赤と黒
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流血シーンがあります。
苦手な方は飛ばしてお読みください。
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嫌も応もない、強制としかいいようのないゲームへのお誘いであった。
なぜ、たかがボーディスをするのに《黒の月王》の衣装を着けなければならないのか、釈然としないアンジェラだったが、武装した女官たちが手を出す前に素直に着替えてやった。下手に抵抗して、イヤリングまでも無理に付け替えられては困るからだ。
とりあえず彼女が黒の月王の姿になると、女官たちは更衣の間からアンジェラを連れ出した。レイピアを手放させるといったことすらしなかった。
「どういうことだ?」
屋外へと通じる扉の前でユアンと、トッドが待っていた。ユアンは日王の軍装を、トッドは歩兵の軍装を着けている。
ありとあらゆる質問をただ一言に託して、アンジェラは訊いた。
「……死にたくなければ、イザベラに負けるなアンジェラ。それとも、エグゼ・シオン陛下と呼ぶべきかな」
返答は質問の応えというよりは一種の警告だった。厭味というオマケまでついていた。
「トッド」
アンジェラはそれは気にせず、窮屈そうに軍服を着崩しているトッドに声をかける。
「逃げなかったのか」
あきれたような口調。
「悪いかよ」
少しばかり男はつむじを曲げる。あんたがいるから残ったんじゃないかと、素直には言えなかった。
「いや。ただ……後悔するのではないか?」
「するもんかよ」
即答してトッドはぴしゃりとアンジェラに背を向けた。ちょうど、扉の合わせめの前に立つ格好になる。
やがて扉は外から開かれ、逸早くその様子を目にしてトッドは息をのんだ。
「な、んだこりゃ……」
視界いっぱいに拡がるのは赤と黒の格子模様──実際の人間を、駒に見立てて動かすボーディスのボードだった。
「悪趣味だ」
「そうだな」
アンジェラにユアンが相槌を打つ。
ただ単に、人間に駒としての役割を与えて大規模なボーディスを楽しむ王侯貴族ならば、過去には掃いて捨てるほどいた。それはまだ、優雅な遊びの域にすぎない。
「トッド、みだりに自分の枡から出るな」
すでに駒は並べられ、空いているのは歩兵一人分と黒の両王の位置だけだった。
とりあえず《歩兵》の枡目へと向かったトッドに、柄にもなくユアンは忠告した。
普通のボーディスならば、もう駒の入っている枡目に敵の駒が入れば先の駒はボードの外へ出され、その枡目は新たに入った敵の駒のものとなる。
しかしイザベラのボーディスは、いにしえの暴君と呼ばれた者たちですら残る歴史を思って忌避した恐怖のルールを以って進められた。
「第一の歩兵は前進せよ」
先行である赤の日王イザベラは戦車の前にいた歩兵をまず動かした。ユアンとアンジェラ、そして赤の月王のロゼは、守りのために公爵の前に騎士を、女公爵の前に女騎士を配置した。
戦慄が訪れたのは、三度目にイザベラが駒を動かしたときだった。
赤の第一の歩兵がいた枡目に移動していた赤の戦士が斜めに走り、黒の第六の歩兵──つまり、アンジェラの前に位置する歩兵のいる枡目に突っ込んできた。
「生か、死か?」
そのまま退場しようとした歩兵に戦士が尋ねる。
「せ、生っ!」
震える声で歩兵は応えた。
「認めぬ」
歩兵の退場をイザベラは許可しなかった。
そのため、第六の歩兵の枡目をめぐって歩兵と戦士の死闘が繰り広げられた……!
「ひィいいい〜っ」
何も知らずに動員されたらしい黒の第七の歩兵の女が、戦斧で頭をザクロにされた第六の歩兵を見て恐慌をきたし、枡目を飛び出す。と、浮遊していた管制装置がすかさずそれを射殺した。
「そういう意味か」
第五の歩兵の位置からトッドはユアンに話しかけた。ユアンはうなずく。
逆に勝ったのが歩兵だったら、黒の第六の歩兵の枡目は歩兵のもののままだったのだ。
「つきあいきれぬな」
不快感を隠さず、アンジェラは眉をひそめた。
ボーディスどころか、これは胸くその悪い殺戮ゲームだ。間近で嗅いだ血のにおいもさることながら、人の命を蔑ろにする遊びに加わっているロゼの存在に彼女は心を痛めた。
「いいことを教えてやろうか」
すぐ近くからユアンが声をかける。
「おまえは……」
信じられないものを見る目を、アンジェラは男に向けた。
「驚いていないのか?」
「前に一度、見ているからな」
イザベラのこのボーディスを、という意味だ。
「……いいこと、とは何だ?」
それはアンジェラらしからぬ質問だった。あれほど警戒し、反発していたユアンの呼び水にのって機械的に問うだけとは。
それらすべてがどうなってもいいくらい、彼女は疲労を感じていた。
『……お疲れのときにボーディスのように精神的負担のかかるゲームをなさるのは、健康上お勧めできませんが、マイ・レディ』
こんな状態の自分では、何を言われようとうなずいてしまうのではないかと思ったそのとき、声が聞こえた。
「では早々に切り上げるとするか。ビショップ−ナイト、駒を片づける準備はよいか?」
『御意』
安易に流されそうになったアンジェラの意識が、ビショップの介入によって保たれた。
ここまで堂々とビショップがアンジェラに呼びかけたということは、モーガンが手を焼いていた妨害シールド機構を彼が制圧しきったことを示している。とりもなおさずそれは、氷の城の全ネットワークを彼がその支配下におさえこんだということだ。
「〈モルガーナ〉を借りるぞ」
ビショップの干渉があっても、ユアンの命令さえあればモーガンは〈モルガーナ〉の制御を譲らない──トッドの言葉を思い出してアンジェラは断りを入れる。
知能構成上モーガンではエラーを生ずる他電脳乗っ取りをビショップにさせているのだ。〈モルガーナ〉の装備を拝借して悪いことはあるまいとは思うのだが、船主はユアンである。アンジェラはイレギュラーを警戒した。
「よかろう。しかし、駒を散らすのはもう少し待て」
「何をたくらんでいる?」
「ただ単に、せっかくの機会だ。ボーディスを堪能しようと思っているだけだ」
この男にしては素直すぎる応え。確実に何かを狙っているはずだ。
順序では、ユアンが駒を動かす番だ。アンジェラに接近したままの彼に、イザベラは業を煮やす。
「ええい、何をしていやるのじゃユアン。月王を交えての長考も結構だが、妾は待たされるのが嫌いだということを覚えておくが利口だぞ?」
マナー破りのイライラとした倨傲な声が、市松模様の床を渡って響いた。悪びれずにユアンは次の手を打つ。
「黒の日王が前進する」
「「ばかな!」」
叫んだのはアンジェラとトッド、ふたりだった。
確かにそれは縦・横・斜め、八方に1桝ずつ動く日王には可能な動きである。だが、その位置の右斜め前には歩兵を屠ってその枡目を占めた赤の戦士がいる。戦士と女戦士は斜め方向を自在に動く!
赤の戦士との衝突を、誘っているにしてもお粗末な一手だ。イザベラ流のボーディスゆえに“生か死か”に駒の存亡を賭けられるが、正規のゲームでは捨て駒にすらならない。
そのことは、誰よりもユアンが承知していた。
ふと、イザベラが面をあらためた。つい先程、つれづれのなぐさみにゲームをしたときのユアンを思い出していた。裏の裏の、裏までをも読むような男だ。なぜそれほどまでにボーディスを覚えたのか、という理由にも思い当たるものがあった。そんなユアンが、イザベラとのボーディスを意識せずにいたはずはない──天資の、女王としての判断が出た。
要注意。
攻めているのは自分であり、ユアンもアンジェラも、守りから始めている……先手を取りながらも漠としたひっかかりを感じる。
「イザベラ?」
赤の女戦士を動かすために第十の歩兵を前進させたロゼが、心配そうに彼女を見つめた。
いとしいロゼ。
哀しみ、疲れたような陰が青白い頬を無残に侵している。
(エグゼ・シオンめ!)
嫉妬にも似た思いが、イザベラの胸を騒がせた。彼女のロゼが傷ついてもなお、想っている唯一の肉親。
殺してやるよ、そなたのために──心の中でイザベラはつぶやいた。
そしてアンジェラは、イザベラの胸中など知る由もなく──あるいは、熟知の上で──自らを右前方へと位置づけた。
「あにやってんだよぉぉ〜」
すでに管制浮遊物もビショップの制御にあると知らないトッドは、自分の陣地の中で身もだえた。
ユアンの前進が痛恨の誤断(しかし、ユアンという人間にそれがありうるか否かで、トッドは首を傾げる)だとすると、アンジェラのは立派な自殺行為である。大の男を戦斧のひとなぎで肉塊にしてしまった戦士に、たおやかなアンジェラが、かなうはずがない。
血に飢えた殺人鬼の邪眼で、赤の戦士はアンジェラを舐めるように見た。嫌悪感から彼女は総毛立つ。
が、ひるまずに深い青の瞳で真っ向から見据えてやった。
「さて、どちらをとる」
ユアンの言葉は質問ではなく挑発だ。
叫びながら駆け出したい衝動を、辛くもトッドはこらえる。そして、ホルスターの銃のグリップに手をかけた。
駒としての役割から外れたとたんにこうむるのは死の洗礼だ。自分の枠から出ただけで殺された女の姿は、あっけないものだった。彼に与えられる機会はただ一度。おそらく、アンジェラを守るために銃を撃てば今度は彼が標的となる!
トッドは死を覚悟した。
彼が生きているあいだだけ、アンジェラを守れればそれでいい。
「もちろん、女だ」
甘美な流血の場面を夢見てうっとりと戦士は応え、振り返ってイザベラの意向を確かめる。凄艶なまでの笑みで氷の女王はうなずいた。
「ミントーネン、せいぜい嬲り殺しにしておやり。妾を愉しませぬやり方は許さぬから、そのつもりでな」
「かしこまりまして!」
したり顔で邪念に口元を歪めつつ、赤の戦士はアンジェラに向かってゆっくり進み出た。
国軍部隊長とは思えぬその男の残忍な習性を知るロゼの、恐怖にまみれたまなざしがすがるようにイザベラに向けられる。
「……ロゼ」
あわれむように、やさしくイザベラは華奢な身体を抱き寄せた。
「そなたを否定するものなど、姉と思うことはならぬ。情けなどかけるな」
朱の唇が、やわらかなロゼの唇をふさいで彼女の言葉を閉じこめる。
ロゼは静かに涙をこぼした。
所詮、いつだって自分はこうなのだ。イザベラには逆らえない。恋心ゆえではないが、それを愛と呼べるかどうかということも、ロゼには定かではない。
されるがままにイザベラのくちづけを受け入れるロゼを、アンジェラの冷めた目が見ていた。その光景は彼女の心を急激に凍てつかせた。近づいてくるミントーネンの姿を無表情に眺めながらレイピアを抜き放つ。
そのか細いまでの刀身を見て、赤の戦士はわらった。戦斧を放棄し、両腕を広げて何やら喚きながら突進する。
「けだものめ」
冷ややかにつぶやくと、ミントーネンが抱きすくめる寸前で体をかわす。
「アンジェラ!」
叫びながらトッドは撃っていた。管制装置の射撃音も鳴り響いた。そして──死神はトッドに待ちぼうけをくらわせる。
トッドの銃弾は背後から赤の戦士の心臓をぶち抜いた。管制装置のは上からその頭部を。アンジェラが華麗にレイピアを振るうまでもなかった。
「座興は、終わりだ」
ユアンに告げると抜き身を手にしたまま走りだす。イザベラに向かって。
「邪魔する者は排除せよ、ビショップ!」
『そのお役目、ナイトが承りましょう』
走りながら下した命に応えて、アンジェラを阻止せんと動きだす駒たちを、ナイトが操る管制浮遊物が威嚇射撃で蹴散らかす。トッドが動きだしたのは、モーガンの意識を掠めたビショップの能力を思い出してからだった。
逡巡に費やした刻の分だけ、アンジェラが先をゆく。
「陛下、ひとまずご退出を!」
教皇の駒役の軍人の進言をイザベラは容れた。
「戻るぞ、ロゼ」
美しい朱の衣装をさばいて踵をめぐらす。
退却ではなく退避するだけなのだという思いにあふれた優雅な動作で、滑るようにイザベラは走りだした。いまいちど、アンジェラを見つめてからロゼはそれに倣う。
追いすがろうとするアンジェラの前に赤の教皇が立ちはだかり、仕方なく彼女は1合だけ刃をあわせた。
「ナイトっ!」
ぶつかりあった反動ではじけるように双方、一歩ずつ後退した。そこへ、アンジェラの下知を受けたナイトが教皇を射殺すべく管制装置を動かす。
そして、追走を再開したアンジェラの耳に一発の銃声が届いた。
左腕をかすめんばかりに飛んだ弾を感じてふと彼女は振り返る。ユアンが銃を撃ったのだ。
アンジェラの足が止まった。足止めのための牽制だろうか?
しかし、再び前を見て彼女は自分の思い違いを知らされた。
おもい、しらされた!
「ローズ!」
血を吐くような叫びがほとばしり出た。
ユアンは、イザベラを狙って撃った。
背を向けて走るロゼに、なぜそれがわかったのか……不可能なはずの空をよぎってロゼはイザベラに当たる銃弾を、代わってその身に受けた。
アンジェラの叫びを耳にしてやっとイザベラは後ろを見た。
「ロゼ!」
「行って、イ、ザベラ……」
微笑んでロゼはイザベラを見送る。止まりかけたイザベラの足が、走り続けた。
彼女が生きてあるかぎり、ロゼの復活は何度でも可能である。死んだ体に執着していては、それすらもできなくなるではないか。
「ローズ……」
ふらふらとアンジェラは膝をついた。
「追え! トッド」
立ち止まってアンジェラを支えようとしたトッドを、ユアンは走らせた。
いまのところ、その精神はともかくアンジェラの身に危険はない状態だ。ビショップとナイト、そしてユアンが彼女についている。後ろ髪を引かれつつも、仕方なくトッドはイザベラを追った。
赤の月王の衣装が、まるで血の海のように細い肢体を包んでいる。震える手で、そっとアンジェラはロゼを抱き起こした。あふれ出る血潮が胸元から徐々に赤い衣をより鮮やかに染め返している。
「……まだ、ちゃんと赤い血が……流れているで、しょう?」
うっすらと目を開けてロゼはアンジェラに笑いかけた。
「ローズ、ローゼ・シオン」
相反する感情を心の中でわだかまらせながらもロゼの体をしっかり抱きしめる。
「もう、よい。何も言うな」
次第に青ざめてゆく顔にかかる髪をそっとのけてやったアンジェラの手を、力なくロゼは握った。
「イザベラを……許してあげ、てアンジェラ……彼女は、とても……さみしい女性。私も、さみしかった、でもイザベラ……愛し、て、くれたの……」
「さみしかった、のか」
ローズはうなずく。
「そう……タ、トゥーラ、滅んでお姉さまがいな……くなって、私にはなにも……なくなった」
苦しげに息をつき、それでもロゼは、ローズは、安らかに微笑していた。
「とても愛されて……私、しあわせ、でし……」
アンジェラの手を握っていた手が滑り落ちた。
「そうか、幸せだったのか……」
アンジェラはかたく目を閉じ、ローズをいっそう強くかきいだいた。
「……アンジェラ」
ゆっくりと歩み寄ってきたユアンが声をかける。だが彼女は身じろぎひとつ、しなかった。
「ロゼを離せ。もう、死んでいる」
硬着してしまったかのように動かそうとしない腕を、ユアンは無理やりひらかせた。力ずくでアンジェラを立ち上がらせる。ぼんやりとアンジェラは足元に横たわるローズを、見た。
とたんに、はじかれたようにユアンの手を振り払う。
「わたしの愛する者……わたしの後継を、おまえ、殺した……! 海賊っ」
いかに理性が否定しようとも、感情が厭おうとも、そこに横たわるのは彼女の妹なのだ。こみあげた怒りのままに、アンジェラはユアンをなじった。
「あれはまぼろし、あれはあやかし。おまえはそんなものを愛するのか?」
自分の胸めがけて振りおろされたアンジェラのこぶしを、彼は悠然と押さえてやさしく尋ねてやった。返答は待たない。そのままアンジェラを引き寄せて唇を重ねる。
驚いて──あるいは憤慨して──アンジェラは身をひこうとした。ユアンはわらって彼女を離す。それからそっと手をのばして彼女の耳のイヤリングに軽く触れ、言った。
「ビショップ、モーガンにこの悪趣味な城を吹き飛ばすように、いえ」
応えはすぐに降ってきた。衛星軌道上からの〈モルガーナ〉の砲撃で塔が一つ、瓦礫と化した。
『そこは危険です。マイ・レディ、お戻りください』
音声出力装置はあくまでもビショップの声を伝えてきた。モーガンは着実に氷の城を攻撃しているが、そこに彼らの主人たちがいる以上、手加減する必要がある。
アンジェラとユアンを残してあとは死者しかいなくなってしまった赤と黒の盤上に、シャトルが一機、降下してきた。〈モルガーナ〉のものだ。
「またぶんどったのか、ビショップ?」
人工知能と呼ぶほどには高度ではないシャトルのコントロール機構を手懐けるなどモーガンはやらないとユアンは思った。きまり悪げにビショップは応える。
『やったのはナイトです。すみませんがユアンどの、マイ・レディをシャトルへお乗せいただけませんでしょうか』
「よけいな口出しをするな、ビショップ」
動こうとしないアンジェラを動かそうとわざとユアンに頼むあたり、ビショップの性格も悪くなってきている。
名残を惜しむようにローズの遺体に目をやって、アンジェラは装束の一部であるマントを脱ごうとした。いずれ瓦礫に埋もれてしまうのだろうが、何か掛けてやりたかった。
しかし、それを実行したのはアンジェラよりもユアンのほうが先だった。
それはおおよそ、彼らしくないふるまい。
「なぜ?」
アンジェラの問いにユアンは答えなかった。
無言で先に立ってシャトルに乗り込む。
「……トッド」
次いで乗り込もうとしたアンジェラの足がはたと止まる。いまのいままで忘れていたが、置き去りにはできない。
『大丈夫です』
シャトル内からナイトの声が言った。
『イザベラ女王は謁見の間へ向かっているようですが、そこはシェルターになっています。彼は女王を追っていますから、やがてそこに到るでしょう。ご安心ください』
「そしてトッドがおまえの代わりにイザベラを殺すか」
アンジェラはもう一度だけ振り返った。ゆっくりとハッチが閉ざされる。
「トッドに、イザベラが撃てるかな?」
「さあな」
ユアンは興味なさげに言っただけだった。
『ち!』
突然、電脳が舌打ちのような音を吐き出した。しばらくのあいだ、P音がごにょごにょと連発される。
「どうしたナイト?」
『私が、ビショップが占拠したままの回線をいくつか、モーガンが切断いたしました。ソフトの、メンタルなダメージが、これは相当……』
シャトル内に不快なノイズが撒き散らされた。と同時に、下から──氷の城からシャトルへ向けて、砲撃が開始された。
「きついな、モーガンは」
アンジェラの言葉にユアンは苦笑する。
ビショップの受けるダメージにかまわず、モーガンは氷の城を破壊しまくっていた。たまらず潜り込んでいたネットワークからビショップが抜け出したのも無理からぬことだった。その結果、本来の防衛システムを回復した氷の城が切れぎれのネットを駆使して反撃に出たのだ。
『マスター!』
通信回線をこじあけて、モーガンが悲鳴をあげた。
『逃げて! 逃げてください。大出力のエネルギー砲が、きます! あああッ、ビショップ、何とかして!』
もとはといえばモーガンがビショップを追いたてたのが原因なのだが、アンジェラを守るためにビショップは何とかしてやった。瞬時にして引き出せるかぎりのエネルギーを〈モルガーナ〉から奪い取る。
モーガンにすら識別できない光の渦が、シャトルを包みこんではじけた。氷の城から放たれたエネルギー砲は、光の渦を突き抜け、宇宙空間へと飛び去っていった。
そして、沈黙のときが訪れた。
オーロラのような美しいひずみを残して、シャトルはそのあるべき空間から、消えていた。
「モーガンの、ばっけやろぉ〜」
〈モルガーナ〉の砲撃を受けて揺れる石造りの回廊で、手近な柱に思わずしがみつきながらトッドは毒づいた。手を焼いていた妨害シールドをかわし、防衛機構すら凌駕する性能があるのならば、彼の身の安全くらい図ってくれても良いではないか。
「ええカッコしいの猫っかぶり! ブリブリブリっ子電脳めぇ〜」
おおよそ無害な悪態だ。
しかし、あたかもそれを聞いていたみたいなタイミングで回廊に振動が走る。悪口でモーガンが怒ったのではないかとトッドは心配した。まるで彼を狙っているかのように砲撃は続けられ、炸裂や砕け散って降りそそぐ城壁が回廊をズタズタに引き裂いた。
このままここにいたらいずれ圧死してしまう──覚悟を決めてトッドが柱から離れたのは絶妙の判断だった。たび重なる揺れと衝撃で亀裂を生じた石柱が崩れ、さざなみのように次々と隣の柱が倒れていったからだ。
雷を十あわせたよりまだ騒がしく、恐ろしい音が鳴りわたる中でトッドは悲鳴を聞いたような気がした。
気のせいではなかった。
ひとしきりの大崩落を終え、小石の崩れる音のみが届くばかりとなった静寂な瓦礫の回廊を、苦しげな女の喘ぎがさまよっていた。
「アンジェラか?」
まさかと思いつつ、女の姿を探す。
ともすれば二次、三次の崩落を引き起こしそうな瓦礫の山を、慎重にトッドは渡り歩いた。
ほどなく見つける。彼の願いを天が容れたのか、喘ぎ声の主はアンジェラではなかった。
「妾を、殺すか……?」
倒れた石柱の残片に下半身の半ばを埋めて、それでもイザベラは白くなった顔に無理やり笑みを浮かべる。トッドは、静かに首を振った。否定の動作として。
彼が手を下すまでもなく、イザベラは死んでしまうだろう。瓦礫の下に滲むおびただしい量の赤いものは、彼女のまとっていた衣装ばかりではないのだから。
「ならば、手を貸せ」
この期に及んでまだ、生きのびようというのか。
あきれ顔でトッドは女を見た。恥じ入る様子もなく、まっすぐに彼を見上げ、イザベラは命ずる。
「妾をここから出してたも。それができぬのであれば、立ち去れ」
くさっても女王は女王なのだと、奇妙な感慨をトッドは覚えた。
ころに手頃な柱のかけらと、レリーフの角石片を見つけだし、とりあえずイザベラに覆いかぶさっていた石柱をのけてやる。それが終わるとイザベラは彼に手を差し出した。
「謁見の間に運べ」
命令する者の、有無をいわせぬ口調。
しかし、すぐにはトッドはその手を取ろうとしなかった。死にゆく者の願いをかなえてやる心を、彼が持たなかったからではない。おそらくは下半身の骨がばらばらに砕けてしまっている人間を無造作に抱き上げても良いのかと、考え迷ったのだ。
「……かまわぬ」
彼の思いを見透かし、イザベラは言った。
辛うじてトッドがイザベラを持ち上げることができたのは内骨格という人体の構造と、衣装の長い裳裾があればこそであった。イザベラはうめき声ひとつ、たてなかった。
「いちばん最初の、柱だ」
来たときとは逆にトッドは緋色のカーペットをたどっていった。シェルターになっている謁見の間は、〈モルガーナ〉の攻撃に揺らぎもせず、円柱も倒れることなく立ち並んでいる。
「おろすぞ……」
入り口まで来るとそっとトッドは声をかけた。イザベラは、ただうなずく。もう話をする力すら、残っていないのだ。
できるだけ静かに、トッドはイザベラの希望した円柱に彼女をもたれさせた。ずっと閉ざしていた目を開いて唇を動かすイザベラの声は、立ったままのトッドに届かない。
「え?」
かがみこんでやっと、彼はイザベラが手を出せと言ったのだと理解する。
「なんだよ、これじゃあないのか?」
配達先をまちがえたかと再びイザベラの手を取ろうと差し出されたトッドの手のひらに、彼女は血にまみれた指輪を抜き取ってのせた。
「……過剰すぎるほどの礼を、してやる」
死に臨んでなお、氷の女王は尊大だった。
「小僧……トッドといったか? おまえに、この星系を、やる。くれてやるわ。トッド一世陛下ばんざい、だ……」
イザベラは身体をあずけている円柱に頬を寄せ、その中で死の眠りについている人の名を呼んだ。トッドが初めて聞くその名前は、イザベラの最初の夫のものだった。
「永遠を夢見ることは、はかないな……」
つぶやくと、イザベラはこときれた。
あとにはただただ、とまどうトッドが、立ちつくすのみである……。
現代でも“人間将棋”なる行事が行われているそうですが、私が真っ先に想起するのはエドガー・ライス・バローズの『火星のチェス人間』です。火星シリーズといえば武部本一郎氏の超美麗イラスト!あの妖艶な美女を、文字として表現できたら最高なのですが……。
私が火星シリーズと出会ったのは(たぶん)小学5年生の頃でした。当時、国語&図工を併せた授業で
“無人島に流れ着いた人間が宝の地図をもとに島を冒険する”オーディオドラマを聞いた後に物話を書き地図を描く、というのがありました。そのとき私が書いたお話のヒロインの名前がデジャーソリスで探検隊の隊長だったかと記憶しています。小5ですでにヒロイニズムだったのか、タカミネ屋!ってか、なに読んでんでしょうねぇ?近年になってジュヴナイル装丁の『火星のプリンセス』があることを図書館で知ったのですが、私が昔よんだのは武部本一郎さまのイラストの文庫本でした(*^^*)