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第13話 八月は酩酊のバスルーム


 一人暮らしを初めて早数ヶ月。ここ最近はシャワーで済ませてばかりで、入浴という概念がすっかり消滅してしまった。

 ヘトヘトの帰宅後に、風呂掃除して湯をためて、という一連の流れが死ぬほど面倒くさいし、なにより光熱費がバカ高いので、お手軽にシャワーで済ませてしまうのは仕様がないことなのだ。


 とはいえ実家にいたころは毎日お風呂に入っていただけに、なんだか居心地の悪さを感じて落ち着かないし、なんだかんだで風呂好きの大和魂が疼くので、週に一度は湯船に浸かるように心がけていた。そんな日曜日。


 湯をためながら、洗い場でシャンプーしていると視線を感じた。霊的なものではない、おそらく銀千代だ。風呂桶で髪を流してから周囲を見渡すが、人影はなかった。自意識過剰だったらしい。当たり前だ。そもそもバスルームに窓はないし、隠しカメラを設置できるようなスペースもない。だからこれは杞憂。そう思いこむことにした。

 体を洗い終わり、ちょうどよい水量と水温になったことを確認してから、お湯を止める。

 待ちに待った瞬間だ。

 バスタブをまたぎ、右足のつま先から順に温もりに包まれていく。柚子香る入浴剤なんかを入れちゃったりして、今日は気持ちよくお風呂に浸かることができそうだ。

「はぁあああああ」とおっさんみたいな息を吐きながら、湯船に浸かっていると、


「ゆーくん」


 ドアがガチャリと開いて銀千代が顔をのぞかせた。


「オジャマ……」


 バタンと後手でドアを閉める。勇次郎を彷彿とさせる乱入に、呆然とする俺を置いてけぼりのまま、ニコニコと銀千代が続けた。


「お前……」

 男女逆なら凄まじい犯罪行為だぞ。いや、なんにせよ犯罪だ。


「実はね、銀千代のお部屋の給湯器が壊れちゃって。ちょっとお風呂貸してくれないかな」

 右手に持ったフェイスタオルで体のラインを隠しているが、全裸だった。

「お背中お流しするから、サ」

 少しだけ照れくさそうに頬をピンクに染め上げているが、恥ずかしいなら止めてほしいと密かに思った。


 鼻で大きく息を吸ったら、お湯が鼻腔の奥に入って、ツンと傷んだ。だいじょうぶだ……おれはしょうきにもどった!

「服着ろよ、バカ」


 ため息をつきながら、背中を向ける。こいつの肢体は目に毒である。


「お風呂はいるのにお洋服着るバカはいないよっ」


「そもそも何勝手に入ってきてんの? 家にも風呂場にも」


 正直ドアが空いたときはビクリとしたが、慣れとは恐ろしいもので、この程度のプライバシーの侵害では俺の心が波立つことなく、昼下がりのコーヒーブレイクと何ら変わりない平穏なものになってしまったのだ。そうに違いない。


「ノックしたよ? ノックしたけど返事がなかったから入っちゃった」


 お湯ためてる音が大きかったのか、はたまたノックの音が小さかったのか。過ぎ去った過去をとやかく言うつもりはないが、一番の問題点は火を見るよりも明らかである。


「入っちゃったじゃねぇよ。不法侵入だからな。何回注意させるんだ、まじで」


「鍵が空いてたからいいかな、って思って」


 家にいるときは鍵を開けっ放しにするクセを早急に治さねばならない。


「いいわけ無いだろ。そもそも鍵閉めてても入ってくるだろうが、お前は」


「それはそうだけど……、でも、返事がなくて鍵が空いてたら、心配になっちゃうよ。ドラマだったら、人が死んでる可能性が非常に高いし、ゆーくんがトラブルに巻き込まれたという可能性が1%でもあるなら、行かざるを得ないよね」


「今がそのトラブルの渦中だよ」


「ToLOVEる?」


「うるせぇよ」


「ダークネス?」


「少し黙れ」

 だとしても男女のシチュエーション逆だろ。


「それでさ、ゆーくん話戻るんだけど、家の給湯器が壊れちゃったの。大家さんに頼んで修理の手配してる間だけでいいからお風呂貸してくれないかな? お金なら払うから」


「金あるなら銭湯いけよ」


「やだ。銀千代ってさ、ほら、ちょっと潔癖なところあるじゃん。知らない他人と同じ湯船に入りたくないし、脱衣場とかで水虫もらうかもしれないって考えたらちょっとね。そもそも銭湯の文化あんまり好きじゃないんだ。露天とかは好きだけど、銀千代の完璧なプロポーションと素肌はゆーくん以外に見せたくないから」


「あっそ。まあ、事情が事情だから、百歩譲って風呂貸すのは構わないとして、一緒には入らないからな」


「ええ、なんで!? 意味わかんない。一緒に入ったほうが時間もお風呂代も節約になるよ」


「大家族じゃないから。風呂くらい落ち着いて入らせてくれよ。一日で唯一落ち着けるスペースなんだよ」


 わざとらしく浅くため息をつかれた。

「ゆーくんにとってお風呂タイムは大事なものだって理解してるから、銀千代のことは湯女ゆなだと思ってもらって構わないよ」


「ゆな? なにそれ」


「江戸時代、銭湯とか温泉宿にいた接待してくれる女の人のことだよ。ゆーくんの入浴をより良いものにするためにサポートするの!」


 それって、いや、まあ、なにも言うまい。

「つうかさっき銭湯の文化嫌いって言ってたじゃん」


「銀千代は今の話してるんだよ! 外が暑くて汗かいちゃって、こんな汗臭い姿でゆーくんと会うなんて考えられないから、ひとまず今はここで働かせてください!」


「うるせぇ、せめて俺が上がるまで待て!」


「もう服脱いじゃって着直すのもめんどくさいから、ここで働かせてください!」


「だから、俺が上がってからならいくらでも入ってていいから、ちょっと待っとけって言っ」


「ここで働かせてください!」


「しつけぇよぉ!」

 湯婆婆の気持ちが少しわかった。

「くそ、上がるから自由にしてくれ」


「え、一緒に浸かろうよ、お風呂」


「その必要はない」

 バスタブのヘリを掴んで立ち上がる。ザバっと音がして、勢いそのまま脱衣場に向かう。できるだけ、銀千代を視界に入れないようにしていたが、「ゆーくんのゆーくんは今日も元気いっぱいだね!」と銀千代はお構い無しで俺を見ているようだ。死ね。


「あれ」


 脱衣場とバスルームを繋ぐドアノブを掴んで回し、押したが、ドアが開かなかった。


「ん?」


 ちょっと隙間はできるが、完全に開き切ることはない。


「なんで、あれ?」


「あっ!」


 白々しく銀千代が声を張り上げた。


「さっき配送されてきたばかりの荷物ほんだなを玄関の横においたんだけど、もしかしたら、それが倒れてしまったのかも」


「……なんて?」


「たぶん荷物がつっかえ棒みたいになってドアを塞いじゃってるんだよ」


「……どういうこと?」


「お風呂場に閉じ込められちゃったってこと」


「SAWかー」

 言うてる場合ちゃいますけどね、

「いや、えっと、うん、百歩譲ってそれはわかったけど、本棚なんて頼んだ覚えないぞ」


「ラブラブの思い出をアルバムにして並べたいと思って銀千代がアマゾンに注文しておいたんだ。で、さっき届けられたから組み立てようと思ったんだけど、そういうの銀千代苦手だからゆーくんにお願いしようと思って」


 自作PC使ってるやつが何言ってんだ。


「玄関にとりあえず置いておいたんだけど、ごめんなさい。きっと銀千代がバスルームに入ったときの振動で荷物が倒れてつっかえてしまったのかも」


「は、はは」


 乾いた笑いがでた。


「ぬぅん!」

 思いっきりドアを押してみたが、やはり隙間ができるだけでドアが完全に開き切ることはなかった。できた隙間から外をうかがってみると、なるほど、確かに茶色い段ボールが床に倒れピッタリと向こう側の壁にくっついている。閉じ込められたってわけか、銀千代と、バスルームに、全裸で二人。

 仰天ニュースで度々見るシチュエーションじゃねぇか。


「どうしよう」


 銀千代が声を上ずらせながらつぶやいた。演技かどうか判断がつかない。


「まあ、なんとかなるべ」

 隙間風がきついのでしっかりドアを閉めなおし、とりあえず冷えたので、俺は湯船にカムバックした。

「ちょっと考える」


「うん。銀千代も洗いながら考えるね」


 銀千代はタオルを一旦首に巻き、手に持った風呂桶で俺の眼の前からお湯をすくい、それを頭からかぶった。許可するからシャワー使ってくれと言ったが無視された。

 ザバァーと音がして、銀千代の髪からお湯が滴る。


「ゆーくんの出し汁……」


 気持ち悪いことつぶやいたので、舌打ちして視線をそらす。

 どうすべきかきちんと考えよう。

 窓はないが、壁は薄い。助けを呼べば誰か来てくれるとは思うが銀千代と二人きりというシチュエーションは恥ずかしい。出来れば誰の手も借りずに脱出したいが、表の本棚がドアを塞いでいる限り難しいだろう。まあ、ドアは薄っぺらいので、最悪、ぶち破るとして、修繕費のことを考えるとできるだけ避けたいところではある。

 うーむ。

 とりあえず後でもう一度ドアを開けてみよう。隙間から手を突っ込んで荷物を少しでも上げられれば、ドアも開くはずだ。


 ちゃぽんと音がして、俺の眼の前に白い足が降り立った。


「!? おま」


「オジャマしまーす!」


 体を洗い終わったらしい、銀千代が至って平然とした顔つきで俺の正面に座った。


「ちょっと、まてよ!」


「だぁめ、待てないよ。ゆーくんと一緒にお風呂つかりたいって、銀千代はずっと思ってきたんだからね」


 正面はマズイ。いろいろと。辛抱がたまらなくなる。

 俺は慌てて、体の向きを変えようとしたが、なにぶん狭い湯船なので、うまくいかなかった。

「あん」それどころか銀千代の臀部にくるぶしがあたって、変な声をあげさせてしまった。

「ゆーくんのエッチぃ」

 ニタニタと言われる。


「ちがう、誤解だ! 一回お前出ろ! こんなことやってる場合じゃないだろ」


「ゆーくん、落ち着いて。二人で協力すればどんな困難も乗り越えられるよ」


 困難を作ってるのはお前だ。

 少し湿ってつややかになった銀千代の大きな瞳に吸い込まれそうになる前に俺は強く目を瞑った。


「ともかく一回落ち着くぞ!」


「好きな人と一緒にお風呂入ってるのにそれは無理という話だよ」


 ともかく脱出手段を考えなくては。


「ところでゆーくん、最近銀千代のカップ数があがりました」


「……」


「ほら、ゆーくん、目を開けてー。ふたごじまだよー。伝説のポケモンもいるよー」


 ちょっと何言ってるのかわからなかった。

 無視だ無視。なんだかクラクラしてきたし、銀千代の相手をしていたら無駄に力を消耗してしまう。

 俺は銀千代を無視して一旦心を落ち着かせることにした。

 落ち着こうとして息を吸ったら、

 なんだか、体がふらついた。


「っ」


「ゆーくん?」


 あれ?

 銀千代が心配そうに声をかけてきたが、なんだか、いやに遠くに聞こえた。頭が熱い。いや、火照っているのは体全体だ。お風呂に入っているのだから、当たり前なのだけど。

 かくん、と力が抜ける気がした。


 なんか、


 ジワァーとこめかみから熱い何かが広がって、鼻の頭が熱くなる。なんだこれ。意識が。

 パジャンとお湯の弾ける音が鼓膜を揺さぶった。


「……」


 しばらく無音が続く。


「……はっ!?」


 目覚めると柔らかな感触が頭部を包みこんでいた。

 意識は明瞭で、気分は爽快だ。


「あっ、ゆーくん、大丈夫?」


「……?」


 銀千代の顔が天井にある。いや、なんだ、これ、膝枕されてるのか?


「うおっ!」


 体を回転させて、銀千代の膝枕から逃れる。

 なんだなんだ、一体何があったんだ!?

 俺はお風呂に入っていたはずなのに、いつの間にかパジャマを着て、銀千代の膝枕で横になっていた。何をされたのかわからなかった。頭がどうにかなりそうだった。催眠術だとか超スピードだとか。そんなチャチなもんじゃあ、断じてねえ。もっと恐ろしいものの片鱗を味わったぜ。


「落ち着いて、急にそんなに動くとまた倒れちゃうよ」


 銀千代が心配そうに俺をじっと見つめる。

 また?

 混乱する俺を安心させるためか、銀千代は幼子に解き聞かせるような優しい声音で続けた。


「お風呂に入っていたゆーくんはね、のぼせちゃったみたいで気を失ってしまったの。救急車を呼ぼうとしたんだけど、電話口の人に涼しい部屋で安静にしてれば治るって言われたからその通りにしてたんだ」


 膝枕する必要はなかったのでは……?

 クーラーが稼働し、銀千代の手には団扇が握られている。

 いや、とりあえず、原因は明白だが、助けてもらったのは確かだし、

「あ、えっと、ありがとうな」

 とりあえずお礼を言っておこう。


「ううん、いいの、これくらい。ゆーくんが無事で良かった。本当に……」

 涙目で言われるもんだから、こちらも気恥ずかしくなって、……ん?


「あれ、そういえば、ドアは……」


 閉じ込められていたからこんなことになっていた、ということを思い出し、俺は背後のバスルームに目をやり、


「ははっ」


 粉砕されたドアを見て、思わず乾いた笑いが出てしまった。長湯は危険だ。





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