時の彼方
シャトルの急激な加速はすがるのような細腰のアンジェラの身体を、荒々しく床にねじ伏せた。ユアンですら、大きく開いた足を踏みしめ、シートにつかまってやっと立っている状態だ。
「何を、している? ビショップ」
Gに喘ぎながらも、それでも比較的楽なはずの床に転がったままでアンジェラは尋ねた。
「ビショップ?」
応えはない。
そもそも、ビショップがアンジェラを床にすっころがしておきながら詫びのひとつだに入れないのも変だった。
彼女への返事を言語として構成して出力するゆとりもないくらい過負荷にジョブを処理しているのか。それとも、シャトルのコンピュータ容量が少なすぎて運行処理を優先させたのか……可能性として高いのは後者だ。
しかし──。
Gによる軋み以外のこの、身体に伝わってくる地鳴りにも似た響きは何だろう? 穏やかな低音なのに、なぜか不安感が心に揺さぶりをかけてくる。本来のシャトルの飛行では船体が細かく震えることもありえないのに!
いまさらのようにモーガンの警告を思い出す。
そういえば、大出力エネルギー砲とやらはどうなったのだ。
シャトルはエネルギー波を浴び、墜落しているのだろうか。だが、それにしては衝撃が少なかった。
ふっと、ふたりの身体を苛んでいた過度なGが消え失せる。
倒れたまま顔を上げてアンジェラはユアンを見た。ユアンもまた、彼女を見ていた。
静かな、静かなまなざし。
すべてを認識し、なおかつ平静な男は女に手を差しのべる。
「……何があったか、わかっているという顔だな」
素直に手を借りてアンジェラが身を起こすと、思い出したように薄く笑んでユアンはうなずいた。
「しかし一つだけ不明な点がある。ビショップが答えてくれると、いいが」
少しばかりよろめいてしまったアンジェラを苦もなく抱き上げてユアンはシートに運んだ。不本意なことに彼を睨みながらも、アンジェラは抗わなかった。そんなことで角を立てている間が、惜しい。
リクライニングされたシートに横たえられながら、目顔でユアンに説明を求める。
「シャトルには亜空間飛行機能は組み込んでなかったと思うが、ビショップ?」
「亜空間飛行をして……?」
驚いて起き上がろうとしたアンジェラの肩を男はやさしく押さえる。
恒星はもとより、惑星や衛星のみならず大質量物体の作りだす“場”に近いところで亜空間へ突入することは危険だ。禁忌といってもよい。特に、シャトルは大気圏内にいたはずで──突入時に彼らが消滅しなかったのは偶然でしかない。
それはアンジェラよりもユアンのほうが、深く承知するところだった。入ったはいいが出られなくなる可能性もある。しかし、事実を認識こそすれ、甘受するばかりなのは彼のやり方でない。
『機能と出力は〈モルガーナ〉のものを使用させていただきました』
ようやっとビショップが応える。
「ほぉ?」
にやりと笑ってユアンはアンジェラの肩から豊かな髪の流れに指を滑らせた。
「聞いたか」
平然と話しかける。
「司教どのはずいぶんと論理が海賊らしくなってきたようだ。モーガン、いや、トッドの感化か」
アンジェラはそれにはのらなかった。青ざめた面をきりりとひきしめ、厳しく問う。
「亜空間飛行をしているというのは本当なのか、ビショップ」
『イエス、マイ・レディ。いまとなっては、それですら正しい状況報告とは申せませんが』
「では正しい報告をせよ」
それから、やっとアンジェラはユアンに視線を合わせる。
「なぜ亜空間飛行をしていると?」
「宇宙船乗りの勘かな」
「宇宙海賊のではないのか」
互いに真顔で見つめあう。
『ご報告申し上げます』
ビショップの音声でアンジェラはどうにかユアンから顔をそらすことができた。
『氷の城から発射されたエネルギー砲を回避するため、シャトルを亜空間へ突入させたまではご承知と存じますが……空間を無理に超えた際の障碍を緩衝するためと、エネルギー波の影響を完全に遮断する、この二つの目的のために亜空間への再突入を無限ループで行っています』
「な、んだと……?」
ビショップの報告はアンジェラの意識までをも、蒼白にした。
亜空間の“亜空間”とは、通常空間である。
つまり亜空間と通常空間を絶え間なく往復しているというのか。そうだとして、シャトルへの影響が、はなはだ軽微にしか思われないのはどのような幸運の為せるわざなのだ。
『マイ・レディ……』
ためらうようにビショップは一旦、言葉を切った。
『事後承諾をいただくよりほかはない方策ばかりをとりまして、申し訳ございません』
すべてはあなたの身をお守りすべく為したこと──言葉にならなかったビショップの弁明も、アンジェラにはわかっている。彼女はそのことについては咎めず、尋ねた。
「ビショップ、亜空間の“亜空間”とは、どこのことだ?」
『……この世ならざるところ、でございます』
アンジェラはわらった。
「通常空間ではないところ、だな」
すでに推論は出していたのか、苦笑しつつユアンが念を押す。
亜空間の“亜空間”とは通常空間。しかし、通常空間とは逆方向の“亜空間”が存在するとしたら、そこはいったいどこなのだろう。あるいは、何なのか?
ビショップは無限ループで亜空間へ突入しつづけていると言った。
正弦曲線が、余弦曲線が、いつしか同じカーブを描き続けていくように、微積分が互いに還元関係にあるように、亜空間から“亜空間”へのドアを開け続けてゆくと最後には通常空間へのドアに至るのだろうか。
「いつそれを定義した?」
定義できたとして、モーガンには亜空間から非通常空間への突入はできまい……諦めにも似た思いをユアンは感じる。おおよそ、彼らしくもない。
『マイ・レディを、最初にお救いしたときに』
ビショップ−ナイトにそれを命じたのはクリストフ・ミハエフである。不測の領域を通過することになろうともこの女性を守れ──彼の命令はビショップ−ナイトには至上絶対のもの。
『……サーベク星で兵器スター・デストロイヤーが作動する直前に、大気圏を抜けてすぐ亜空間へ突入してみたのです。歪みを避けようとエラーを覚悟で出した再突入のコマンドを、しかし私はフィードバックいたしませんでした』
「頭が古すぎて、幸いしたな」
ユアンの皮肉を、ビショップは解しようとはしなかった。
『マイ・レディ……』
静かにアンジェラに語りかける。
『意識をなくした状態のあなたさまを私に乗せお救いせよと命じられたマイ・ロードに従い、空間ばかりか時間までも超えてしまったわたくしを……あなたはお責めになりませんでした。再び同じことが起こると、予測のうえで無限ループの亜空間突入を実行したと申し上げるいまは、いかがでございましょう?』
実に、アンジェラがサーベク消滅後に百五十年余の空白を飛び越えた原因がそこにあった。
これまで、彼女はそれをビショップに問いただそうとしたことなどなかったが、聞いてしまったいまは……ただつぶやいた。
「また、同じことが、起こると……?」
『はい、レディ』
アンジェラの精神状態が普通だったならば、おそらく彼女は経過する時間なり外部状況なりを問うことを思いついたはずだ。だが彼女はそうしなかった。取り乱さないだけましという、茫然自失の体で、感情のない目で空を見ている。
『……無限ループを、ただいま解除いたしました。ほどなく通常空間に、出ます』
義務的な報告を、ビショップはした。このままでは、アンジェラは自分の心を殺してしまうかもしれない。
初めて時空を超えたことを知ったときの彼女は、何があろうともビショップが彼女を見守っていることを受け入れるまで自殺未遂を繰り返している。ビショップとしては、これからもアンジェラを警護するのが宿命である。しかし、シャトルの管理機構は彼が長居するに適した場ではなかった。
ビショップとしての擬人格を構成しつづけていると、単純な飛行回路ですら侵蝕してしまうのだ。シャトルを飛行状態で保つには、彼は消えてやらなければならない。
「ビショップ」
静かなその声で、やっとビショップはユアンの存在を思い出す。
「だいたい何年後の、どこに出る?」
きわめてまっとうな質問だ。時空を超えることに脅威を、ユアンは感じていないのだろうか。
『……約十年後、イリカノス衛星軌道上です……』
シャトルの外部に感覚をのばし、ビショップは懐かしいものを感じ取った。
彼、である。《モルガーナ》に一部残してきたビショップと、ナイト。そこへ同調すれば、いま以上にシャトルをサポートする態勢を調えることが可能となる。
再びまみえるまでアンジェラを任せるに足る人物だろうか、ユアンは──モーガンとコンタクトする間合いを図りながらビショップは考察する。結論は出なかった。
シャトルを飛ばすコマンドのみ残してビショップは飛行管理機構から抜け出た。あえて、ふたりには何も告げなかった。
単純な指令のために飛行状態を続けるシャトルの様子に気づいたのは、ユアンが先だったが、彼は何も言わなかった。
「ビ、ショップ……?」
自失していたアンジェラがビショップの不在を感じ取ったことに彼は驚いた。問いかけるまなざしがユアンに向けられる。
「ビショップがいないと、不安か?」
むしろ皮肉のつもりだった言葉にアンジェラは素直にうなずいた。
「……困ったお姫さまだ」
ひたむきな目に押され、彼は苦笑する。
「だがおれは、おまえのビショップでもナイトでもないぞ?」
「……そうだな」
ゆっくりと微笑が、アンジェラの憔悴した顔を彩ってゆく。
「そしてわたしの、キングでもない」
「そうとも」
真顔でうなずくとユアンはアンジェラの頬に指先を添わせた。
「おまえもまた、おれのクィーンではない」
そっとその唇がアンジェラの唇に触れる。
黒の月王は、黒の日王とくちづけを交わしあった。
啄みが、熱を帯びる──繰り返して何度も。
言葉は、いらなかった。
いつしか、シャトルは通常空間に戻っていた。ビショップの残していったコマンドのままに、イリカノスへと降りていく。
イリカノスに、もはや氷の城はなかった。石造りの城跡は公園に、ボーディス盤のあったところは薔薇園になっている。
かつてイザベラのものだった宙港に、シャトルは着陸した。エプロンの外れでフロートカーが待っていた。
最初にユアン、次いでアンジェラがシャトルから出ると、フロートカーからも人がふたり、降り立った。
「ユアン!」
大きいほうの人物が駆け寄ってくる。
トッドだった。
ビショップが言った十年という歳月を見て取れる変化が現れていた。童顔だった男は、その年齢にふさわしいだけの顔つきになっていた。
わずかに後退した生えぎわよりも、貫禄のついてしまった腹よりも、仕立ての良いスーツを着ているという事実に、ユアンはニヤついてしまった。
「頼むから、オレをここから連れ出してくれよぉ〜」
抱きつかんばかりの勢いで嘆願される。
「なんだ? 羽振りのいい暮らしをしているように見えるが」
「ンなもんは、うそっぱちだぁ!」
叫ぶ、というよりは吠えたてて、トッドはアンジェラに目線を転ずる。
「そうだ、アンジェラ! あんたでもいい。オレと駆け落ちしてくれっ」
「かけおち?」
確かそれは、周囲に反対されている恋人たちが恋愛関係を成就させるためにとる最終手段のことだ。反対するような周囲が、トッドにはあるのだろうか?
訝しむアンジェラの目が、トッドの指にはめられた指輪を捉えた。
「おまえ、結婚しているのか?」
口調が咎めるものになる。
「不倫は感心できんな」
ユアンにはからかわれているとわかっていながら、トッドは逆上した。
「ちが〜う! オレは独身だ、結婚なんてしてねぇっ」
それから、アンジェラが彼の指輪を見ているのに気づき、力なく言いそえる。
「いや、したのかもしれないな。ひでぇ悪妻だ。図体ばかりでかくて、人口も多くて、オレのいうことなんかちっともききやしない」
つまりはこのイリカノスが、彼の妻なのである。
「それはイザベラの指輪か」
ユアンの指摘をトッドは肯定した。
「あの女……死ぬまぎわになってオレにトリムケラプス系をくれてやるとぬかしやがった。《モルガーナ》の攻撃が終わってやれやれとシェルターを出たオレに、元老院のジジイどもが王冠を差し出したときまで、オレはそれを冗談だと思っていたのに!」
目の前にいる男がイリカノスの現国王だと理解したとたんに、アンジェラは表情を凍てつかせた。
ただの海賊のトッドとならば、彼の言う駆け落ちをするのも、まあ良かろう。だが一惑星の王とアンジェラとでは……それはできない相談だった。
「……あんたはきっと、そういう顔をすると思っていたよ」
妙に分別くさく、トッドはつぶやいた。
「すまぬな」
律義にもアンジェラはあやまった。
「いいんだ……」
無理に笑おうとしたトッドの目がうるむ。あわてて彼は明るく言を継いだ。
「それじゃあさ、ついでにきくけど、ユアン。あんたはオレの代わりにこの星を治めてくれって頼んでも、断るんだろうな?」
「当然だ」
その応えはにべもない。
「それはおまえの務めであって、おれのではない」
「やっぱりな」
「そう言うと思っていた、か」
昔と変わらぬ男の薄笑いに、トッドはうなずいた。
「……お父さま?」
トッドと一緒にフロートカーを降りた人物が、ようやく追いついてきてそっと彼に呼びかける。十歳くらいの少女で、淡い色のワンピースを着て大きな薔薇の花束を抱えていた。
「ああ……おいで」
少女を自分の前に立たせると、その肩に手を置いてトッドはアンジェラの方に向かせた。
色の白いきれいな顔立ちの子だ。つややかな黒髪はまっすぐで、背を半ばおおっている。瑠璃のような青い瞳が、なつかしげな、不思議そうな色を浮かべてアンジェラを見つめた。
「ローズ!」
知らず、アンジェラは叫んでいた。
「は、い?」
驚きながらも少女は応える。それが彼女名前だったために。
「……イザベラの受精卵は元老院がどっかへやっちまったんだ。途中まで処理してあるのを中止すると卵が死んじまうってモーガンが言うから、つい、育てちまった。オレの養女で、ローズというんだ」
躊躇いもなくトッドがそう紹介すると、ローズは微笑んだ。自分が実の娘ではないことは、もっと幼い頃から知らされていたに違いない。それでも、わだかまりなく笑える娘に、トッドが、育てたのだ。
「どうぞ」
ローズは薔薇の花束をアンジェラに差し出した。震える手でそれを受け取りながら、娘に話しかける言葉を必死に彼女は考える。
「アンジェラ」
そっとトッドが呼んだ。
「オレを、恨むかい?」
ローズのクローンを養女として育てたことを非難するかという意味で、彼は訊いた。アンジェラはすぐに首を横に振った。
「じゃあ。じゃあ、さ。あんたにもユアンにもフラれたんだ、ローズをオレの後継者にしていいか。将来、イリカノスの女王にしても、いいか?」
ローズは相変わらず、笑顔でアンジェラを見上げている。お返しの微笑に涼やかな目元を和ませてアンジェラは少女に問うた。
「お父上はああ言っておられるが、女王になるつもりがおありか、王女殿下?」
「わたしが、それにふさわしいひとであれば」
おちついた、聡明な応えだった。
「ならば、わたしに異存はない」
そっとアンジェラはローズの頬に触れる。
「誰か、理想とする君主は、あるのかな?」
「はい。あの……宇宙史で読んだ、惑星タトゥーラのエグゼ・シオン陛下を尊敬しています」
とっさに声もなく、アンジェラは目だけでトッドを問いつめた。そのエグゼ・シオンの妹のクローンだということまで、トッドはローズに話しているのか?
まさか、とトッドの唇は動いた。
いくら彼でも、そこまでは話せなかった。アンジェラがエグゼ・シオンであることを、このローズが知っているはずもない。
「エグゼ・シオンは惑星破壊者だったと思うが」
平然と対応したのはユアンだった。シニカルな口調は元々のもので、ローズは驚いたように彼を見る。そして、少しだけ考え込んで言った。
「……よく知らないひとのことを、一つの事柄だけをあげて悪く言うのはいけないわ。彼女は確かにスター・デストロイヤーと呼ばれる兵器を使ってサーベク星を消滅させているけれど、一国の女王さまが、自分の手を汚してまでできることじゃないと思うの。命令できる女王さまが、自分でやったことにいつわりはないはずよ」
「難しい言葉を、よく知っておいでだ王女さまは」
ユアンがからかう。
「ビショップが教えてくれるの。モーガンも。ふたりともコンピュータだから、とっても頭がいいのよ」
ローズは友だちの自慢ができて、得意そうに笑った。アンジェラとユアンのあきれたような目がトッドに向けられる。
先に訊いたのはユアンだった。
「トッド、《モルガーナ》はどこだ?」
ローズが答える。
「《モルガーナ》は衛星軌道よ。いつもそこにいるの。わたしはシャトルに乗って会いにゆくわ」
「ではおれも、シャトルに乗って会いに行くとするか」
「ローズも乗せてくださいな」
再びシャトルに乗り込もうとしたユアンに、ローズがねだった。ふっと笑んで彼は手を差しのべる。
「トッド……」
少女をエスコートするユアンを見送りながらアンジェラは言った。
「わたしに宇宙船を一隻、くれないか? それが無理ならば電脳のメモリーだけでもいい」
「ビショップ−ナイトを連れて、行ってしまうのか?」
アンジェラはうなずいた。
「ローズが、かなしむだろうな……」
あえてひきとめず、ぽつりとトッドは言う。
「宇宙船の一隻二隻、やるのはいいよ。ただ、ビショップが」
「ビショップが何だ?」
「かなりモーガンと融合していて、時々しか表層に出てこないんだ。半年くらい前に、今日、ふたりが帰ってくると言ったきり、最近は出てきていない」
「なぜだ」
アンジェラはそれをトッドに訊いたわけではない。しかし彼はそれに応えてくれた。
「モーガンがいうには、十年前に一部を《モルガーナ》に残したまま他のをのっとったのがマズかったんじゃないかって。当然、ビショップが埋めるだろうと空けといたとこに虚無が生えかかって、モーガン自身も危なかったらしい」
そのような状態のビショップ−ナイトをモーガンから取り出したところで、自己増殖できるかどうか、あやしいものだ。
「ではひとりで、行くしかないな」
それでもアンジェラは微笑んだ。せいぜい、仕方がない、とでも言いたげに。
「お父さま〜?」
シャトルの乗降口から、ローズが呼んでいた。ユアンはふたりのことも待っているのだ。
「じゃあ……せめて、ビショップに別れを言ってやれよ」
ビショップが機能していなければ《モルガーナ》へ行ったとて無駄足になるのだが、トッドは誘わずにはいられなかった。そうでもしなければ、そのままアンジェラは行方をくらませてしまうような気がしたからだ。
「アンジェラ」
無言でシャトルに足を向けた女に、トッドは尋ねていた。
「ローズと、暮らさないのか?」
振り返らずにアンジェラは言った。
「あれはすでに……わたしの妹ではない。そなたの娘だ。そしてわたしは、彼女の母親にはなれない」
言葉にはされなかったトッドのプロポーズは、これではかなく消え去った。
「そうか」
トッドはただ、切なさを噛みしめた。
アンジェラの呼びかけにもビショップ−ナイトは応えなかった。彼らを切り離すことを諦めて、彼女はひとりで行くと言った。
「宇宙船はいらぬよ、トッド」
すべての望みを捨て去った彼女の穏やかな微笑を、トッドは恐れた。彼にしては強引にユアンに頼みこみ、とりあえずアンジェラをガウェンドラまで送るよう手配する。
「なぜガウェンドラなんだ?」
ユアンが彼に訊いたのはそれだけだった。
「初めて会ったところだからだよ」
昔をいまになすよしもがな、というよりはむしろ、アンジェラとは出会わなかったものと思おうとするトッドに、言ってやれる言葉などなかった。
「黒船屋までだな」
自分自身に確かめるように、うなずいた。