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第3章

 ロザリーの心がざわついたのは、その家のドアを開けてすぐのこと。鶏小屋の掃除を後回しにしなければよかったと悔やむ。

「ルイはいないけど、用があって来たのよね?」

鉄の天板が置かれたカウンターにいる中年女性は、ルイの母親だ。彼女は苦々しい顔を浮かべ、鍛冶屋である我が家へ来たロザリーを見る。

「ええっと、鎌を受け取りにきました。その、手入れをお願いしてた」

ロザリーは用事を口にしたが、彼女の表情は変わらない。いかにも疲れた様子で手招きするだけ。仕事に私的な感情を持ちこむ、なんとも悪い例である。

 ロザリーは仕方なくカウンターへ近づくが、一歩踏み出すごとに心のざわつきが勢いづく。波のせいではない。

 鍛冶屋も波に揺られ、壁や戸棚に掛けられた鍬などが音を立てている。カチャカチャと断続的に揺れ続け、聴く者を不快にさせる。それでも波のせいじゃない。


 ルイは鍛冶職人の両親と共に、鍛冶屋を兼ねた家で三人暮らしだ。そのため必然的に、朝から晩まで鍛冶と関わる日々が続く。後継として家業を学ばれる典型例だが、当のルイは消極的だ。鍛冶職人とは違う将来の夢を抱いてるわけではなかったが、鍛冶職人を嫌がっていた。複雑なのは、鍛冶そのものは嫌いじゃなく、人間模様が嫌いという点にある。

 共に鍛冶職人である両親は、金床の手入れから品の運び方に至るまで、さまざまな事で衝突しがちだ。また、品を渡す相手にも難があり、鉱山へ挨拶に伺った際、客の親方に一気飲み(安い居酒屋チェーンで出るような安酒)をさせられる。十歳相手にアルハラときた……。

 些細な拘りで喧嘩しがちな両親や、低品質な客を相手にしていれば、生涯の仕事にしたくないのは当たり前だ。

 そして、それらを理由に鍛冶職人になりたくないと、ルイは両親に打ち明けたことがある。当然、両親は憤慨し、ルイを折檻しただけ……。改善されるどころか、常日頃の詰めこみ教育が日勤教育と化した。農具やピッケルを作るだけでなく、牛馬に蹄鉄を打つ仕事まで叩きこまれる。出来が悪ければ手を抜いたとして、折檻が待ち構える。

 ルイは休息(主に両親の機嫌が良いとき)の際、ロザリーにお家事情を話すのだが、彼の母親はそれすら良しとしない。父親が子育てに自信を誇る一方で、母親には後ろめたさがある。そのため、ロザリーはルイから聞いた話を、誰かに漏らすことはない。とはいえ、ピネル家の厳しい修行の話は、村中に広まっている。しかし、それを咎める大人はいない……。

 ロザリーはロザリーで大変な身だが、彼から悲しい話を聞いてやるぐらいはできる。プロのカウンセラーの如く、解決策を示せなくてもだ。

 ところがそんなロザリーを、ルイの母親は快く思わない。「女の敵は女」の点もあり、ルイがロザリーへ悩みを打ち明け、いろいろ話し合う関係を汚く捉えていた。性的な関係に発展していないにも関わらず、いかがわしいと考える始末。若い頃にいろいろあったに違いない。

 しかし、村に子供が少ない事情から、母親はルイがロザリーと接するのを黙認している。ただそれでも、事あるごとに二人に小言をお見舞いしている。


「コレ、泥ん中に落としたでしょ? 汚れてて大変だったんだからね」

ルイの母親はそう言うと、放るように鎌をロザリーに渡す。刃が革に覆われているとはいえ、危ない上に陰険だ。無論、他の客へは丁寧に手渡している。

 当のルイ本人はというと、父親と鉱山へ納品に行っている。それも件の親方のピッケルを納めに……。

「あの子にまたまた何か吹きこんだ? 最近は例の鳥の話で夢中なんだけど?」

彼女は言った。ルイが修行に熱心でない原因の一つはロザリーだと、彼女は本気で考えている。

「変な話なんてしてません。鳥のことぐらい、村中、いや国中で話されてますよ」

ロザリーがそう言い返すと、彼女はムッと口元を歪める。

「あの子にはきちんと修行に向き合ってほしいのよ。私たちが鍛冶の話しかしないのに、あの子ったらどこの誰から余分な話を仕入れたんだか」

「それはきっとワタシでしょうね。ルイはワタシを信じてくれてますから」

彼女の嫌味に対し、ロザリーは口火を切らずにいられなかった。


 ルイの母親はたちまち、赤熱した鉄と化す。比喩の域を越えるような、怒りっぷりを披露する。そして、ロザリーもすぐに後を追う流れに……。

 次の客が鍛冶屋のドアを開けるまで、二人の口論は続いた。その客はなんと村長で、最近変わった事は起きてないかを聞きに回る仕事中だった。とはいえ、口論は外にも漏れ聞こえており、村長はすでに呆れ顔だ。彼の背後では、十人ほどの村人が見物している。ピネル家の口論は日常茶飯事だが、「ロザリー対ルイの母親」のそれは珍しく、彼らの興味を誘った。娯楽が乏しいだけある民度だ。

 二人は顔を見合わせることなく、口論を終いにした。何事もなかったように、日常へ戻ろうと努める二人。

「ハイハイ、確かに受け取れました」

「どーも、では足元に気をつけて」

トゲのある言い方だった。

 そんな二人を眺め、村長は何とも言えない心持ちでいた。

「村長さん、ドア閉めてくださる? うるさい音が入りますので」

ルイの母親に言われ、彼がドアをただちに閉めたのは言うまでもない。

 ロザリーは野次馬の視線に耐えながら道を急ぐ。そして鍛冶屋から離れた辺りで、「魔女が現れて、あの人たちの記憶を消してくれないかな」と、密かに呟いた。だが都合よく、魔女がホウキかデッキブラシに跨り現れはしない



 そんな帰り道でルイと会えたのは、彼女には幸運だ。彼はロバに引かれた荷車に父親と共に乗り、鉱山からの帰り道だ。荷台に積んだピッケルなどの類はすっかり納品された後。

 そして、ロザリーは驚かされた。ルイが目頭を真っ赤に染めていたのだ。泣き跡から、ロザリーは出先で何か問題が起きたと悟る。彼は俯きながら歩いていたが、彼女に気づくなり、顔をさらに俯けた。今は顔全体が真っ赤だ。

「やあ、ロザリーちゃんじゃないか。鎌の切れ味は保証するよ。……コイツにやらせてないからな」

ルイの父親が言った。母親と違い、彼はロザリーを悪く思っていない。なぜなら、後継であるルイの嫁にしようと、勝手に考えているのだ。この嫁選びも夫婦喧嘩の原因であり、ロザリーやルイは勘づいている。しかしながら、二人とも満更でもない心持ちだ。どこの誰かわからない相手と突然結婚させられる運命と比べれば、幼馴染と結婚させられるのはまだ良い。マシな運命である。

 そんな関係であるため、今回のような出来事が起きると反応に困る。二人とも言葉に窮し、ルイの父親の立ち回りに期待する他ない。

「先に帰って夕食の手伝いをするから、お前はロザリーちゃんと仲良くやりなさい。あっ、荷台の片づけは遅くなっていいからな」

ところが父親はそう言い出し、足早に道を急ぐ。邪魔者だからと遠慮する姿勢は立派だが、それはルイをフォローしてからにすべきだろう。

 先ほどの鉱山でも、父親は彼をフォローしなかった。例の親方(一気飲みから二年経つが、ろくに成長していない輩)がルイに、自分の新品のピッケルへ言いがかりをつけた。その品は確かにルイが作った物だが、父親の検品を経ていた。それでも親方は許さず、ルイの落ち度だと決めつける。そして折檻として、ルイの腹へ左ストレートを何発かお見舞いした。……ルイの父親は息を飲むばかりで、親方の怒りが収まるまで立っているのみ。親方は体力だけが取り柄の輩だが、上客であるに変わりはない。見た目よりたいしたことないケガで済むよう願っていた。

 ルイはルイで、ある願い事を立てた。欲張りにも二つ。

 一つは「この汚い鉱夫どもを魔女が掃除してくれないものか」で、もう一つは「この国から出たい」だ。彼がトミーガンとマイカー持ちなら成し遂げられるだろうが、御生憎様おあいにくさま


 二人は黙りこんだまま、道端の古い切り株へ腰を下ろす。そしてしばらくの間、空をただ見上げていた。もちろん、その間も波は止まず、十五秒間隔で騒ぎ立つ。切り株から転がり落ちこそしないが、のんびりとリラックスなどできない。できるのはごく一部の人間だけで、その人々は狂って意識が彼方へ飛んでいる……。

「このままじゃオレ、ダメになる」

一波過ぎた後、ルイが口火を切る。ロザリーは安堵し、彼に顔を向けられた。目の赤みは消え、ルイはいつもの自分を取り戻せている。

「お前と一緒に過ごす人生が悪いというわけじゃないよ。けど、この国以外でもイケると思うんだ」

「えっと、ルイもこの国をその、出てみたいってこと?」

唐突な誘いにロザリーは戸惑う。しかし言葉に困りながらも、ルイが同じ考えを抱く事実に、嬉しさがこみ上がる。

「ああそうだよ。親はオレが嫌いだし、オレは親が嫌いだからな。一度離れてみたほうがいいんだ」

ルイは言った。あの両親が聞いたら悲しむセリフだが、自業自得でしかない。

「『ルイも』って言ったけど、それはつまり」

「そう、ワタシも一度出てみたいと思ってた」

彼女がそう言うと、今度はルイが嬉しくなった。先ほどまでの泣き顔が幻に思えるほどの変わり様。

「ただし、ルイ抜きでね」

しかし彼女がそう付け足すと、改めて表情を変えた。哀しみと不機嫌さが入り混じった顔だ。けれどそれは表面上に過ぎず、本心の嬉しさは失せていない。

 次の波が過ぎた直後、ルイは本心を打ち明けた。彼が示した嬉しさは、ロザリーの心をざわつかせたが、今度こそ良い意味でだ。

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