ロゼ 2
作中、ハラスメントな表現が出てきます。登場人物の独自の価値観からの発言です。不愉快に思われた方、ごめんなさい。
あたたかな湯気がたちこめ、いい香りの泡のはじける中で、アンジェラは束の間の幸福を感じていた。男たちがイリカノスへ降りたのを好機と、モーガンが入浴を勧めたのだ。
〈ビショップ−ナイト〉で宇宙をさすらっていたあいだに、アンジェラにとって風呂は惑星に降りたときだけの贅沢になってしまっていた。仮にも女王と呼ばれた身の上の幸福が入浴とは情けない話だが、彼女はそれを恥とは思わなかった。とりあえず生きてきて、幸せだと感じるものがあるということはいいことだ。
〈モルガーナ〉の浴室は黄金造りや大理石の浴槽が据えられているわけではない。ごく機能的な、防水面に配慮された庶民的なものだ。天蓋つきベッドはさておいて、何でもかんでも華美に飾りたてるのがユアンの趣味ではないのだとアンジェラは判断した。
ではもし、〈モルガーナ〉の主人がトッドだったらどうだろう。あれは純粋で通俗的な男だ。きっと黄金の風呂だろうなと思う。
『あら?』
思わずそっと笑んだアンジェラの耳に、意外そうなモーガンの音声が入った。
『どうしたのかしら……』
「モーガン?」
とたんにアンジェラは笑いを引っ込めた。名残を惜しむことすらせず浴槽から上がり、手早く服を着ける。
「何があった」
長い髪にしみこんでいる水気を軽く拭き取って、中央操船室へ向かう。〈モルガーナ〉は彼女の宇宙船ではないが、何か異常があるのであれば、ここで自分の身を守らねばならない。モーガンは彼女の命令には従わないだろう。しかしモーガンに巣くったビショップが彼に使えるだけの機能をモーガンから奪ってアンジェラを守るはずだ。
『イリカノスから、シャトルが戻ってまいりました。〈モルガーナ〉のものです』
ビショップが報告した。
「ほう、生きて帰ったか」
アンジェラは足を止めた。〈モルガーナ〉の正当権利者が戻ってきたのだ、客人が中央操船室へ入り込む必要などない。
『いいえ、いいえマダム。お願いです、中央操船室へおいでください。シャトルにはトッドしか乗っていません! ユアンが、マスターがいない。ああトッド、いったい何があったというの?』
懸命にモーガンは呼びかけたが、トッドは通信を傍受されることを恐れているのか沈黙を守り通した。シャトル内のセンサーだけが、彼の生存を〈モルガーナ〉に伝えていた。
(ユアンは、イザベラに殺されたのか?)
衝撃的な想いがアンジェラの内を駆け巡った。
そんなにもあっさりと死んでしまう男か、ユアンは。
その程度の男が、彼女から〈ビショップ−ナイト〉を奪い、あまつさえアンジェラの正体を知ってしまったというのか!
アンジェラの膝が震えた。何とか操船室へたどりつき、手近なシートに腰を下ろしてもその震えは止まらない。
「モーガン」
幸いなことに言葉はよどみなく発せられた。
「氷の城の様子はどうなっている? ユアンに発信機か何か、持たせなかったのか」
『マスターはそのような姑息な装置がお嫌いなのです』
「では、そなたが〈ビショップ−ナイト〉を沈めたときのあれは……?」
不本意ながら、ガウェンドラでの出来事を思い出す。彼のたった一言でモーガンは即座に砲火をあびせたのだ。
『わたしの裁量で黒船屋周辺に集音マイクを向けていました。マスターはご存知でしたが禁止もされませんでした。実は今回もそうしているのですが、妨害シールドが厚くてとても……』
「妨害シールド機構を解除することは?」
『モーガンにはできませんでしょう』
打てば響くように返ってきたビショップの応えに、アンジェラはつい、口角を上げてしまった。つまりビショップにはできるのだ。モーガンのような若い人工知能に与えようものならば、たちどころにフィードバックされてしまうコマンドにアンジェラは思い当たったが、ビショップにそれを命じたりはしなかった。
もしそれをビショップにさせるとしても、いまはまだその時ではない。
モーガンもそれを承知しているらしく、ビショップを動かすようアンジェラに頼みこむといったことはしなかった。
「モーガンっ」
そこへ、息せき切ってトッドが駆け込んできた。〈モルガーナ〉の船内いたるところでモーガンとの会話は可能なのだが、わざわざ中央操船室にまで上がってきたのはおそらく、アンジェラの姿を見たいがためだ。
とりあえず男が呼吸を調えるあいだにモーガンは質問を繰り出す。トッドは簡単に答えるだけで良い。そのほうが欲しい情報を得られやすいとモーガンはふんだ。
『トッド、トッド! 教えてちょうだい。ユアンは? 生きているの?』
トッドは言葉の代わりにうなずいた。
『怪我は、していない? ああ、それよりもなぜあなただけ戻ってきたの』
この言いぐさにはさすがにむっときたらしく、切れぎれにトッドは毒づく。
「そ……んなに心配す、るなら……さ、さいし、ょ、からヘンなモノ、持たせるんじゃ、ない」
『ブラックボックスのこと? でもあれはユアンが自分ですりかえたのよ。あなたはそれを……取りに来たの?』
再びトッドはうなずく。
そして彼は、カーゴルームでユアンが何を考え込んでいたのかということに気づいた。
ロゼの存在を知っていた彼はブラックボックスを引き渡した後のことを、考えていたのだ。彼がブラックボックスをすりかえたのならば、いずれ本物を取りに〈モルガーナ〉に戻らなければならないことを知っていたことになる。誰が? 当然それはトッドだ!
「……出せよ、モーガン」
低く、彼は言った。くやしかった。
結局、自分はユアンの持ち駒の一つにすぎないのだ。いま動かなかったら、トッドはユアンと、モーガンと、イザベラによって殺されてしまう。逃亡は、それに拍車をかける行動にしかならない。
トッドにとっての救いは、それでも、ユアンがその後のことを考えていたということだけ。
『まだ……生命維持装置に接続してあるわ』
「カーゴルームにあるのか?」
つくづく、トッドは自分の迂闊さがいやになった。あるいはユアンのしたたかさが……。
「トッド?」
いつになく深刻に頭を悩ませている様子の彼を、不思議そうにアンジェラは見つめていた。美しい花に誘われた虫のようにトッドは歩み寄り、シートごと彼女を抱きしめた。
「アンジェラ……アンジェラ」
うわごとのようにその名を繰り返す。
髪といわず、彼が顔をうずめている細い首筋といわず、石鹸のいい香りがした。
「なに、があった?」
あえてあらがわずにアンジェラは訊いてやった。
「なぁんにも。なぁんにも、ない」
雪のような真っ白な首筋に軽く唇を滑らせてトッドは応える。
「男がひとりと女がふたり、いる。ただそれだけ」
そのままひきしまった顎の先を経由して唇を重ねようとしたトッドの顔に手をかけ、アンジェラは彼の目を見つめた。触れんばかりの紅唇が問いただす。
「女がふたり、それは誰と誰だ?」
「イザベラと、ロゼ」
「ロゼ?」
「イザベラの恋人。いちばんのお気に入り」
アンジェラが立ち上がった。
「どんな……どんな、女?」
接吻を拒まれた形のトッドは少なからず感情を害したが、蒼白といっていいくらいのアンジェラの顔色に、逆に狼狽える。
「どんなって、黒い髪がまっすぐで長くて、青い目をした色白の女だぜ?」
世に黒髪の女など数えきれないほどいるのはわかっている。青い瞳の女もそうだ。現にアンジェラとてそうなのだから。
しかし、突如として彼女の胸に沸き起こった懐疑の念は、いったい何だ?
まさかまさかまさか。
渦のように感情が否定する。だが、理性は疑いをやめようとはしなかった。
イザベラのお気に入り。おそらくはクローンを作ってしまうほどに、想われている恋人ロゼ……。
かつてアンジェラは、イザベラのような人種には会いたくないと思っていた。いまも、そう思っている。それでも自分自身の目でロゼを確かめなければ、彼女の胸の疑惑は消えそうになかった。
「……イリカノスへ、再び降りるのか?」
それは確認のための質問。トッドはうなずく。
「わたしも行く」
つれていけ、とはアンジェラは言わなかった。トッドには止めようがない。彼女が頼んでいるのならば断ることができた。
『マイ・レディ』
トッドは、ビショップがアンジェラを止めるのではないかと内心で期待していた。が、彼が思うよりもずっとビショップはアンジェラに忠実だった。
『ナイトを目覚めさせても、よろしゅうございますか?』
「任せる」
冷然とアンジェラは肯首した。
そうしてトッドは、再びいくさ装束をまとったアンジェラと共に本物のブラックボックスを持って氷の城へと向かった。
まるでカードの《隠者》のようにアンジェラは頭からすっぽりとグレイのマントを被っていた。こうすると背の高さもあって、一見では男女の別がつかなくなる。
シャトルに乗り込んだときから一言も発さなくなった。トッドが見ていて、痛々しいくらいの緊張、あるいは警戒ぶりだ。
今度は宙港に迎えは来ていなかった。トッドが戻ってくるのを待っていたといわんばかりに、先刻、彼が乗り捨てたフロートカーがそのままそこにある。
もしもその場にロゼが来ていたならば──アンジェラとロゼ、ふたりをシャトルに乗せて逃げただろうと、後になってからトッドは思った。ところがそうは問屋が卸さないのが、運命の女神の気まぐれなのだ。
ふたりを乗せるとフロートカーは最高速で飛び立った。あわててトッドはキャノピーを閉じる。
「しっかり監視してやがんの」
いまいましそうにつぶやく。盗聴されているのを承知のうえでの、ささやかな抵抗なのだ。
アンジェラは依然として黙ったままでイヤリングのねじをいじっていた。そこからは未だビショップもナイトも発言していない。まだ、それでいい。彼女はビショップに任せたのだから。
目前に石造りの城が迫る。
古風な建築様式の外観を呈しているが、網の目のように張りめぐらされたコンピュータの回線によって管理されている居住性ハードである。一分の隙もない警備。そしてそこに巨大な落とし穴はあるのだ。
いまにも走りだしそうな勢いでトッドは謁見の間へと急ぐ。アンジェラの心境は複雑だった。
ロゼというイザベラの想い者が、彼女の想像したとおりの人間でなければ急ぎたい。嫌なことは早く済ませるのが精神衛生に良いからだ。しかし、もしもロゼが彼女だったら……次第にアンジェラの歩みは鈍ってゆくのであった。
だが、歩き続けたからにはやがて彼女は終着点へと到る。
緋色のカーペットの両側に並び立つ円柱はアンジェラの目には愚かしい虚構の陳列としか見えなかった。そこで年をふるイザベラの恋人たちに真実はあるのだろうか。満足気に微笑むイザベラのみが、永遠を夢見ているように思われた。
そしてついにアンジェラは円柱の中にロゼの姿を見いだす。
彼女のまさかは否定されなかった!
どうやってそれから歩いていったのか、アンジェラは覚えていなかった。気がつくと、トッドの隣で玉座を見上げながら立っていた。
足を組み嫣然と笑みを浮かべるイザベラがいる。その傍には、哀しみにぬれる瞳で不安気にトッドを見下ろすロゼが……。
「たいした心懸けだな小僧。ユアン、よくよくそなたは部下に恵まれたとみえる」
氷の女王はテーブルを挟んで隣に座するユアンに声をかける。先刻はあんなところにテーブルも椅子もなかったはずだ……トッドはとまどう。
テーブルの上に赤と黒の駒が見えた。トッドを待っているあいだにユアンはイザベラを相手にボーディスをしていたのか。だとしたら、ユアンのほうがよっぽど見上げた根性をしている。
「だが、さすがにひとりでここには来られなんだか。かわいいのう」
嗤いを含んだイザベラの言葉に支えられて何の疑いもなくロゼが降りてきた。アンジェラをただの海賊だと思っているのだ。ユアンがイザベラの手の内にあるかぎり、海賊は何人いたところで何もできない。彼女たちの計算は正しい。アンジェラが海賊ではないということを考えに入れさえしなければ。
本物のブラックボックスを入れた保冷ケースをロゼに渡す寸前に、もう一度、トッドはユアンを見やった。ユアンはうなずいたように見えた。
ロゼの手に、確かにケースを渡しトッドはほっと息をついた。が、まるでケースを受け取ったロゼを糾弾するかのように一歩前に進み出たアンジェラに、心臓を鷲掴みされたような動悸を覚える。
そのただならぬ気配にロゼは悲鳴をあげようとした。
叫びは声にならなかった。
「レディ・ロザリンデ・ロザムンダ」
呪文のようにつむぎだされたアンジェラのつぶやきのほうが早かったからである。
「ミ=アウル・ハンヤ・ローゼ・シオン・タトゥーラ・シルス」
詠うような音調。
ロゼの手から保冷ケースが滑り落ちる。
「ロゼっ?」
咎めるイザベラの声には耳も貸さずにロゼは目の前のマントの人物を見つめていた。驚きのあまり、身じろぎひとつできないでいる自分を解き放つ言葉を待つかのように。
果たして、ロゼはその言葉を得られた。
「ローズ」
美しいアルトの響きはそのように彼女を呼ばわった。
「……ぇさま」
大粒の涙が頬にこぼれる。
「お姉さま……!」
ロゼは素直にアンジェラの腕の中へと飛び込んで、泣いた。とまどいつつも、アンジェラはその髪を、肩を、やさしく撫でてやった。
「たとえ、これが夢でもかまわない。うれしい……生きていま一度お会いできて、ローズは、幸せでございますエディスお姉さま」
ロゼの涙はあたたかかった。
「幸せだと……?」
冷ややかに言葉を吐いて玉座からイザベラが立ち上がる。秀麗な面立ちに氷の女王と呼ばれる所以となった冷酷な微笑を浮かべながら。
「生きておいでとは存ぜなんだな、タトゥーラのエグゼ・シオンどの」
口調こそ一国の女王を相手とするものであるが声音に含まれた嘲りに、はっとロゼは抱擁をといて顔を上げた。
「やめて、イザベラ!」
獲物を見つけた獣のように、愉悦に満ちて近づいてくるイザベラに、その叫びは通じなかった。哀しみに心を痛めるロゼはきっと、より美しく、よりいとおしさを彼女の胸に掻き立てると思われたから。
「当年取っておいくつになられる? そのような醜く老いさらばえた姿で、よくも美しい妹君の前に出てこられたものだ!」
イザベラはアンジェラのマントに手をかけ一気に引き剥いだ。
「ああっ」
かたく目を閉じてロゼは顔をそむけた。誰よりも美しかった姉の名誉を重んじるがゆえに。
百七十余年を生身の体で生きるには人工的サポートを受けながら生体改造をほどこすしか道はない。げに浅ましきことよと、自らを省みずアンジェラを嘲笑しようとしたイザベラのもくろみは、しかし成就しなかった。
イザベラがそこに見たのはタトゥーラの老いた女王ではなく、いまを盛りと咲きほこる花のようにみずみずしく、冷めたまなざしで彼女を見据えるひとりの美女だった。
「まさかそんな?」
いっそイザベラを殺して自分も死のう。死んで誇り高い姉の矜持を傷つけた罪をつぐなおうと心を決めかけたロゼの耳に、度を失った恋人の声が聞こえた。
「ア、ンジェラ……?」
恐るおそる目を開け、最後に会ったときに比べれば少しばかり大人になったアンジェラの姿を認めてロゼは驚き、喜んだ。二人きり以外では使わなかった呼称で姉を呼ぶ。
アンジェラは何も言わなかった。微笑すら浮かべずにロゼを見ただけであった。
「……これはしたり」
ようやっとイザベラが渇いた声を吐き出した。謀をめぐらせる時間稼ぎをするかのように、舌先が紅唇を濡らしてゆく。そして、それが済むと再びイザベラは冷たく笑んだ。
「よもやこなたさまも妾と同じ趣向をお持ちとは。エグゼ・シオンどの、やはり若く美しい姿は良いものでございましょう」
もしもアンジェラが男性だったならば、その言葉の中の媚を受け入れ、動かされていたかもしれない。あるいは彼女が、イザベラの言うように趣向としていまの姿をしているのであれば。
アンジェラの口元に嗤いが浮かんだ。未だかつてローズが見たことのないわらい方。彼女の知っているアンジェラは、たとえ相手が軽蔑するにたる人物であっても、そのような冷笑は向けなかったはずだ。
「ハハハハハ! アーハハハハハァ!」
イザベラもまた、アンジェラの微笑の意味を取り違え、笑いだした。彼女はアンジェラが迎合したと思ったのだ。
ロゼはただ青ざめるのみであった。
できることならば、彼女はイザベラの思い違いを正したかった。アンジェラはイザベラを憎みきっている、なぜかそう感じた。それを彼女に止めることはできない。彼女の裏切りはふたりの女王を傷つける諸刃の剣なのだ。
誰かアンジェラを止めて!
すがる想いをこめたまなざしがトッドを捉えたときにイザベラの哄笑がやんだ。
「いいかげんに馬鹿笑いをやめぬか。見苦しい」
表情すら変えずに氷の女王の頬を打った女性は静かに言った。誇り高い、タトゥーラの女王がそこにいた。
「よくも……よくも妾の顔をっ」
ぶたれた頬を押さえアンジェラを睨めつけたイザベラを見てやっとトッドはヤバいことを認識した。よりにもよって、美貌が自慢の超エゴイストの顔に手を上げるとは。
アンジェラのむごたらしいまでの死にざまをトッドは想像してしまった。そんなことは、彼には許せない。
「ユアン!」
いまにも倒れそうなロゼをあえて置き去りにしてトッドは壇上へ駆け上がった。驚いたことに、ユアンはそこで、腕組みして成りゆきを眺めていたのだ。薄笑いすらして。
「邪魔するなよ、トッド。やっと面白くなってきたところだ」
「アンジェラを助けてやらねぇのかよ」
トッドは必死だ。
「やらん。その必要もないな」
「オレが頼んでも?」
まじまじと、ユアンはトッドの顔を見た。
「あの女に、惚れたのか?」
「惚れた!」
本心をいつわらずにトッドは答えた。ユアンが苦笑する。
「だったら黙って見ていろ。女同士のいさかいに口を出すと怪我するぞ」
トッドよりもユアンのほうが、アンジェラを信頼しているような口ぶりだ。事実、アンジェラはイザベラを激昂させてなお冷静なのだ。加勢は不要と思われた。
「顔が、どうした。なんならもう二、三発ぶってさしあげてもよいぞ?」
平然と火に油を注ぐようなことを言ってのける。
「己のような生きぐされの生命欲のかたまりに同類あつかいされるとは、片腹いたいわ!」
イザベラを挑発するための言葉だった。が、しかしそれは、イザベラの自尊心と共にロゼの繊細な心をも打ち砕いた。
「生き、ぐされ……!」
哀しい涙が、ロゼの白い頬を伝って落ちる。
それを言ったのがアンジェラでさえなければ、おそらくロゼは、それほどまでにうちのめされたりはしなかった。
いたたまれず走り去るロゼの後ろ姿を、黙ってアンジェラは見送った。
「……満足か?」
冷ややかなイザベラの声が問うた。
「自分の妹を自分で傷つけて、満足かと訊いている。エグゼ・シオン! 殺してやる」
華やかにマニキュアされた指がアンジェラの喉を狙って繰り出されてきた。鞘におさめたままのレイピアでアンジェラはそれを払いのけた。
「わたしの妹は、持って生まれた身体を捨てたときに死んでいる。殺したのはおまえだ、イザベラ」
ふたりの女王はロゼ、あるいはローズと呼ばれる女性を互いに想うがゆえに、憎み、傷つけあっていた。
「……そろそろ、潮時だな」
憎しみの火花を散らして対峙したふたりを見下ろしながら、やおらユアンは席を立った。
「行くぞトッド」
ゆっくりと壇から降りはじめる。やっとユアンが動いてくれたと喜び勇んであとを追ったトッドが、目だけを動かしてユアンを見、問うたイザベラへの彼の返答で立ち止まる。
「どこへ行く、ユアン?」
「宇宙船へ帰る」
「それはならぬ!」
「なぜだ?」
またしても駆けつけてきた衛兵たちを無関心に眺めながら、おだやかにユアンは訊いた。
「トッドはあんたの望みのものを運んできたぞ。約束をたがえるとは女王らしくないやり方だと思うが?」
「約束?」
まるで、いまはじめて聞いた言葉という表情を、イザベラはした。海賊が約束という言葉を使うのかという侮蔑を含んだ高慢な顔だった。
「そう、だな……」
計算高い冷笑が唇を彩った。
「そっちの小僧には、もう用などない。だがユアン、そなたはまだ、だ。久方ぶりに逢うたのじゃ、もっとゆぅるりとゲームでも楽しもうではないか」
憑かれたような笑い声が、喉の奥からもれる。機械的な目の動きがねっとりとアンジェラの姿態を確認した。
「ちょうど極上の女王の駒が手に入ったところだ。妾の自慢のボードを貸してつかわそうぞ?」
とたんにユアンの顔から血の気がひいた。
これほどまでにはっきりと、彼が顔色を変えたのをトッドが見たのはこれが最初で、最後のことだった。
少しばかりネタばらしをいたしますと、最初にイザベラに仕えたのはエリイシャさんでした。女王の親衛隊でしたので、それなりの武人で、その働きぶりに目を留めたイザベラが彼女の夫の存在に気づき、シャダル・クローゼスを奪い取ってしまったのです。ドロドロです。
次回更新は2023年1月4日です。
どなたさまも、良い年をお迎えください(*^^*)