第10話 七月はじめは紫煙の憂鬱
学食でご飯を食べていたら、見知らぬ女子が正面に座った。
孤独のグルメ中なので、できれば前後左右に空きがほしいところだったが、昼休み中は混み合うので仕方がないと、美味しくも不味くもない安価なだけのカレーを食べながら軽く会釈をする。
彼女の前には何も置かれていなかった。
場所取りを先にしてから、食券でも買いに行くのだろうか、と気にせずスプーンを口に運ぶ。
「……」
髪がふわふわとした小柄な女の子だった。随分と童顔で、大学のキャンパスという場所じゃなければ中学生ぐらいに思えただろう。
無視してご飯を食べることに専念するが、どうにも目線を感じる。ちらりと視線を上げたら目があった。
明らかに、ずっと俺を見ていた。何か訴えかけるような瞳で、ずっと。
「なんすか?」
沈黙に耐えきれずに尋ねると、半眼で少女は薄く口を開いた。
「きみ、ゆーくんだよね?」
「……違います」
「おかしいな。宇田川太一くん、でしょ?」
「そうですけど……」
「ならゆーくんであってるじゃん」
「いや、違うって」
「あれ?」
銀千代が昔につけたあだ名が「ゆーくん」だ。
幼い頃「太一」が漢字で書けなくて、「太」をカタカナで書いて「タ一」と書いていたら「これじゃ夕方の夕に伸ばし棒で、ユウーじゃない」と笑われ、「太一なんて贅沢な名前だから、今日からあんたはユーよ」と湯婆婆なみの暴挙で「ゆー」となり、いつの間にか定着して「ゆーくん」になったのだ。迷惑な話である。このしょうもないあだ名から脱却したいと考えているので、無闇矢鱈に広めないでほしい。
「金守銀千代の恋人なんでしょ?」
「……一応」
「やっぱり、ゆーくんじゃん」
「……はぁ」
もういいよ、それで。
「わけのわからないことを言わないでほしいよ、まったく」
それはこちらのセリフである。
とりあえすコップに入った水を一気飲みして口内を整える。
「なんか用ですか?」
「なんで来ないの?」
「どこに?」
「入部したじゃん」
「入部? 何の話ですか?」
「SF研究会。一度も部室に顔出さないけど、何かあったの?」
「……あー」
正面に座った女性の顔を改めて見て、思い出した。春先、サークル見学に行った時に、部室で昼寝してた女子部員だ。小柄でボーとしたを雰囲気だが、どことなく気品がある雰囲気をしている。
「いや、入部してませんけど」
「そうなんだ。まあいいや。どうでもいいけど、はやく部費はらって」
「部費ぃ?」
「二千円。半期に一度部員から回収する決まりになってるんだ」
「いや、だから部員じゃないって」
「仮入部も同じだよ」
「仮入部もなにもしてないです。関わりないじゃないですか」
これ、ひょっとしてガイダンスで注意喚起あったマルチ商法、あるいは宗教勧誘的なやつか?
「あれ金守銀千代から話伝わってないの?」
「何の話ですか」
なんだかすごく嫌な予感がする。
「二人合わせて入部したって。確かにキミの方はまだ入部届け貰ってないけど、金守銀千代は部員で、君もだって。見習いでもいいけどサークルに所属してるんだから、はやくお金払って」
「初耳なんですけど。そもそも見習いってなんですか」
「それは君たちのコミュニケーション不足でしょう? こちらとしてはお金を払ってもらわないと困るんだよ」
「俺まじで関係ないですよ。銀千代が勝手に言ってるだけなんで、勘弁してください」
「困るよ。君から二千円貰うこと前提で部費使い込んじゃったんだから、とりあえず払ってよ」
「わけわかんねぇよ。カツアゲじゃねぇか。そもそも部の金つかうって何いってんだよ」
「絶対勝てる勝負だったんだよ」
「ギャンブルかよ。最低だなあんた!」
「負けちゃったけど」
「なにしてんだよ」
「野球賭博。まさか阪神が勝つとは」
バリバリ違法だよ。
「なんにせよ絶対払いません。入部してないんで」
こういうのは一度払うと調子に乗って何度も払わされるってウシジマくんで学んだのだ。
SF研究部の先輩はため息をついてから、頬杖をついた。
「まぁーさ、キミが駄々こねるのは自由だけど、お金が支払われないと大変な事が起こるんだよ」
「……大変なこと?」
「僕が死んじゃう」
「は?」
「昨日は水しか飲んでないんだ」
無言で見つめ合う。ナメック星人でももっと良いもの食べるのに。
食堂は騒がしい。あまりにも遠くに聞こえて、なんだが異世界に来てしまったのではないかと思えてしまうほどだ。
「……カレー美味しそうだね」
沈黙に耐えきれなくなったのか、先輩が薄く口を開いた。
「まあまあです」
「このままでは、今日もお昼抜き。お金がないから。悲しいね。目の前に救える命があるのに」
「自業自得では……?」
部費をギャンブルに突っ込むからそうなる。
「お腹へった。二千円あれば、世界は変わるのに……」
チラチラとカレーと俺とをわざとらしく見てくるが、そんな泣き落としに引っかかるわけがない。
「仮に入部してたとしても、二千円は部室に直接持っていきますよ。あなたに直接は渡しません」
「じゃあ、それでいいから今から部室来てよ」
「入部してないんで行きません。まだカレー残ってるし」
先輩は憎々しげにカレーに視線を落とすと、大きくため息をついてうなだれた。
「……ねぇ、ところでさ。福神漬、食べないの?」
小皿に別添えされている福神漬を指さして先輩がポツリと言った。カレー食べてるときの福神漬はいつ食べるのが正解か、未だにわからずにいる。
「もし食べないなら、ちょうだい」
「……いいですよ」
ちょっと哀れだったので、あげた。
食べ終わって、次の単元までスマホ弄って過ごそうかなぁ、と考えていたら、
「ダラダラするなら付き合ってよ」
と無理やりキャンパスの端っこにある喫煙所に連れてかれた。隔離指定生物を保護しているみたいに辺鄙な場所にある。
パーテーションが五枚ほどしかなく、その狭いスペースに何人もの人間が集まってタバコをふかしているので、なんとも異様な空間だ。この世の終わりにしか見えなかった。どいつもこいつも目が死んでいてそんな濁った瞳で曇天の空を眺めているので、なんだか俺まで厭世観に囚われてくる。
先輩は我が物顔で銀色の灰皿の近くまで行くと、ポケットからタバコを取り出して一本口にくわえた。
「喫煙者なんですね」
「そうだね。見てわからない?」
そのタバコ代があればご飯食べられるのでは?
「はぁ、なんというか意外でした」
「何が?」
シュボっと小気味よい音がしてライターの火がタバコの先端に燃え移る。
「タバコとか吸わなそうなんで」
「口になにか入れてないとお腹すくでしょ? だから煙いれてんの」
まじで意味わからなかった。頭までニコチンにやられてるのか?
完全アウェイなのでなにも言わなかったが。
スパー、と大きく息をつくと、先輩の小さな唇から煙がぶわりと広がった。心底幸せそうな顔をして、にんまりと微笑む少女は、クリスマスの朝に枕元のプレゼントを発見した子どものようにも思えた。
「キミは今年入学だからお酒もタバコもまだだめなんだっけ。あ、二回くらい浪人してれば行けるか」
先輩はマルボロのケースをポケットにしまってから俺をちらりと見た。
「現役です」
二浪してここだと親に殴られる可能性もある。
「かわいそうに。日本はお先真っ暗なのに、Z世代はまだ逃避の手段すら与えられていないのか」
「似たような年齢じゃないですか」
「時間が一定速度である限り、キミが僕に追いつくことはありえない。先輩の言うことは聞いておいたほうがいい、酒や煙草やギャンブル、昭和時代に興隆を極めたものはどれも素晴らし娯楽だよ。いつかキミも分かる日がくるといいね」
先輩はそう言うと空に雲を増やすように煙をぶわりと吹きかけた。
それが分かるようになったら、ちょっとアレな気がするが。
「ところでキミはSFが好きなのかい?」
「好きではないし、嫌いでもないです」
「誤魔化すのはやめてよ。好きじゃなきゃ部室の見学まで来ないでしょ? キミはSFが好きなんだ」
「いやほんとまじでそこまででもないというか……」
あの日なぜ俺が部室を訪れたのか、理由を端的に表すならば、なんとなく、だ。
「認めたら楽になるよ。大人しくSF研究会に入りなよ」
結局勧誘するんかい。
喫煙所なんて来なければよかった。
臭い。
「いや、入る気はないです」
「ふむ。僕に死ねと言うのか」
「いや」
「頼むよ、本当にお腹が減って死にそうなんだ。今日は水しか飲んでないんだよ」
さっき福神漬食べたじゃん。
とはいえ、ここまで頭下げられると惨めになってくる。
「活動って何かしないといけないんですか?」
「何もしなくていいよ。生きてるだけでいいんだよ。そうしたらとりあえず就活の時、履歴書のガクチカに潤滑油って書けるようになるんだよ」
なるほど確かに。社会人になった時、とりあえずワンエピソード語れるようになるのは魅力的かもしれない。
「はぁー。わかりましたよ。二千円払います。とりあえず所属はしますが、俺は何もしませんし、……つぎの会費払う前にやめますからね」
「それでいいよ。キミはなかなか話がわかるね。良く見たらイケメンだし金守銀千代を射止めたのも納得の器量のよさだ」
なんだかんだでこの先輩は好きかもしれない。先輩は鼻歌交じりに灰皿にタバコを押し付け、ニコニコと微笑んだ。
「恩に着るよ。キミは神様だ」
安あがりの神様は舌打ちを必死に我慢して、財布から二千円取り出し、その場で彼女に手渡した。こういうのなんていうか寸借詐欺に近いんじゃないか、と思ったが、ペコペコ頭を下げる先輩に免じて、不穏な考えは抱かないことにした。このお金で一人救われるなら安いもんだ。くそ、金無いのは俺も同じなのに。
ヤニくさい純粋無垢な笑顔にお金を払う。まあ、この笑顔見れただけでとりあえずお金を払う価値があったと思い込もう。
「ゆーくん!」
毎度毎度、銀千代は突然やって来る。喫煙所の外に仁王立ちする少女はふてくされたように下唇を尖らせていた。今日は仕事で大学には来ないと言っていたのに。
「なにしてるの!」
「とくに、なにも」
しいて言えばお金を渡したところだが説明するとめんどくさくなりそうなので割愛だ。
「こんな、こんなところで、タバコを吸うなんて……! ゆーくんが不良になっちまっただ!」
「吸ってないよ」
「タバコは人体に有毒なんだよ!」
「いやだから吸ってないって」
「ゆーくんがタバコ吸いすぎて、肺がんになったら銀千代は……銀千代は……耐えられない。ゆーくんは常に健康じゃないとだめなの! そして願わくば、銀千代よりも一日でいいから長生きして!」
「吸わないけど吸う人の気持ちは少しわかったわ」
これがストレスか。
「ゆーくんがタバコ吸ってもいいと言えるのは、不老不死の方法を銀千代が見つけたときだけだよ!」
こいつ何いってんだろう。
横にいる先輩は突如現れた銀千代に、首をひねりながら、ポケットから取りだした新しい、一本を口にくわえて、火をつけた。
「ふー」
と煙を上空に吐き出す。
「な、な、な、なにしてんの、横の女……!」
銀千代がわなわなと先輩を指差す。
「ゆーくんに汚い煙吸わせるな! このニコチンパンジーが!」
宙空に飛び上がった銀千代が叫ぶと同時に、お手本のような胴回し回転蹴りが先輩にクリティカルヒットした。
「ふぐぁあ!」
先輩が吹き飛び、パネルにがつんと当たる。ざわつく喫煙所。トラブルはごめんとみんないそいそと灰皿に吸いさしのタバコを押し付け、その場をあとにしていく。
「寿命が縮まったらどうするの!! ゆーくんは銀千代とともに永遠を生きなきゃいけないんだよ」
「おい、やめろ!」
無秩序の暴力を先輩に浴びせた銀千代を羽交い締めにする。ストリートファイトの現場と化した喫煙所に戦慄が走る。
「……えーと……」
むくりと先輩は起き上がり、頭をポリポリかきながら地面に落ちた火のついたタバコを靴底で消した。危ない。
「二千円返すね」
退部勧告された。
どうやらこの先輩、リスクマネジメントは完璧らしい。




