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スター・デストロイヤー  作者: 高峰 玲
2/10

黒船屋 ── ゼロ・ストリートの戦慄 ── 2




 〈ビショップ−ナイト〉は、すでに修理を終えて六号スポットに移されていた。優美なラインの九十メートル級宇宙クルーザー。もちろん、ミリタリィなものではない。

「これが、あんたの船かい?」

 宇宙港の売店でアンジェラにキカハ・ウィスキーを買ってもらったトッドは上機嫌である。にこにことまなじりをおとし、朗らかな声で訊いた。

「〈ビショップ〉だ」

 肯定するでもなく、否定するでもなく、アンジェラは船名を答えた。それがこのクルーザーの正式名だ。ナイトは後でその持ち主が付加した名。彼はビショップにある女性を守らせるべく、騎士(ナイト)の名をも与えたのだ。

「あんたは、金持ちなんだな」

 無邪気につぶやくトッドを、まじまじとアンジェラは見下ろしていた。トッドは小柄だ。どっか抜けたようなひょろんとした男である。年は三十ほどか、しかし童顔のためとてもそうは見えない。ユアンの傍にいられるとは、とうてい思えそうもない男。

「おまえは……サーベク系か?」

 ふと思いついて訊いた。どことなく()に似ているような気がするのは、髪のせいばかりとも思えない。

 そうだ、とトッドはうなずく。

 それっきり、興味をなくしたようにアンジェラは男に背を向けた。無言で船のドアセンサーに片手を差し出す。

「オレも、中に入れてくれるのか?」

 振り向かずに彼女は応えた。

「ビショップが認めればな」

 外部ドアがゆっくりと上がる。次いで内部ドアが左右にスライド。アンジェラが中に入る。それに続こうとしたトッドの目の前で、スライドドアは閉ざされた。

「くそったれめ!」

 トッドの罵り声に、アンジェラはくすくすと笑う。

『お帰りなさいませ、女王陛下』

 慇懃な、おだやかな男声がスピーカーから流れる。〈ビショップ−ナイト〉の人工知能ビショップだ。その名のとおり、ビショップは温和で高尚なタイプに設定されていたが、ともすれば名前に柔順すぎてひどく坊主くさい説教をたれることがある。

 彼がアンジェラを女王陛下と(そのように)呼ぶときは、説教をたれたいときである(けっして彼女を不愉快にしようという意図でそれを用いないのがビショップらしいところであるが)。ビショップはアンジェラの朝帰りが気に入らないのだ。

「……油圧バルブの調整は、うまくいったようだな」

 居住スペースに向かいながらアンジェラは事務的に言う。

『はい、陛下』

 実はビショップはアンジェラがそう呼ばれることを嫌っているのを知っている。

「ビショップ」

『イエス、マイ・レディ』

 声のトーンの微妙な変化を検出し、ビショップは呼び名を改める。

「……わかっていればそれで良い」

 ややあってそう言うと、アンジェラはシャワー室に入った。

『イエス、レディ・アンジェラ』

 意図はなくとも、ビショップはアンジェラの心を衝く一言を吐くことがままある。この場合もそうだった。彼女にとって“アンジェラ”がレディであろうはずがない。

 だがアンジェラは何も言わなかった。

 黙々と着ているものを脱ぎ、バトルスーツを解除する。足元に一枚の黒布となったスーツが落ちる。それらをまとめてクリーニングボックスに入れると、充分に時間をかけてシャワーを浴びた。

 長く豊かな髪が身体にまといつく。自分の一部でありながら必ずしも彼女の思いどおりにはならない。少し切ってみようか……ひとごとのように考えてみる。

 流れた歳月の分だけ髪を切ったならば、彼女をおさえつけるしがらみはすべて解け去るだろうか。

「ビショップ」

 作業を終えたボックスから黒布を取り出しながら呼びかける。

『御前に』

 間をおかずにビショップの応え。

 ゆったりと黒布を身体にかけてアンジェラは言った。

「髪を短くするのは、おかしいと思うか?」

『あなたさまのお顔立ちで似合わない髪型など、まずはありますまい。ですが、マイ・レディ、いまのままで十二分にお美しいと思いますよ』

 アンジェラはわらった。まったくもってして、こいつはビショップだ。自分をあくまでもレディとしてみなそうとしている。

 彼女が美容という観点から助言を求めたというのか。ごくあたりまえの、貴族の女たちのように?

 彼女にしてみれば似合わない髪型など、自分にそぐわない軍装のようなものだ。戦衣の丈が長すぎるならば、切る。動きを束縛されることはすなわち、敵を優位に立たせてしまうことだから。

 肩口で合わせた黒布をブローチで留めた。触指センサーに反応して黒布が彼女の身体に密着する。汎用バトルスーツである。続いて薄絹の戦衣を取り出して着けた。細いストラップのジャンパー型で丈はくるぶしまである。スリットは両サイドにウエストまで。

 この、実にエレガントな丈の戦衣で不自由したことなどない。

「……切る必要も、ないようだな」

 再び、わらう。今度は自嘲として。

 髪を切ったところで時と共に失われたものは戻らない。

 自分もまた、あのころの自分に戻れるわけでもない。

 それから、帯状のプラチナ繊維、マント、レイピアなどを抱えて居間に入った。

「日没まであとどれくらいあるか」

 持っていたものをおろし、無造作にカウチに倒れ込んで尋ねる。

『ガウェンドラで四半日です』

「そう、か……」

『マイ・レディ、すでに離陸準備はととのっておりますが……?』

 物憂げに額に手をやり、アンジェラはささやくように言った。

「日が暮れたら、行きたいところがある。出発はそれからだ」

『夜になってからの外出にはあまり賛成できません、レディ』

 ビショップの口調はだんだんしかつめらしくなってくる。

『昨夜も私が反対申し上げましたのに外出なさって……あのような()()()な男に送られたりして……いったい、どちらへ?』

「黒船屋だ」

 花のようにアンジェラは笑んでいた。

『そこは、何をあつかう店ですか?』

「酒場」

『pP───!!』

人間であればビショップはきっと目を剥いて絶句したのだろう。高音域でのP音を十回ほども連発した。

「猫がいる。彼女と話したい」

『ね、猫、でございますか……? 話す猫など、この世には、億を下らず、おりましょうに……』

 ようやっと低音をとりもどしてビショップは切れぎれに言葉を並べる。

「実におもしろい猫だ」

 その笑顔は無邪気で……天使(Angela)、そう呼ぶにふさわしかった。ビショップはアンジェラがこのように微笑もうなどとは予測だにしなかった。だが、彼のモニターはそれを彼に伝えてきたのだ。

『……それでは、レディ』

 演算の後、ビショップは言った。

『プロテクターをご着用のうえ、私との通信機をお持ちください』

「ビショップ?」

 アンジェラは訝る。ビショップの説教くささはいつものこととはいえ、ここまでこと細かに言われるのは初めてである。

『日没までに、イヤリング型にお作りしましょう。片方はあなたさまの、もう片方は私のモニターとして』

 深みのある低音がさらに低くなった。それでアンジェラは合点がいった。

 これはビショップではない。護衛プログラムを作動させているのだ。司教(ビショップ)では名前の制約を受けてしまう。そのために彼がビショップに新たに与えたのだ。

 その名を。

 ただひとりの女性(レディ)を守らせるために。

「……ナイト」

 ためらいながらもアンジェラはその名を呼んだ。

『イエス、マイ・レディ』

「おまえは何のためにそこにいる」

『マイ・ロードの命に従うために!』

 何ら不確定要素もまじえずナイトは応えた。




 結局、アンジェラはビショップ−ナイトが望むとおりのいでたちで黒船屋に向かった。すなわち、腰から胸、肩口にかけてプラチナ繊維の帯をプロテクターとして巻きつけ、片方の耳には集音器──これは超小型カメラと生体センサーをも内蔵し、アンジェラの脳波の乱れまでも敏感にビショップ−ナイトへ中継する──もう片方には彼からのメッセージを伝えるボイスシンセサイザーを組み込んだイヤリングをつけて。

 顎のラインにそって斜めに切りそろえられたサイドの髪がイヤリングをカバーしていたが、何となく彼女にはそれがわずらわしい。〈ビショップ−ナイト〉から降りてすぐに外してしまいたいと思ったくらいだ。しかし彼女は約束してしまったのだ。船に戻るまで、けっしてそれを外さないと。

「……感度はどうだ? ビショップ−ナイト」

 ゼロ・ストリートをやや早足で歩きながらささやく。

『たいへん良好です、マイ・レディ』

 間をおかずにビショップの声で応えがくる。

「こちらも良好だよ、ビショップ」

『それはようございました』

 今度はナイトの声。

「まったくだ」

 つぶやいてアンジェラは黒船屋の扉を軽く押した。かすかなきしみをたてて苦もなくドアは開く。そこから先は男と女、酔っぱらい、ならず者たちの世界だ。

 一通り内部を見渡してから足を踏み入れる。

 昨夜と変わった様子はこれといってない。ただ少しだけ違っているのは、アンジェラを撃った男の死体がないことと、彼女が入った一瞬の沈黙がなかったことか。

 まっすぐにカウンターに向かう。

 豊満な体つきのマン・ハンターがにっこり微笑みながら近づいてくる。アンジェラは軽くマントをはねあげた。店内のフラッシャーが色とりどりにしなやかな肢体(ライン)を照らし出す。プロテクターが巻かれた胸、すがるのような腰。明らかに女性とわかるはずだ。女が鼻白む。

 アンジェラは気づかなかったかのように歩き続けた。

「よく来たねェ、アンジェラ」

 横手からブラッキーの声。彼女はカウンターの右、奥まったボックス席のテーブルの上にいた。

「こっちへおいでよ。じきにそこにはヘンなのが来るから」

「ヘンなの?」

「まったく、ヤになる。今夜はいやに風がにおうよ。風にのって奴のニオイがする」

 どうやらブラッキーが嫌っている客が来るらしい。そいつが嫌なのならば、ヨブじいさんのプライベートエリアにひきこもっていればいいのに、彼女はアンジェラを待っていたらしい。

 席につくとすぐにヨブじいさんがミネラルウォーターを持ってきた。今夜のカードは《節制》だ。

「……アンジェラ」

 彼女が一口喉を湿らせると、妙にゆっくりとブラッキーは言った。

「昨夜はちゃんと帰れたのかい?」

 タンブラーを持ったまま、アンジェラは黒猫を見つめる。

「ちゃんと、とは?」

「おまえさんから、男のにおいが、する」

「……ちょっとした、いざこざがあってな」

 アンジェラは苦笑する。だがブラッキーはそんな言葉を聞いてなどいない。

「おまけにこのニオイは……」

 神経質に鼻やヒゲをピクつかせる。

「アタシの大っ嫌いなユアンのものじゃなァいかぇ?」

 きっとマントへの移り香だ、と考えながらアンジェラはブラッキーのまさに猫なで声に感心した。やさしげな言い回しの中にもったりとした(けん)が含まれている。

「ついでにいうなら、トッドとマーンリーのも混ざってる。あのならず者ども……?」

「マーンリーという男ならば、昨夜死んだぞ」

 天気の話でもするような何気なさでアンジェラは言った。

「ユアンのしわざだろう?」

 どうやらブラッキーはユアンという男をちゃんと知っているからこそ嫌っているのだと、アンジェラにはわかってきた。

「あの男は、我とわが身を撃って死んだぞ」

「だから、ユアンのしわざだと言ったんにャ。悪いこといわないから、近づくんじゃあないよアンジェラ」

 何だか、えらく優しすぎる女のような物言いだった。アンジェラはブラッキーに手をのばす。

「大丈夫だ、ブラッキー。わたしは今夜、おまえに別れを告げに来た。奴とも、もう会わぬはずだ」

「それでも、アタシは心配にャ」

「わたしはそれほど、尻軽ではないつもりだが……」

 アンジェラは苦笑した。ブラッキーも目を細める。

 と──。

 次の瞬間、ブラッキーは総身の毛を逆立てた。

 入口に人の気配。

 内部の客たちにこれといった変化はないが、このブラッキーの警戒ぶりを見れば、いま入ってきた客が誰なのか、おのずと知れようものだ。

「店主……」

 二人分の足音を耳にしながらアンジェラは低く呼んだ。カウンターをくぐってじいさんがやってくる。

「シャンパンをくれ。わたしと、ブラッキーに」

 腹のあたりで握り合わせたじいさんの手の上に金貨が一枚、のる。

「まがいものはダメだョ」

 毛並みをととのえながらブラッキーが念を押す。

 しわだらけの顔をくしゃくしゃとゆがめてじいさんはほいよ、と言った。足早にカウンターに戻り、二人分のシャンパンを用意しながら、カウンターについたふたりの注文をきく。いつものやつ、だ。

 シャンパンをのせたトレイをウエイターに渡し、じいさんはシヴ・ウィスキーをグラスに注いだ。

「どうしたんだね。あんたはとっくにシーシポスだかトリムステだかに行っちまったと思っていたよ」

 静かに声をかけながらカウンターのグラスをついと進める。一口飲んでユアンは応える。

「いや、まだ衛星軌道上だ。水先案内人が、見つからん」

「水先案内? いるような星域かね、トリムステが」

「……トリムステじゃ、ねェ」

 それまでグラスに手も触れず、じっと座っていたトッドが口を開く。

「シーシポスだったか? しかし、そっちにしても」

「トリムケラプスだ」

 じいさんの言葉にかぶせてユアンはそっけなく言った。


 奇妙な沈黙が三人のあいだを流れる。


「使えそうな奴に、心当たりはないか?」

 一息にグラスをほしてユアンは尋ねた。カウンターにおろされたグラスの横にボトルを置いて思慮深げにじいさんは言う。

「正規ルートではあるまい」

 銀河第八恒星系トリムケラプスの公共ルートは、宇宙航法を知っている者ならば誰だって通ることのできる(スペースロード)だ。水先案内──正しくは星域間航行路案内人──など必要とするのは、トリムケラプス恒星系を何重にも交差して取り巻く二百連以上のアステロイドリング群を突破して密入国をしようとする者くらいである。

「またやっかいな荷を、請け負ったもんじゃのう」

 しんみりとじいさんは言った。黙ったまま、ユアンは手ずからグラスにシヴ・ウィスキーをつぐ。

 表向きは宇宙自由貿易人を自称するものの、ユアンの正体は宇宙海賊だということをヨブじいさんは知っている。それも、チンケな三下ふぜいではない。二流、三流でもない。その彼が、何でいまさら密輸など……じいさんは訝る。しかもあのトリムケラプス系なんぞへ……。

 じいさんのイメージのトリムケラプスは氷の世界だ。

 実際にはトリムケラプス恒星系の十惑星で唯一、人の住める星イリカノスは四つの季節を有するが、たったひとりの女──トリムケラプス系イリカノスの女王イザベラ──のせいでイリカノスは常冬の星だと思っている者も少なくはないのだ。

 宇宙でいちばん冷酷な女。氷の女王、とイザベラは呼ばれているという。そしてさらに、イザベラは──。

「あてはないのかよ、じいさん」

 じれったげなトッドの声ではっとじいさんは我にかえった。

「ないこともないが……うむ、ふたりばかり」

「早く言えよ」

「そう急かすな。あれは……そう。ツーアムのレペ・ニッケ。超一流の水先案内じゃったぞ。十三年前に死んだが」

「じいさん!」

 トッドがカウンターにグラスをたたきつける。

「死人にゃ用はねぇんだぜっ」

「ほーそうかね」

 ヨブじいさんはそらとぼけて口をとがらせる。

「もうひとりは、誰だ?」

 まったく無表情にユアンが次を訊いた。目だけを彼に向けてじいさんは言った。

「グラハム・ペッターじゃ。ニ十七年前に死んだ」

 ユアンはじいさんの目を見つめた。

「そいつらは、ふたりともトリムケラプスへ行って死んだのか」

 その答えなど、ユアンには必要なかった。だからこそ、彼はその仕事を請け負ったのだ。

「【王様の耳はロバの耳】という話を知っとるかね、ユアン」

「ああ」

 薄く笑みを浮かべてユアンはうなずいた。すっと視線をすべらせてアンジェラを見る。

「あれはやめときっしゃい。ブラッキーが気に入っとる」

 ユアンの視線を追って、じいさんはあわてた。いつもならば、美女を(さかな)に飲む酒はさぞうまかろう、などと軽口をたたくのだが、今度ばかりはそんなことを言っている場合ではない。

 氷れる美女へのブラッキーの執心ぶりは普通ではない。ブラッキーはユアンを嫌っている。()()()()を思っただけでじいさんの心の中にはブリザードが吹き荒れるのだった。

 確かに、あれは並外れた美女である。だがそのいかにも純血種らしい整いすぎた顔立ちは、それゆえにどことなく冷たい感じがする。女にしては高すぎる背、柳のようなしなやかな肢体。本当に赤いあつい血の流れた人間なのだろうか……もしや……? 

 そのことを思いついてじいさんはぞっとした。


 もしや、この氷れる美女こそ、氷の女王イザベラなのでは……?


 しかし彼女はアンジェラと名告った。彼の猫はそう呼んだではないか。

「止めるだけヤボってもんだぜ、じいさん」

 のほほんとトッドが言った。

 笑いを消し去り、ユアンが席を立つ。

 ボックスでは──ユアンが立ち上がったのを見てブラッキーが敏感にヒゲをピクリとさせた。妙にゆっくりと、訊く。

「アンジェラ、銃は持っているかァい?」

「銃は性に合わない」

 アンジェラの答えはそっけない。つまりは持っていないということだ。その必要性を感じていないのは、レイピアの鞘をなぞる指の動きにはっきりと表れていた。

「奴が、来るョ。あんな男はいますぐに撃ってしまうのがいちばんだナ」

 ブラッキーは短絡的だ。アンジェラは首をかしげる。

 あの男はそう簡単に冥界の住人となるだろうか。一筋縄ではいきそうにない。はたして彼女が銃を持っていたとしても……彼女が抜いたとたんに彼は撃ってホルスターにおさめているのは想像に難くない。

「……ここがおまえの行きつけとは知らなかったな」

 後ろも見ずにアンジェラは言った。ユアンはふっとやさしげに笑んだ。無言でアンジェラの隣に腰を下ろす。ブラッキーは警戒しながらすまし顔でテーブルの上に陣取っていた。

「何か用か?」

「たいした用でもない。あんたを、招待しようと思って」

「どこへ」

「おれの船だ」

「なぜ?」

 アンジェラが眉をひそめる。マン・ハンティングの女と同じようにあつかうつもりならば、無礼にもほどがある。

「なぜ、かな」

 一瞬、ユアンの顔に現れた意味不明の表情を、アンジェラは見逃さなかった。どこか自嘲めいた、さびしげな……かすかな変化を。

「あいにくと」

 そう言いながらアンジェラはふと表情を和ませていた。

「わたしは今夜この星(ガウェンドラ)を発つのだ」

「そうか、残念だな」

 だが、言葉に反してユアンはさほど残念がっているようには見えなかった。

「おれとしては、あまり無理強いはしたくないのだが」

 ユアンはアンジェラの右手首を確保していた。

 「おまえの宇宙船(ふね)にわたしを乗せて、いったいどこへ連れていこうというのか?」

「トリムケラプスだ」

「イザベラに、頼まれたのかっ?」

 アンジェラの顔から血の気がひいた。柳眉を逆立て、きっ、とユアンを睨みつける。

「なぜそれを」

 知っている、と言おうとしてユアンは気づいた。

 アンジェラは彼が請け負った件と何かを勘違いしてそう訊いたのだ。想定外の情報だ。アンジェラは、氷の女王イザベラを知っている!

 もう一つ、新たな観点がユアンの脳裏にひらめいた。

「おまえは、トリムケラプスへ行ったのか。イザベラ、あの氷の女王に会ったことがあるのか?」

「イザベラに会ったことはない。だが、公然の秘密とやらは耳にしたことがある。トリムケラプスへは、一度だけ……行こうとした」

 そのときのことを思い出したのか、急に黙り込んでアンジェラは遠い目をした。

「それはアステロイド群抜けの秘密航路(シークレットコース)を通ってか?」

 無意識のうちにアンジェラはうなずいていた。そう、あれは確かに秘密航路だった。イザベラ自らがそのコースを知らせてきたのだから……。

「ふ、は、は」

 変におさえのきいた笑い声をたてながら、ユアンはアンジェラの手首をいっそう強く握りしめた。

「トーッド! 水先案内が見つかったぞ」

 その朗々たる声で、アンジェラは自分が思ってもいなかった未来への扉を開けさせられそうになっているのを知った。

「な、んだと……?」

 まじまじとユアンを見つめる。

 何と言ったのだ、この男は。

 水先案内……どこへの……トリムケラプス?

「いやだっ」

「その手をお離し、ユアン!」

 アンジェラが叫ぶのと、ブラッキーが牙を剥いたのとは、ほぼ同時だった。

「そのひとはトリムケラプスへは行かせないよ。あわれな床屋になるのは、おまえみたいなならず者でたくさんさ」

 あわれな床屋……テラ系種によって拡められた【王様の耳はロバの耳】という話を知っている者ならば、すぐにその意を介するはずだ。散髪を請け負い、王の耳を見た(秘密を知った)ばかりに殺されたあわれな床屋、と。

「ブラッキー」

 ウィスキーのグラスを手に近づいてきたトッドが怪訝そうな顔で言った。

「何だよ、あわれな床屋って?」

「知らないほうが身のタメだよ」

「教えろよ」

「知らにャいね」

 大の男と黒猫の押し問答が始まった。

 その傍では、アンジェラがユアンの手を振りほどこうと悪戦苦闘を強いられている。だが、数回身をよじっただけで彼女はおとなしくなった。腕力が違いすぎるのだ。

「手を、離せ……海賊!」

 ユアンは薄笑いを浮かべている。

 刹那的な動きでアンジェラはシャンパンのグラスを手に取る。空いていた左手で。中身をユアンの顔にひっかけるべく……しかしその手も彼の右手におさえられてしまう。

 アンジェラはまっすぐにユアンを見た。その表情にはおびえも(こび)もない。気高く、そして美しい。

「トリムケラプスへのルートが目的ならば、教えよう。だが、同行はごめんだ」

「……聞こうか」

「ここでは無理だ。わたしは知らない。覚えているのはわたしの無意識だ。トリムケラプスの星図(チャート)もいる」

「では、おれの宇宙船に来い」

「……っ!」

 アンジェラはユアンを睨みつけた。だが彼は気にする様子もなく、グラスを持つアンジェラの左手を引き寄せてシャンパンを飲みほした。

「いい目つきだ」

 彼が言うと皮肉とはとれない言葉だ。


『マイ・レディ』

 

 思わず唇をかみしめる彼女の耳に〈ビショップ−ナイト〉からの声が語りかける。

「ナイト?」

 ほとんど声に出さないつぶやき。アンジェラは少しだけ安心した。この状況に適応してナイトが作動している!

『そのままでいてください。現在位置はあなたの上空一万メートル。いま、あなたの目の前の男を、ターゲットとして捕捉いたしました。レーザー照準、誤差修整』

「ナイトっ」

 彼女は叫ぶ。ユアンが彼女を抱き寄せたのだ。

『大丈夫です。あなたには当たりません。発射、いたします』

「ビショップ!」

 再びアンジェラは叫ぶ。

 違うのだ。ユアンは彼女を抱き寄せて、イヤリングに耳を近づけたのだ。

 ユアンは静かに言った。

「モーガン」

 同時に、上空で爆音が轟いた。

 アンジェラはユアンを突き離した。ユアンは彼女を制止しなかった。


 アンジェラは黒船屋を飛び出す。


 真上からゆっくりと夜空を下り、〈ビショップ−ナイト〉は地平線を朱に染め上げて沈んだ。

 またたく間の閃光。そして拡がるオレンジ系のグラデーション。

 雷鳴にも似た低い響きが、はるかに伝わり、あとをひきつつも消えてゆく。

「ビショップ……」

 応えはなかった。

 この何年かというもの、アンジェラの唯一の支えであったビショップは、いま、彼女を守る最後の騎士と共に果てたのだ。
















【王様の耳はロバの耳】は私が保育園の年長さんだったときに演った劇でした。たぶん職員会議かなにかで傾向が被らないように調整されたらしく、隣の組は【白雪姫】でした。


片や教訓的社会問題を扱うハードボイルド(?)、片や鉄板ラヴ・ストーリー、この差は何なのか? 


三つ子の魂百まで、といいますが、この幼少期の薫陶のせいで私はキャピキャピした恋愛ものが書けない人間に成長したのではないかと疑っています……。










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