げながら運転をする動画だった。
ところどころ飽きないようにしょうもないギャグが入っているのは割と好感度だ。
『性格8 浮気性の人』
違和感を感じたのは十五分ほどしてからだった。
画面の中の風景がいきなり新しくなった。高層ビルが見え、道行く人々のファッションも真新しい。
映像はカップルが二人、路肩に停められた外車に乗るところからスタートした。
「今日はレインボーブリッジで夜景デートしようか」
カレシ役の人がキッチリとしたスーツに身を包み、ドレスを着たカノジョに言う。
「わぁー、嬉しい! さっそく行きましょ!」
花咲くような笑顔で微笑む、幼さが残る女性。
あれ、この人……。
室内が一瞬ざわついた。
「シッチーじゃん」
隣に座る花ヶ崎さん目を丸くしながら呟く。
シッチー?
あ、沼袋七味。
「こんな場末の教習所に芋洗坂のシッチーのビデオが流れるとかムネアツ」
前方に座る眼鏡の男子が興奮したようにはしゃいでいる。
え、まじ?
改めて助手席に乗り込む女性を確認するが、確かに沼袋七味だった。
俺達の一つ年下で、銀千代の所属していた芋洗坂39のアイドルだ。
同じ高校に通っていたので、面識はあるが、画面の中で見る彼女は普段との印象が違いすぎて一瞬気が付かなかった。
車が東京タワーをバックに走り始める。教習のビデオのはずなのになんだかドラマのワンシーンのようだ。車内のカメラに切り替わり、会話を交わす二人の映像が映し出された。
「だからやっぱり最強はゴールドエクスペリエンスレクイエムだと思うのよ」
カノジョが謎の熱弁を振るっている。
カレシはきもそぞろといった感じで「ああ」とか「うん」とか気のない返事をしている。
「……ねぇ、ちょっと、今、歩道にいた人見てたでしょ」
先ほどまでの和やかな雰囲気が一転、ピリピリとした空気に変わる。
「み、見てないよ。急に何言ってんだよ」
「嘘よ。目線どころか首ごと持ってかれてたじゃない。そんなにあの人のこと気になったの?」
「なんの話だよ。俺はしっかりハンドル握ってたっての。お前の気の所為だよ」
「おまえ? 私に向かって「お前」って言ったの? 私、人のこと「お前」呼びする人、大キライなんだけど」
「いま、そんな話してないだろ。運転に集中してんだからしょうもないことでイライラさせんなよ」
「しょうもない、ってなに? イライラしてんのはそっちのせいでしょ。大体運転中によそ見しないでよ」
「見てねぇっていってんだろ。ちょっと胸元が出てる服を着てる女が歩いてたくらいでギャーギャーやかましいな」
「見てんじゃねぇか!」
と怒鳴ったところで、画面が白黒になって静止した。
「ぎゃー」
悲鳴のあとでスリップ音が響き、ドォンという衝突音と続けてわざとらしいドカーンと爆発音がして、赤字ででっかく『前方不注意で事故りました』と表示された。
なんだこれ。シュールギャグの極みかな?
「あらあら、楽しいデートだったはずなのに、ちょっとした気の緩みで大事故になってしまいました。運転中に集中を切らしてはいけません」
いきなりナレーションが入ってきた。女性の声だ。
「……」
いや、これ、銀千代の声じゃね?
「一体何が原因だったのでしょう? 時間を巻き戻してみましょう」
ナレーションが問いかけると同時にキュルキュルとわざとらしい巻き戻し音が鳴り、一番最初のシーンに戻る。
なにこれ、再上映ってこと?
「今日はレインボーブリッジで夜景デートしようか」
スーツの男性が沼袋に提案しながら、車のボンネットをボンボン叩く。
「そうですね。車の下に猫ちゃんがいるかもしれませんから、ボンネットをボンボン叩き、周囲に障害物がないか確認してから乗りましょう」とナレーションが明るく言うと画面にでっかく丸印が浮かび上がる。
「やっぱり最強はゴールドエクスペリエンスレクイエムだと思うんだよね」
画面にでっかくバツ印が表示される。「いいえ、最強はタスクACT4です」何の話だ。
その後のカレシ役が目線を横にやる。
カメラが車外を映すと、派手な格好をした女性が歩いていくところだった。
ブーブーブーという音とともに画面にバツが3つ浮かぶ。
「脇見は絶対にいけません。脇見は死に繋がります。貴方の人生も、大切な彼女も、たった一回の脇見運転で失ってしまうのです」
なんかやけに熱がこもった謎のナレーションとともにカレシは首を振って、「最強はお前の美しさだよ」と歯を見せて笑う。
「お前……?」
コメカミをピクつかせる沼袋のアップが映り、画面が切り替わる。
レインボーブリッジに向かって走っていくポルシェの前方に「ハッピーエンド」と浮かんでいる。はたして本当にそうなのだろうか?
「はい、映像は以上になります」
教官が停止ボタンを押し、室内を明るくする。
「君たちは運がいいぞ。最近この映像新しくなったんだ」
と落ちくぼんだ目で教官が言うよりも先に、拍手がまばらに起こり始めていた。
「なんかすごい感動しちゃった」
「脇見運転絶対しないようにしよう」
「シッチー可愛かった!」
「いい教習所選んだなぁ、おれ」
最近銀千代が忙しい、ってしきりに言ってたのは、こういうくだらない映像を撮っていたからか、と悟った俺は一人頭を抱えていた。




