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第2章

 木槌を振るうやかましい音も、波には掻き消される。

 ロザリーは頭巾で額を拭った。アイボリー色のそれは、汗ですっかり濡れている。彼女は汗を拭きつつ、波の強風で涼を取る。……しかし、風は生温かく、単に吹きつけるのみ。陽はまだ真上に達しておらず、昼頃からさらに暑くなることは、誰でも予想できた。

 収穫間近の大麦畑は波に揺られ、無数の穂がパターンを描く。傾いたカカシの横から飛び立つ、二羽のカラス。山の向こうから迷いこんだのだろう。王国が南西方向から波を受け始めてからというもの、渡り鳥や流れの動物がこの地に居つくことはなくなった。今いる動物といえば、飼い慣らされた奴や迷いこんだ奴ぐらい。

 波の恩恵を一つ挙げるとすれば、作物につく害虫が激減したことだ。しかしそれは、虫ですら生きづらい地だと示す。

「ココもいける」

ロザリーは目視で大麦の習熟を確かめると、再び木槌を振るう。幸いにして、波の悪影響は限定的だ。運や土壌の悪い箇所だけ、茎が倒れたり折れたりしている。この辺りはまあ大丈夫だ。

 収穫可能の目印を畝に打ちこむ役目が、彼女に今日与えられた仕事だ。単なる家の手伝いとしてではなく、十二歳にして母親と農作業に勤しんでいる。児童労働だが彼らの価値観では仕方ないし、ロザリーも働かなければ、ロレーヌ家は滅びるだろう。福祉はろくになく、飢え死にも珍しくない。

 労働が本気で好きな人間はごく限られるし、波に襲われる日常を考えれば、ロザリーが不満を募らせるのは当然だ。しかも彼女は、幼い頃に父親と祖母を失っている。

 そんな中でも彼女に取って、ルイは心の救いだった。ロレーヌ家とルイのピネル家は、昔からの付き合いだった。ロザリーとルイが近い時期に生まれた当時、両家はてんてこ舞いしたものの、なんとか乗り切れた。

 ただ、ルイの両親は時々喧嘩し、そんなときロザリーは彼を家に招く。母親も気を遣い、温かく迎えていた。ルイの両親は共に鍛冶職人であり、流儀や彼の育成方針やらで対立しがちだった。

 一方でロレーヌ家も、ピネル家に時々助けてもらっている。蝋燭でボヤをやらかした件(波のせいだが不注意に変わりはない)の後、揺れに強い燭台をルイの父親が作ってくれた。また、鎌やくわを格安で直してもらってもいる。


 近所付き合いを上手く運び、農作業も一通りこなせる日々だが、ロザリーの波や塔を憎む気持ちは揺るがない。

 彼女は九歳の頃、南西へ伸びる街道を一人進み、動悸の塔を目指したことがあった。ところが、道端で草刈り中の大人に呼び止められ、笑いながら追い返された。

 ノンキなヤツ! カッテなオトナ!

当時彼女は、父親たちの件以来、積極的に行動しなくなった大人へイラつきを覚えた。波や魔女への文句を垂れるだけで、実行しないのだ。人々の多くがなあなあで諦めている。波を微塵も気にしていないフリをする奴もいるが、本人は大人の振舞いだと考える始末。

 ロザリーはそんな大人になるまいと今も考えているが、最近は違う。止めることはできずとも、波から離れたい。たとえ仕事続きの日々になろうとも、楽に暮らしたいと。

 何度もその気持ちを母親に伝えたが、反応はよろしくない。ロザリーは理由を尋ねたり食い下がるものの、母親はヒステリーを起こす……。「バカなこと言わないでちょうだい! アタシは忙しいの!」とか「アタシらはココで生まれ、育ち、そして死ぬの! そう決まってるの!」といった調子だ。居直りとも受け取れる言葉に、ロザリーは辟易するしかない。

 やがて彼女は、母親に国外脱出の話題はタブーなのだと悟り、そういった事は母親と一切話さなくなる。魔女の悪口を言う程度だ。

 話題持ち切りの魔女の鳥でさえ、初出現の日に話題にしたぐらい。代わりに、隣家のルイとは屈託なく話す。彼がいなければ、彼女も遅かれ早かれ狂っていただろう。もし狂えば、療養所送りになりかねない。


 城下町(事実上の首都だが、たいした規模じゃない)の方向からルイが歩いてきた。あくびしながら農道を進む彼は、大麦畑で木槌を振るうロザリーを見かけると、声をかけた。ところが一度目は波に掻き消され、声が届かなかった。ルイは負けじと大声で再び声をかける。

「なに? なによ、ルイ?」

ロザリーが振り返った。彼女は木槌を畝に立てかけると、畑から農道へ移る。そろそろ休憩したいところだった。日焼けした額に浮かぶ汗を、頭巾で必死に拭う彼女。

「お疲れさん、今朝までだったよね?」

鳥の落下現場を覗き見したルイは、父親から罰として、羊の寝ずの番を命じられた。元はその父親が頼まれた仕事だったが、躾にピッタリと考えたようだ。自業自得とはいえ、ルイはとても眠そうだ。しかし、帰宅しても昼寝できず、今度は家の鍛冶屋を手伝わされる……。

 家に帰りたくないルイは、ロザリーと時間を少しでも潰そうと考えた。眠気は取れないが、息抜きにはなる。彼女に取っても。

「大人たちが鳥をどうしたか聞きたい?」

彼は彼女が食いつく話題を携えていた。それに、まだ温かいパンも。


 ルイはロザリーと共に道端へ腰を下ろす。彼はパン(バゲットに似た物)を彼女に分け、彼女は水筒の水を彼に分けた。パンはルイがお勤め先の羊飼いの爺から貰った物だ。

「家からは全然見えなかっただろ?」

ルイが言った。誇らしく得意げな表情を浮かべている。

「ウン、だから鶏小屋の陰から見てたよ」

「ああそうか。けど、あまり変わらなかっただろ?」

得意げな表情を崩さないが、ロザリーは慣れっこだ。いつものように、話を合わせてやる。

「まあね。けど、ルイが畑を突っ走るところや折檻とかは、しっかり見てたよ?」

あの辺りの大麦畑には、ロレーヌ家の畑も含まれる。ルイはそこも掻き分けて進んでいた。

「……麦、倒してた?」

彼の表情は途端に崩れ、気まずい具合に。被害によれば、羊番どころじゃ済まない。おそらく、王城地下の鉱山送りだ。

「いいや、ワタシが見たところ大丈夫だよ」

「ああよかった。ところで、馬に乗った奴らがきたのも見ただろ?」

ルイは一安心するなり、話を早く本題に移す。

「ウン、城から駆けてきたね」

ロザリーは先日の光景を脳裏に浮かべる。落下の報せを聞き、彼らは馬を急がせだのだ。単なる墜落ではなく、着陸からの襲撃と捉えた者もいたはず。

「連中は集まる大人たちに、鳥は危険だから離れろと叫んだんだ。後はすべて、自分たちがやると言い張ってさ。すると、大半の大人が『手柄を横取りする気か』とか言い返した。けっこう強めに反発してたよ」

「怖いもの知らずね。腰の剣を飾りと思ってたのかしら」

「そしたら、騎兵は低姿勢でさ。『頼むからお願いする』と宥めてた。あんな構図は初めて見たよ」

普段と異なる光景を前に、ルイは動揺したはず。それでも彼は、ロザリーを不安にさせないよう、明るい調子で話そうとする。

「ウチの親が斬り殺されずに済んだのは、神の御恵みかな? 幸か不幸か、人々はやっと従い、落ちた鳥から離れていった。騎兵は手分けして、散らかったそれらを拾い集めてた。女王から、一片たりとも残すなって命じられたに違いない」

そしてルイは見つかり、羊の寝ずの番をやらされた。自業自得といえ、三日三晩はさすがに可哀想だ。

「おいおーい、あんましサボんなよ! そんな調子じゃ間に合わねえぞ!」

農道の先、ルイが進んできた方向から、大きな荷馬車がやってきていた。四頭の馬に引かれた、四輪の鈍重な荷車には、鈍い黄緑色に輝く鉱石が積まれている。

 どっさり積まれたそれらは不思議な岩石で、隣国が高く買い取る代物だ。ビセートル王国一番の収入源であり、その金を元に、隣国で主に鉄鉱石を買い、王国へ帰ってくる。

 鉄鉱石の使い道は、剣や盾を作るためだけじゃない。城や町、村を守る資材となる。王城の外壁を伝う鉄鎖を始め、柱や梁に鉄をふんだんに使っている。理由はもちろん、波による損傷を抑えるためだ。王城をむざむざと災害パニック映画みたく崩れさせられない。

 そのためにも貿易は不可欠であり、王国は魔女と、安全に往来できるよう交渉した。結果、馬車が週に一度、隣国と往復できる約束を取り付けられた。悪天候に見舞われなければ、火曜日に出発し金曜日に帰る。今やってきた荷馬車こそそれだ。つまり、今日は火曜日というわけ。

「ルイ、足」

「おおっと!」

道へ投げ出す足を、片側の馬に危うく踏まれかける。急に足を引っこめたことに驚いたのか、右側先頭の馬が鼻を鳴らした。

「さっさと働かねえと、ひどく怒られるぞ?」

荷馬車の男が言った。黄緑色のローブに緋色の頭巾を被る爺(おそらく生涯独身)は、国に務めを任された経緯から、いつも偉そうな態度でいる。確かに馬車の運転は簡単ではないが、炎天下で一日中畑仕事をこなすよりかはマシだろう。

「どうかどうか、そのまんまご無事に!」

「神に祈るように祈ります」

ルイとロザリーが口々に言う。とても皮肉げな口調かつ表情で。

 爺は「フンッ」と鼻を鳴らし、そのまま行こうとしかけたが、ふと馬車を止める。そして、二人のほうを向いた。

「この辺の子供はきっと、御触れについてはまだ知らねえだろうなあ。学校に通える奴も少ねえし」

意味ありげに言った。爺は大人の立場を利用し、二人に御触れの内容を教えてやろうと考えた。それで多少は自分に敬意を払うだろうと。

「えっ、御触れ?」

「女王陛下が何をおっしゃったのですか?」

ろくに学校へ通えず文字を読めない二人は、すぐさま食いつく。村長よりの布告なら、月に何度か耳にするものの、女王の御触れとなれば特別だ。滅多に出ないだけでも、御触れは貴重なもの。

 ほら見たことか。年功の甲斐ってもんはあるもんだ。

 爺は心の中で冷たく笑う。すっかり彼は自惚れ、眼前の二人にどうもったいぶってやろうかと考えた。……とはいえ、のんびり話す余裕はない。今は宴の最中でなく、仕事で隣国へ向かうところだ。

「教えてやるが急いでてな。歩きながらだ」

爺は言った。偉そうな態度や口調を崩すことなく。

 二人は黙って頷いた。波の音圧で聞き逃さないよう、耳に手を当てながら歩き出す。爺は爺で話したい立場のため、馬の歩みを抑えてやる。


「鳥! あの鳥の話ですよね!」

波をやり過ごした直後、ロザリーは爺に尋ねる。御触れは鳥の件に違いないと直感していた。

「ああ、ロジェックバードの話だった」

「……えっと、ロジックバード?」

「そうそう、それじゃ」

女王は魔女と話をこしらえ、信頼のおける側近に御触れを出させた。

 爺曰く、「魔女の多数いる元弟子の一人が、ビセートル王国に興味を抱き、魔法の鳥を遣わせた」という文言がまず記されていた。そして、この件は「あくまでも元弟子の暴走であり、魔女が制止に努める」と話がつき、国としては解決済みの立場だ。

「つまりそれって、また飛んでくるかもしれないってこと?」

ロザリーが言った。その通りなのだが、彼女に取っては朗報だ。

「まあそういうわけじゃな。けどまあ、気にするなって書いてあったし、大人しく従うんだぞ?」

爺が言った。年齢問わず、お上には子供の頃から従順らしい。

「従うと言ったって、今まで通り平然と過ごすだけだろ?」

ルイはそう言ったが、彼の場合は難しそうだ。

「いいや、夜歩きの禁止がしばらく徹底されるんだぞ。店は早く閉まるし、仕事で外に出るのも駄目だ。……お前がやった寝ずの番は別としてな」

「なるほど、息苦しいね」

「正直に言えばそうだな。ワシが帰ってくる頃もまだ駄目じゃろうし」

御触れの話は以上だった。二人はなかなか良い話を聴けて、ひとまず満足そうだ。

「だからお前らは、仕事を早く済ませるべきなんじゃ。麦や鍬の世話がお前らの務めだからな」

余計な話は聞きたくないもの。だが耳に入れた以上は、従わなければならない。とはいえ、御触れを聞けた以上、偉そうな爺にもう用はない。貴重なお話をありがとうだ。

「ありがとうございます!」

素直かつ素早くお礼を述べたロザリー。鳥がまた飛んでくるかもしれないと知れただけでも、収穫には違いない。反感を買い、余計な口出しをされるのはゴメンだろう。

 一方、自らの口から御触れを教え、すっかり満足げな爺。彼は二人へ手を振ると、馬の歩みを早めた。

 爺が荷馬車を進ませる農道は、じきに街道へ合流する。国外へ出られる唯一の道で、爺はこれから三泊四日の出張だ。ご立派な年寄りでも、課せられた務めに身が引き締められる。


 爺の背中が小さくなり、荷馬車の音が波にすっかり掻き消される頃。

「いつも見に来るワタシたちを、お弟子さんはどう思ってるかな?」

ロザリーとルイは農道を戻りながら、鳥の話に夢中だ。今度はいつ頃飛んでくるかとか、拾った物をこっそり隠し持つ人がいるんじゃないかとか。中でも彼女が一番気にしたのは、自分が元弟子にどう見られているかだ。

「さあな。別にどうでもよく思ってるかもしれないぞ。師匠である魔女へ仕返し目的なら、成果は二の次だろうし」

「いやいや、そんなことないでしょ。この辺りは子供が少ないし、間違いなく目立ってるよ」

もはや承認欲求だ。彼女はどんな相手か知らないにも関わらず、国外から受ける注目は嬉しい限りらしい。

「ある日突然さらわれるかもしれないぞ? ……その、可愛いからと目をつけられてさ」

ルイは恥ずかしげに心配がるが、ロザリーは聞かなかったフリをした。現状より酷いことなど起きるものかと思う彼女。毎日十八時間、波による震動や風圧、それから音響に悩まされる現状を考えれば、実際そう言えた。




 農道から街道へ合流したところで、爺は馬車を止める。律儀な一時停止じゃなく、ふと思いついたことがあるからだ。御触れを教える前に、あの二人に無礼を詫びさせるべきだったと悔やんでいた。

 ああクソッタレ! そうだ、別の話題を餌に……。

 だが振り返っても遅い。二人は彼の忠告通り、休憩を終え仕事に戻るなりしている。波にたなびく大麦畑で二人の姿を見つけたが、今さら詫びを求めに戻るなんて、バカか不審者のやること。

 爺は舌打ちし、諦めた様子で馬車を再び進ませる。そして、街道の南西方向へ目を向けた。遥か前方の分岐には、動悸の塔がそびえる。爺はまた舌打ちした後、頭巾の紐を締め直す。直後に波が訪れ、マントが派手にはためいた。危うく落馬しかけた爺。

 爺はマントの紐も締め直すと、馬の歩みを早まらせた。一分一秒でもあの波を受けずに済むならという思いからだ。塔の前を過ぎれば、波に悩まされなくなる。

 波から受ける不快感に、歳や身分は関係ない。それでも、以前の日常にたとえ三泊四日でも戻れる立場は、特権以外の何物でもなかった。

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