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第20章

 ロザリーの母親が幽霊として、彼女の自室に現れたのは、翌々日の夜だ……。彼女は寝床につこうと、ベッドに横になり、灯りを消すところだった。スイッチに触れようとその時だ。突然の訪問だった。

 突拍子もない展開だが、母親の幽霊がドアのそばで立っていたのは事実だ。ロザリーは母親の姿をベッドから目撃した途端、即凍りついた。表情が強張る余裕すらなく、母親の幽霊をただ見つめる他なかった。馬鹿みたいに口をあんぐり開け、幽霊の出方を伺うロザリー。

「…………」

母親はロザリーに襲うわけでも話しかけるわけでもなく、ドア付近で立ちつくし、彼女の顔を見つめるばかり。

 しかしながら、苦し気かつ恨めし気な表情と死に様を晒すのはいただけない……。母親の姿は健康体ではなく、ロザリーが目にしたくなかった有り様だ。

 鶏小屋で首を吊ったままの状態で、彼女の元へ出現したのだ。腐敗は進んでいないが、彼女は死臭を嗅いだ気がした。同時に吐き気も覚えた。

「ごめんなさい!」

ロザリーは母親に許しを乞おうと叫んだ。自責の念がこれまで以上に湧いていた。王国と共に母親を死へ追いやってしまったのだと。

「…………」

母親は何も言わず、そのまま消失した。ロザリーの謝罪を受け入れたのかはわからない。何しろ、苦々しく恨めし気な表情を少しも変えることなく、消え失せたのだから。

「ごめんなさい!」

幽霊が消えた後も、ロザリーは謝った。しかし、あまりの大声に隣の住人に壁を叩かれてしまい、彼女は体をビクつかせた。そして、ドアのほうを黙ってしばらく見つめ、眠気が訪れるのを待った。

 眠気が訪れ、彼女がやっと眠りにつけたのは、東端の夜空に明るさが訪れた頃だった。亡き母親のせいで、彼女はその一日を寝不足のまま過ごす羽目になった。午前中に訪れた役人の話を、今度は一語も聞き取れない始末……。役人の中年女性は不機嫌な様子で、寄宿舎を後にした。

 ロザリーは食堂のテーブルに突っ伏して、眠りこけた。夢の中で彼女は、母親を見た。首吊り縄をカウボーイのように振り回す母親の姿を見た途端、彼女は目を覚ました。全身が汗でびっしょり濡れている。着替えないと風邪を引きそうだ。悪夢と寒気から、体をブルブルと小刻みに震わせる。

 食堂で昼食を待つ数人が、飛び起きたロザリーに注目していた。その中には、ビセートル王国で見かけた覚えのある顔もあった。

 彼女は恥ずかしさを覚え、食堂から逃げ出した。役人から新たに渡された書類をテーブルに残してきたが、そんな事は構わなかった。彼女は廊下を駆け、埃を宙に舞わせた。足音を聞きつけた管理人が、大声で文句を垂れたが、彼女の耳には届かない。


 自室に戻ったロザリーは、ドアの鍵を力強く締めた。そして、深々と深呼吸を繰り返す。何回も何十回も。過呼吸を起こしたようにひたすら。

 やがて彼女は膝をつき、擦れたフローリングの床に額を押し付けた。窓から差しこむ日光が、彼女の背中を虚しく照らす。

「うっうっうっ」

彼女は嗚咽している。情けなさと自責の念が、彼女を心の底まで苦しめているのだ。今や、嘆く彼女の背中をさする存在は実質ゼロに等しい。

 ロザリーは床を這い進み、ベッドに上がる。それからブランケットに身を包ませると、天井クロスの剥がれかけた箇所を見つめた。目尻から涙が数滴流れていく。

 長時間凝視したせいで、天井の染みが人の顔のように見えてきたロザリー。大きな染みと小さなそれとを繋ぎ合わせ、目鼻口をつくる。

「ルイとルイ」

親友と義弟の名前が同じ点は偶然でないように思えた。彼女は思いつめ、耐えがたい真相にやがて至る。……確信に至ったそれは事実であった。

「そんなの考えられないよ。ありえないありえない」

彼女は自分にそう言い聞かせながらも、確信は覆せない。薄汚い靄が彼女の心を覆い、安寧や安心を微塵も失わせた。

 ブランケットを握り締めたり噛んだりを繰り返すロザリー。見開かれたと思いきや、固く閉ざされる瞳。彼女は枕に額を何度かぶつけた後、それに顔をうずめた。ドクンドクンと脈打つ心臓の鼓動を、今以上に強く記憶はない。

「ううっ、ううっ」

顔を伏せ、呻き続けるロザリー。涙と鼻水が枕に染みこんでいく。きっと染みになるだろう。

 彼女がようやく気をある程度まで取り戻せたのは、夕方であった。彼女は昼食を取り損ねたわけだが、空腹感は全然無かった。その代わり、神経を擦り減らした感覚が湧いている。胸に軽い痛みすら覚えていた。

「ふぅ……」

深呼吸した後、ベッドから降りるロザリー。心身を気遣い、慎重に床へ足を下ろした。ゆっくり立ち上がり、ドアのほうへ目をやると、書類が置かれていた。食堂での忘れ物だ。親切な誰かが、ドアの下部から差しこんでくれたらしい。書類の一番上は、社会復帰に向けた支援講座の案内パンフレットだ。いかにも未来志向染みた少年少女のキャラクターイラストが、表紙で存在感を放つ。

「新しい人生か」

鮮やかなデザインの表紙を見つめるロザリー。

 彼女はドアのほうへ向かい、そのパンフレットを拾い上げた。そして、パラパラとページをめくっていく。本屋で雑誌を立ち読みするかのような仕草だ。けれども彼女は文字をほとんど読めないため、斜め読みですらない。フリー素材のイラストや矢印を目で追うばかりで、理解が追いつかない。

 そんな中、いかにも幸せ気な家族のイラストに目が留まる。何本もの矢印の先で行きつくそれは、社会復帰に成功し、家族と共に輝かしい人生を歩む青年たちのイラストだった。明るい未来が約束されているといった調子だ。

「とてもとても……」

イラストから意味だけ掴み取れたロザリーは、自らの現状と重ね合わせた。現状から考えればそのイラストは、遠くかけ離れた空想に思えたはず……。

 少なくとも彼女は、父親家族と共に暮らすつもりはなかった。お昼時の訪問ですら、惨めな空気で終わったぐらいだ。つまり、明るい家族のイラストは幻想に過ぎない。くどいようだが、彼女は独りぼっちだ。アンヌや役人は相談相手にはなるが、一緒に人生を歩んでくれるわけじゃない。あくまでも他人だ。

 パンフレットを閉じ、その場に立ち尽くすロザリー。心臓の鼓動が再び訪れ、彼女の心を次第に掻き乱していく。足が震え始めると、彼女はベッドに腰を下ろし、仰向けに寝転がった。靴を雑に脱ぎ捨て、柔らかいブランケットへ足を下ろす。

「ううっ」

両方の掌で顔を覆い、呻き始めるロザリー。今度も長引きそうだ。



 夕食の時間になった頃、ドアがノックされた。乱暴な音に、ロザリーは寝転んだままビクッと反応する。彼女は一瞬、母親の幽霊がまた現れたのではと焦った。

「アンタ、夕食も食べない気かい!」

ドアを叩いたのは管理人のババアだ。ババアなりに心配しての行動だが、今の彼女には余計なお世話に過ぎなかった。

「食欲が無いんです!」

ロザリーはそう吐き捨てると、右へ寝返りを打つ。朝食を食べたきりの彼女には空腹感があったが、食べ物が喉を通る気がしない。食事中に取り乱し、吐いてしまう流れは避けたかった。

「ああそう。勝手にしな」

ババアはそう言うと去った。聞こえる足音は、いかにも不機嫌そうだ。

「イヤになる。ホント、イヤになる」

ロザリーは独り呟きながら、空腹感とも向き合う。今夜は合計何時間眠れるだろうか……。

 力を振り絞り、寝る支度を適当に済ませるロザリー。寝間着はパスだ。電灯を消し、頭頂部までブランケットを被る。カーテンのない窓の向こうからは、外灯の白い明かりが肌寒く届けられる。

「ハアハア、まったくもう」

彼女は息苦しさから顔を出した。ドアや窓のほうは見ないようにした。おぞましい幽霊の姿を目撃したくない。また母親が現れるかもしれないし、今度は親友ルイかもしれないのだ。ルイの酷い死に様をロザリーは確かに覚えてはいるが、あくまでも過去の記憶に留めたかった。改めて目にしたくなどない。

 彼女は寝苦しさを覚えながらも、意識して目を閉じ続ける。心臓の鼓動が子守唄代わりだ。ドクンドクンドクン。それはなかなか鳴り止まず、彼女の脳に響き続ける。

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