第12話 八月の君は人間失格
免許を取りにいくことにした。
夏休みがムダに長いので順当に行けば秋前には車に乗れるようになっているはずである。
順当。実技や筆記という壁はもちろんのこと、外部による邪魔がなければ、という意味である。
「……」
用心するに越したことはない。
銀千代の妨害を避けるため、駅前の公衆電話で予約をしてから、数日後、郊外の教習所に行くと、
「あ、ゆーくん、すごい偶然だね」
至極当たり前のように銀千代がいた。どこにでもわいて出てくる。
ロビーの革張りのソファーに腰を落ち着け、軽く手を挙げる銀千代は、いつも以上に華やかな笑顔を浮かべていた。思惑がうまく行って上機嫌らしい。
「広い宇宙の数ある街の一つの教習所で再会するなんて、とてつもない奇跡だね!」
どうやら衣服に盗聴器が仕掛けられていたらしい。念入りに調べたつもりだったがまだまだ詰めが甘かった。素直に負けを認めよう。
「ところで銀千代も、免許取ろうと思っててね。えへへへ。ドライブデートってのに興味があってね。えへへへへ。同じタイミングで同じこと考えるなんて、ゆーくんと銀千代はやっぱり周波数ぴったりだね」
俺が免許を取ろうと思ったのは身分証明書を増やそうと思ったからだ。聞いてもないのに言い訳し始める銀千代に、「そうだな」とテキトーな相槌しながら、入校の手続きを進める。
俺と会話せざるを得ない受付のお姉さんが、銀千代に睨みつけられていたが、下手にコメントするとウダウダ言われるに違いないので無視した。
書類や性格診断のようなものを済ませ、一番ネックの視力検査をパスし、そんなこんなで初めての初教習を迎えた。
男はマニュアルじゃなきゃだめだ、とかいうクソみたいな固定観念を振り払い、AT限定を選択したので気楽なものである。なぜなら車に興味ないし、オートマのほうが数万単位で安いからだ。
「世界にゾンビが溢れて、周りにマニュアル車しか無いときは銀千代が運転してあげるから安心してね!」
銀千代はマニュアルを選んだらしい。どうでもいいし、そもそも世界にゾンビは溢れない。
銀千代の策略により、教習日は重なってしまったが、どうにか時間帯をズラすことには成功した。受付で名前を呼ばれた銀千代が、トップガンみたいに親指たてて、練習用の道路に出ていく。
担当教官と思しき初老の男性が軽く頭をさげ、銀千代を運転席に案内し、自らは助手席に座った。しばらくしてからゆっくりとエンジンを響かせて車が前に走り始める。
なんとも平和な風景だ。
受付の際、「一番最初に銀千代の隣に座るのはゆーくんじゃなきゃやだ! 密室に異性と二人きりなんてそれはもはや浮気だよ!」と駄々をこねていたのが懐かしくなるくらい長閑である。
「なにしに教習所来たの?」
と首を傾げる受付嬢に、
「落ち着けよ、銀千代。俺だって教習するんだから、それは浮気じゃねぇよ」
「え、じゃあ、まさか、スワッピング!?」
「教習だよ」
と説得した時間すらが遠く感じる。
夏の青空の下を白い教習車がゆっくりと走っていく。
他人の動作を見ててもドキドキしてくる。この日のためにゲーセンに通ってハンドル操作を練習してきたが、うまく運転できるだろうか。
「あんれぇー?」
受付のガラス張りエントランスから、銀千代の教習車を眺めていたら、後ろから声をかけられた。振り返ると髪を茶色に染めた女性が立っていた。ギャルだ。
「わっ、やっぱトワさんじゃん。おひさー!」
「……」誰、と一瞬言いそうになったが、髪色が変わっても、端正な顔立ちには覚えがある。
「花ヶ崎さん?」
「んだよー。忘れてたのかよー。ひどいよー。ひさしぶりー!」
ニコニコしながらハイタッチを求めてくるので、仕方なく手のひらを合わせる。パジンと小気味よい音を鳴らしてから花ヶ崎さんは唇を尖らせた。
「トワさんも銀ちゃんも酷いよー。卒業したらすぐにライングループ退会するんだもん。けっこうショックだったんだよー」
もし仮に意図して旧友と距離を置いたと思うのなら、あまり本人を目の前にしてそういうことは言わないほうが良いのではないか? と思いつつ、俺の場合は、
「あー、あれ銀千代のせいなんだよ。携帯変えたときに引き継ぎミスってさ」
なので、突っ込んでくれたほうが気が楽なのである。
「え、まじ。大変だったね。じゃあ、改めて交換しようよ」
純粋無垢な笑顔を浮かべる。
花ヶ崎夏音は高校の頃の同級生で、チア部に所属していた一軍女子である。なんだかんだで仲良くしてもらっていたのでここでの再会は素直に嬉しい。
銀千代の言葉じゃないが、広い宇宙で再会できたのは奇跡に近いだろう。
「今度東京組で集まって軽く同窓会しようって話になってるんだよ!」
連絡先を交換しながら花ヶ崎さんが教えてくれた。
「だからトワさんも是非来てよ!」
「機会が合えば」
飲み会、まだギリギリ未成年の俺等が行って意味あるのか?
いや、成人はしてるか。二十歳越えてないからお酒は飲めないという意味で。まじでなんかややこしいな。成人年齢引き下げたことになんか意味あんのか?
「花ヶ崎さんー、宇田川さんー」
お互いの近況を語り合っていたら名前を呼ばれた。受付の人からファイルに入った教官に渡す評価表? のようなものをもらってから、建物を出る。
いよいよ初めての教習だ。
「トワさんは今日からなんだね。アタシはもう三回目だから、もうだいぶ先輩だね。まあ、そう気負わずに参りましょう!」
「ありがとう。助かるわ。あ、そいや鬼教官とかっているの? 俺褒められて伸びるタイプだから、叱られるの苦手なんだけど」
「あー、今んとこアタシはあたってないかな。他の人から聞く限りそんな厳しい教官はいないみたいだよ。令和だし、そんな昭和脳な人はもういないんじゃない?」
ドキドキしながら、俺の乗る予定らしい教習車に近づく。その途中、練習用の道路をものすごい速度で走る教習車が目についた。
マニュアル車らしく獣の唸り声のようなエンジン音がウオオオオンと響いている。
「ふっふっふっ、びっくりしてるね。トワさん、あれは空走距離と制動距離を教えているんだよ」
「なにそれ」
「ブレーキ踏むまでと踏んでからの自動車の走る距離のことだよん。車は急に止まれないってやつ。教官がものすごい速度で走ってから急ブレーキ踏むの。生徒をビビらせる、いわば洗礼ってやつ?」
「それは違うと思うけど……」
「ともかくあれで入校したばかりでブイブイ言わせてやろうという気持ちを変えさせるの。新人つぶしだよ」
トンパかな。
とかそんな会話をしながら歩いていたが、速度超過の車が停まる気配は一向になく、それどころか、こっちにどんどん近づいてきていた。
「え、ちょっ、え!?」
グオオオん、と車が迫ってきて、
「え、え、え、なに、え!?」
うろたえる俺達。
ギィイイぃという不協音が響いた。アスファルトがタイヤに切りつけられたらしい。黒い線を引いて、車は歩道に乗り上げるギリギリのところで停まった。
心臓が破裂しそうなほどドキドキしている。マジでひかれるかと思った。
「なにしてんだっ!」
バン、苛立ちを隠そうともせず助手席に座っていた教官がドアを開けて出てきた。
「早く出ろ! ブレーキ踏めって言ってんのになんでアクセルを踏むんだこのバカ女! 死にてぇのか!」
ガァーガァーと怒鳴りつけている。どうやら教官側のフットブレーキでなんとか車を停めたらしい。うわぁ、鬼教官だ、と思いつつ、メッチャクチャ危ない状況だったので、そりゃそうかと思ってたら、運転席側のドアがガチャリとあいてハンドルを握っていた生徒が顔を出した。
「アクセルとブレーキ踏み間違えちゃった。でもバカは言いすぎじゃない?」
銀千代だった。ゾッとした。もし教官がブレーキ踏んで無かったら俺達はひかれ、いや、
「あ、銀ちゃん! 久しぶり!」
「……花ヶ崎夏音」
きっと、ひかれていたのは花ヶ崎さんだけだ。
憎々しげにかつてのクラスメートを睨みつけると、銀千代は小さく「まだ生きてたんだ」とつぶやいた。
鬼教官ががなり立てる横で無表情のまま睨みつける銀千代に、そっとささやくように俺は告げた。
「銀千代、お前は車に乗ってはいけない人間だ」




