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スター・デストロイヤー  作者: 高峰 玲
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氷の城 1




 アンジェラはひどくだるそうに見えた。

 トッドの処置にあやまちなどあったはずはないのだが、どこかうつろな、ぼんやりとした表情で血の気のない顔を彼に向けていた。

 彼の言ったことを半分も聞いていたのかどうか、長いまつげに縁取られた霧にかすむ湖を思わせるダークブルーの目にまばたきさせることすら忘れたように、ただじっと見つめていた。

「……そうか」

 ややあって──彼女からの返事を半ばあきらめたころになってやっとアンジェラは低く応えた。思い出したように、続けてまばたきを二、三度する。それから、はっきりと己を取り戻した目で改めてトッドを見た。

 打って変わって冴えざえとした涼やかなまなざしがトッドを捉える。

「わたしの好きにさせると言ったのだな、ユアンは」

 こくり、とトッドはうなずく。

「ならば、好きにさせてもらおうか」

「というと?」

「しばらく……そうだな、とりあえず〈ビショップ−ナイト〉に代わって彼らが宿れる宇宙船(ふね)を見つけるまで、世話になるとするか」

「へ……?」

 トッドは薄茶色のどんぐりまなこをきょときょとさせ、驚いたようにアンジェラを見た。

「だ、けど、アンジェラ。いいのかい?〈モルガーナ〉はイリカノスへ向かってるんだぜ。あんたイリカノスへは行きたくないんだろ」

「ああ」

 小さな吐息をアンジェラがつく。

「そういえばそうだったな。だが、まあよかろう。〈モルガーナ(ふね)〉から降りなければイザベラに会うこともあるまい」

「だけどアンジェラ」

「好きにさせると言ったのだ、ユアンはべつに気にはすまい。それともおまえが気にするか、ん?」

 そう言ってアンジェラは華やかにトッドに笑いかけた。とたんにトッドの頭にかあぁ〜っと血が上る。

「そ、そりゃあ、オレだって男だからな。ひとつ船にきれ〜な女が乗ってんだ。気にならないワケ、ないけど」

「おまえ、何を言っているかわかっているのか?」

「あ?」

 自分の解釈の誤りに気づき、ますます男は赤くなった。

「オ、オ、オレはべつにっ」

 弁解しようとして口ごもり、さらに湯気をたてんばかりに赤くなる。鼓動が早鐘を打つ。

「トッド」

 ああオレはなんと滑稽な姿をさらしているのか──思いながらもトッドは微動だにできなかった。なろうことならば、彼は目の前の美女の失笑のまえに、そこから逃げ出したかったのに。

「トッド……」

 彼女は続けて彼の名を呼んだ。すでにその顔から先刻の笑みは消えている。彼女はわらってはいないのだ。

 優美ともいえる動きでアンジェラは処置台から身を起こした。自然な手つきでシーツを白い身体に巻きつける。たかがシーツを、どんなドレスよりも美しいとトッドが思ったのはこれが初めてだった。

「綺麗、か? わたしは」

 感情の読めない調子でアンジェラは問うた。彼女が喜んでいるのか怒っているのか、トッドにはわかりかねていたのだが、それでも彼は肯定した。本心から。

「とても! アンジェラ」

「……ありがとう」

 小さくつぶやいてアンジェラは立ち上がった。トッドの肩に手を置き片頬に笑みを浮かべる。

「とてもうれしいよ、トッド」

 そして、かがみこんでトッドの唇に自分のそれを軽く合わせた。

「ア──?」

 トッドが驚き、とまどっているあいだに彼女は彼から離れてしまった。

「おまえは、やさしい男だな」

 言葉とは裏腹に、アンジェラの声音が失望の色を含んでいることにトッドは気づいた。彼は言うべき言葉もなく、ただアンジェラを見つめる。

 自分の失望が少なからず男を傷つけたことを察し、アンジェラはふっと表情を和ませ、トッドの反応を確かめるように言った。

「わたしはやさしい男は嫌いだ」

「! オレはっ……!」

 アンジェラの思惑以上に、その一言はトッドの感情に大きな波紋を掻き立てた。

 むっとしたように言うなり彼はアンジェラを引き寄せ、荒々しく唇を重ねてむさぼった。

 彼が我にかえったのは電脳の出すノイズ──すなわち

モーガンとビショップが音声出力装置をめぐって対立した音──を、聞いてからだ。

「あ……。あの、アンジェラ、オレ……」

 なにはともあれ彼女を離し、トッドは狼狽えた。すぐさま平手打ちが飛んでこようとレイピアの一閃がこようと、あたりまえのことをしたと思った。が、アンジェラは彼にはただ一言、言っただけだった。

「……それでいい」

 それから、彼女は彼に背を向けて呼ばわった。

「ビショップ」

 男声が応える。

『イエス、マイ・レディ』

 何事もなかったかのようにアンジェラは言った。

「モーガンを呼んでくれ」

 間を置かずにモーガンが出る。

『わたくしに何か御用でしょうか? マダム』

「ああ。すまぬがわたしに一部屋、見つけてくれぬか。ユアンは好きにしろと言ったそうだから支障はあるまい?」

『造作もないことですわ。すでにユアンからうかがって用意してございます』

「ほぉ?」

 アンジェラが意外そうな声を出した。

「ホントか、モーガン?」

 トッドも驚いたように訊いた。

『ええ。トッド、マダムをご案内してちょうだい。お部屋はA−3よ』

「A……3……?」

 トッドは力なく繰り返した。

「ユアンが、その部屋にしろと言った、のか……?」

 そこは〈モルガーナ〉の中で二番目に良い船室である。モーガンが認めるところの女主人(ミストレス)──いうまでもなく、それはユアンのパートナーをさす──のための特別な部屋。

『いいえ。でも、反対もなさいませんでした』

「どういうことだ」

 ひとりごちながら考えてみる。

 昨夜のユアンの口ぶりでは、彼は女としてのアンジェラに興味を持っていそうになかった。客のためにいい部屋をあてがうような男ではないことも知っている。それなのになぜ、モーガンはアンジェラにミストレスの部屋を……?

『ビショップのせいです』

 渋々ながら、モーガンはそんなニュアンスだった。

『ビショップにとってマダムは、ご主君のレディです。第一位の婦人としてA−3をご使用いただくことにわたしは異存ありません』

「そうかぁ」

 トッドはほっと息をついた。心の底から笑いがこみあげてくる。

「あはは、そうか。モーガン、おまえそこまでビショップの干渉を受けているのか〜」

 激しいノイズがそれに応える。トッドはなおも笑い続けている。

『馬鹿笑いはそれくらいにしてマダムをご案内して、トッド』

 ややあって、少し低めの女声が言った。

『まったく気がきかないこと。……マダム、クローゼットにたくさんきれいなものを集めてございますので、お召しくださいませ』

「すまぬな」

 無造作に床に落とされたままの自分の衣服にアンジェラは目をやった。

『そんなバトルスーツなど、お召しになる必要はありませんわ。少なくとも、この船に乗っていらっしゃるあいだは。わたくしとビショップがついておりますから』

 アンジェラは怪訝そうな顔をする。

「そなたはユアンの宇宙船であろうに」

『そうです。わたくしはユアンの命令に従うものです』

「ならばもし仮に、彼がわたしに害意を持って接したら? それでもそなたはわたしを守るか?」

 微妙にぼかした質問に、きっぱりとモーガンは答えた。

『彼には嫌がる女性を手込めにする趣味も必要もないように思われます、マダム。もっとも、その観点ではかなり危険な人物が船内にいることは否めませんが』

 何やら胸の中の()をさされたトッドが口をとんがらせる。

「そりゃどうゆうことだよ、モーガン」

 モーガンは厳しく言い放つ。

『頭の黄色いネズミが不埒なまねをしようものならば、遠慮なく警備システムを作動させていただきますっ』

『そういうことです』

 ビショップの穏やかな声音もモーガンに同意した。

「ちぇっ」

 トッドは大いに感情を害したが、アンジェラは微笑した。

「それは心強いことだ」

 そして、彼女はレイピアのみを拾い上げてトッドを促した。トッドは黙ってA−3へアンジェラを導いた。




『まあ! マダム……』

 モーガンの美的センスの粋を集めたクローゼットで着替えたアンジェラの姿を見る(モニターする)なり、モーガンはがっかりしたように言葉を失った。ボキャブラリーのすべてをふりしぼって賛辞を用意していたはずのビショップも絶句した。

 彼女はドレスを着ていなかった。

 ドレープだけが優美なシンプルなブラウスと細身のズボンに重力靴(ブーツ)ばき。腰にはレイピア……これではシャツ+ズボン+ガンベルトのトッドやユアンと変わらない。

「何だモーガン? わたしの格好は変、なのか?」

『い、いえ、そんなことは。ただ……なぜドレスをお召しになりませんの? わたくしのセンスではマダムのお好みに合いませぬか』

「そうではないが」

 アンジェラは説明した。

「わたしは彼らの情婦(イロ)になった覚えはない。ゆえに着飾る必要はないし、チャラチャラした格好は好かん。それだけの話だ」

『はあ……』

 モーガンはしないよりはましな相槌しか打てなかった。ビショップは未だに言葉を失ったままだ。

 そこへノックの音。

「アンジェラ、入ってもいいかい?」

 返事を待たず手動のドアを開けてトッドが入ってきた。

「あれ? スカートじゃないのか」

 がっかりしたところへ間髪入れずに低出力レーザーの速攻が走る。

『ええい、この不埒者っ』

 狙い撃ったのはモーガンだ。

「わ、何だよモーガン。危ねぇなぁ」

『お黙りっ。女性のお部屋にいきなり踏み込んでの暴言、許しがたし! 恥を知りなさい。いったい何の用なの?』

「や、アンジェラに船内を案内してやれってユアンが言うからさ」

「ユアンが?」

 昨夜以降、まだ一度も顔を合わせてさえいないというのに船内を……? これはどういうことなのか。

「わたしを……信用しているのか?」

 モーガンよりは回答を得やすそうなトッドに尋ねる。言葉を飾る手間すらかけずに、鼻の頭なんぞを掻きながらトッドは言った。

「そういう問題じゃねぇと思うけどな」

「というと」

「信用していようといまいと、モーガン次第でユアンはあんたをどうとでもできる」

「ビショップの干渉は?」

「あってもモーガンはかまわないさ。ユアンの命令は至上絶対だ。いまはただ、オレが暇だからあんたの相手をさせてくれるのさ」

『ぶ、無礼なっ』

 アンジェラが無反応をきめこんだのに対して、ビショップが声を荒らげた。それに応えてまた、トッドが挑発する。

「へえ、無礼ってか。オレじゃ力量不足だってのかい? ユアンの片腕とまで呼ばれるこのオレ、トッド・ザイ=ルーシュさまが」

『片腕? 貴殿が、あのユアンどのの?』

『それは初耳ね、トッド』

「あんだよ、モーガン」

 トッドは拗ねる。

「実際、この船にはオレしか手下は乗ってないし、ユアンは半分一匹狼みたいなもんじゃないか。だったら、オレがユアンの片腕と呼ばれたっておかしかねぇぜ」

「一匹狼?」

 ふと漏れた言葉にアンジェラは首を傾げた。

 それでは自分は、配下をひとりしか持たぬはぐれものの海賊ふぜいに宇宙船を、あの大切な〈ビショップ−ナイト〉を沈められてしまったのか……!

 彼女のそんな思いを知ってか知らずか、それを単なる質問と判断してトッドは言を継いだ。

「ユアンは群れたがる奴らが嫌いらしいからな。どうしてオレを〈モルガーナ〉に乗せてくれているのか、オレにはわかんねぇが」

『それはあなたもはぐれものだからでしょう』

 なけなしの同情心プログラムが働いたらしく、モーガンは優しく言った。

『彼らには彼らで(ムレ)があり、統制もとれています。だからこそ、離れていながらユアンは彼らを思いどおりに操れるのです』

「それはどういう意味だ、モーガン? ユアンは一匹狼なのであろう?」

「そいつは違うぜ、アンジェラ」

 まるで我が事のように自信に満ちた顔でトッドは言う。

「ここにはオレしかいないが、ユアンには何千、何万ってぇ手下がいる。この銀河圏の海賊、みんながそうだ。裏の世界で大銀河を牛耳っちまってる海賊の王が後継に決めたほどの男だからな、ユアンは」

 からかうように、アンジェラは皮肉げに笑った。

「それでは、おまえはその、未来の海賊王の片腕なのか」

「そうだ」

 真顔でうなずくと、トッドはアンジェラの手を引いて通路へと誘いだした。

「来いよ。〈モルガーナ〉の中を見せてやる。そしたら、あんたも納得するんだろ」

「それはどうかな?」

 気のりしない口ぶりだったが、トッドの手を振りほどいて抗う様子でもない。

「……大きいな」

 アンジェラが〈モルガーナ〉を外から見たのは一度だけ。表向きは宇宙貿易商と自称するユアンの宇宙船だけあって、ごくありきたりの交易船型だった。たとえ火器装備として共和国宇宙軍の制式宇宙戦艦にひけをとらない主砲を隠し持っていたとしても……三百メートル級では小型の交易船の部類に入る。だが、その中を歩かされてみると底知れぬ何かを感じずにはいられなかった。

「ま、〈ビショップ〉に比べれば小さくはない。だけどこれで充分すぎるほどでかくもない。船室の数も、多くは作ってないからな」

「つまり、初めからユアンは大人数を〈モルガーナ〉に乗せるつもりがなかったということなのだな」

「だろうと思うよ」

「なぜだ? 対人恐怖症というわけでもあるまい」

 トッドは少し驚いたような顔をしながらも考え、応えた。

「や、ユアンには恐れてるモノなんて。ないんじゃないかな。それが人なら恐れるというよりも、むしろキライだと思うまえに()っちまってたりして」

「うむ」

 アンジェラは思慮深げにうなずく。そのいかにもといった調子に、トッドはあわててフォローする。

「た、ただ単に、ホラ、対人関係、とかいうヤツが面倒なんじゃないかな。自分以外の人間の存在がわずらわしいっていうか、感情の流れみたいなもんがうじゃうじゃするのが嫌いみたいだ」

「ほぉ?」

 トッドの反応を楽しむようにかすかに笑いながらアンジェラは彼を見たが、それきりユアンについての話題を蒸し返さなかったのでトッドはほっとした。

「……イリカノスへは密輸で行くと言っていたが、積荷は何だ?」

 ほっとしすぎたあまりか、アンジェラのこの質問はあっさりと答えを得られた。

「ああ、動物だ」

「どうぶつ?」

「ま、見ればわかるけどさ」

 なんとなく複雑そうな顔をして言うとトッドはアンジェラをカーゴルームへ案内した。

 そこに整然と並べられていたのは五十個あまりの冷凍睡眠(コールドスリープ)コンテナである。正面に向けられている窓々から、眠れる動物たちをのぞきこんでアンジェラは息をのむ。

「これ、は……」

「密輸しなきゃならない理由がわかったかい」

 トッドが、やや怒ったようにそう言った理由さえも、アンジェラは察した。コンテナの中で眠る動物たち──ほとんどが(つがい)で入れられている──はすべて、テラ連邦が全銀河の星邦と交わしたダーウィン条約によって他環境への移動を禁じられている動物=絶滅危惧種だった。

「これらをみな、氷の城へ入れるのか……」

 まるでノアの箱船だとアンジェラは思った。

「氷の城って?」

 今度はトッドが尋ねる。

「イザベラの居城だ。首都と同じ規模で城と庭と、森と、湖とを、常春の楽園にしていると聞く」

 アンジェラもまた、怒ったような口調で言った。

「おのれひとりの満足のためにだけ造られたエゴと享楽の象徴……その維持にはイリカノス全土の28%ものエネルギーが必要だというが」

「へーえ」

 無感動にトッドは言った。

「ブルジョワのやるこた、わかんねぇな」

「そうではない者のやることも、また、わからぬな」

 少し前までの怒った感じはどこへやら、物憂げなアンジェラの口調は冷めていた。

「すべてにおいてそうだ。人の心というものは、わからぬ。いや、わかりたくない、というのが本心かも知れぬな」

「なんでさ?」

「わかったところで何ができる? わたし自身でさえ、己の心の中すら知らぬというのに」

「ま、オレにしたってそうなんだから、かまわないけどさ。人の心なんてものはさ」

 トッドは、そこからさらに大演説をぶつつもりでいながら、ふと口をつぐんでしまった。自分がまたユアンの名を口にしそうだと気づいたのだ。

 この船(〈モルガーナ〉)の中で、いや、〈モルガーナ〉の中だけではない。どこにいようとも、ユアンの心理について話すことは確実に自分の首に絞首刑用の縄をひっかけているようなもの、という観念がトッドの内にはある。しかもそんな愚挙はつい先刻もしかけたばかりだ。

 トッドは言いかけた言葉の代わりに笑った。

 童顔の三十男の笑顔につられてアンジェラも微笑む。

 ただ美しいだけの彫像のようだった面輪に熱い血が通いそめたように、その微笑はどんな紅おしろいよりも彼女を華麗に彩った。

 たとえそれが無意識のなせるわざだったとしても、己の行動の作用として微笑んだ女性に心を動かされない種類の人間に、トッドがなりえるはずがない。冷酷な、血も涙もないような無表情を見せてはいても、本来のアンジェラの性質はそれとはまったく逆なのだということは、容易に推察できた。

 完全に冷めきったようでいて、そのくせ心の奥深く、宝物のように熱く燃えさかる炎を秘めている女性アンジェラ。

 恋や愛などという言葉よりもまず、いとおしいという感情をトッドは意識した。

「アンジェラ」

 意を決すると同時にトッドの顔から笑いが消え失せた。

「何だ?」

 彼の心中を知る由もなく彼女の口調は相も変わらずぞんざいだ。が、ひるまずにトッドは言った。

「もしも、アンジェラ。もしもオレたちがイリカノスから無事に戻ってこれたら……オレと……」

 しかし、そこで男はまたもや口をつぐんでしまった。

 無事、イリカノスから戻ることなど可能なのか。思ったとたんに何やら背筋にぞくりとしたものを感じる。黒船屋のブラッキーは何と言っていたか。ヨブじいさんの話した水先案内人たちはどうなった?

 もちろん、あわれな床屋になるつもりなどトッドにはない。だが、つもりがなくともそうなってしまう確率のほうが、彼の意志よりもずっと大きな主導権(イニシアティブ)を持っていることはまちがいないのだ。

 かなり迷ったすえに、トッドはそれを彼女に伝えることを断念した。そうしてそれが──彼が言いかけてやめてしまった言葉が、アンジェラに伝えられることは、その後もけっしてなかった。

 アンジェラは、急に黙り込んでしまったトッドを不思議そうに見下ろしていた。物問いたげにかすかに開かれた朱唇に彼はそっと指をのばす。

 触れようという直前になって、それは涼やかなアルトを発した。

「あれ、は……?」

 コンテナの陰にたたずむ男の姿に、いまになってやっと気づいたのだ。

 いつから、彼がそうしてそこに立っていたのか、トッドにもわからなかった。ふたりがそこにいることになど頓着する気配すら見せずに、ユアンはコンテナに背をもたれて腕組みしていた。かたく閉じた目を開けてふたりを見ようという様子もない。

 アンジェラの手を引いてカーゴルームを出るまで、トッドは一言も発せなかった。幸か不幸か、彼はあの場で本心を吐露する前に口をつぐむことができた。しかしユアンには、彼が何を言いかけていたのかということなど、わかってしまったに違いない。

「あの男は、あそこで何をしているのだ?」

 アンジェラもまた自分と同じようにユアンの中の危険な影のようなものを意識しているとトッドが思ったのは、再びもとのように本質を鎧ったアンジェラの無表情を見てからである。もちろん、その影というものはユアンがあからさまに見せたものではないし、言葉や行動として表示したものでもない。トッドが感じるだけのものだ。

「さあ?」

 カーゴルームでユアンが何をしているのか、トッドも知らない。

「時々、()()なんだ。何を考えているのか、何時間も黙ってあそこに立ちって」

「あの動物たちの行く末を、案じていたとも思えぬが?」

「そりゃそうだろうよ。ユアンが動物愛護に力を入れているなんてハナシ、聞いたこともないぜ」

 ついうかうかと軽口をたたいてしまってから、あわててトッドは後ろを振り返った。通路にいるのは彼とアンジェラの二人きりだ。

「トッド」

 アンジェラは、彼が安心して一息つくのを見て笑ったりはしなかった。が、カーゴルームから遠ざかる足取りを休めもせずに彼の耳にささやきかけた。

「本当は何か、心当たりがあるのではないのか?」

 トッドの足が止まる。

 己の愚直さを呪いつつ、彼はとうとう白状した。

「こいつはオレの考えでしかないんだが……」

 まず前置きが入る。 

「積荷の中に生命維持装置につながれたブラックボックスがあるんだ」

「おまえはそれを」

 立ち止まってしまったトッドの、数歩先から振り返り、アンジェラは彼の考えをひきとって言葉とした。

「イザベラのクローンとして作られた受精卵か、あるいは何かその(たぐい)と考えている」

「そうなんだ」

 あっけらかんとトッドはうなずく。

「いくら公然の秘密とはいえ、イリカノスで堂々とクローニングするほどマヌケかな? あの女王はよ。オレがみたって、氷の城とやらでイザベラは国民のヒンシュクを買ってないはずはない。自星でンなモノを作ろうもんなら、どんな妨害があるかわからんからなぁ」

「かといって、人としての形に成長させてから送らせるには目立ちすぎる。絶滅種の密輸はそのためのカムフラージュか」

 トッドと同じ見解をアンジェラは示した。しかしながら、かすかに首を傾げる。

「してみるとあの男はそれについて考え込んでいるわけではないのだな。頭の中身が綿くずやスポンジでもないかぎり、ブラックボックスについての推理は容易だ」

「……アンジェラ、あんたいま、オレの頭をぬいぐるみと比較しただろ」

「それは邪推というものだ」

 アンジェラはにっこり。

 いまさらながら、その罪のない笑顔にほだされてトッドはぬいぐるみの件は不問にした。

「まあ、あとおかしなところで、ブラックボックスが二つあるっていうのがあるけどさ」

「ふたつ?」

 アンジェラは深刻そうに考え込む。

 それの意味するところは何か。万が一のためのスペアか、あるいは……?

「まさかな」

 苦笑まじりに彼女はつぶやいた。


 あるいは、共に時を超えて生きようとするくらいの伴侶を──しかもわざわざクローンを作ってまで──イザベラは見出したのだろうか。


 それがそのひとの選んだみちであれ、イザベラの強要であれ、かの氷の女王と同種の人間にはなんら興味を掻き立てられぬアンジェラであった。見てみたいとすら思わない。少なくともいまの時点では。

「……いまでも暇か、トッド?」

 ややあってアンジェラは朗らかに訊いた。

「んん?」

「ならばよい暇つぶしを教えてやるぞ」

 そうして彼女は、モーガンの端末へとトッドを誘った。

 会えなければ悔やみ、そしてまた会ってしまっても後悔する──そんな相手の存在に、未だ気づきもせず……。




to be continued……












『氷の城2』は2022年12月14日(水)12時公開予定とさせていただきます。


眼鏡が壊れ歯の詰めものが取れ、虫歯が発見されました。休日の不本意な外出が増えてしまい現実逃避までが増え(主に読書)、睡魔に負けましたm(_ _;)m






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